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……

………………


「…ん、」


気怠い身体を起こそうとして、びくともしない。

ゆっくりと瞼を持ち上げる。
けど、薄暗い灰色で世界は覆われていて、睫毛に何かがやけに擦る。

…というか、目隠しされた状態で抱っこされているようだった。

それに、いつの間にか滑らかな布の感触が肌を覆ってて、袖口が大きい、から…着物もきてるらしい。
…お風呂の最中から、記憶がない。

身体を支える腕によって足が宙に浮いてて、ふわふわする。


「……に、もど…」

「…ああ、……の……手続き…」


顔のすぐ傍で聞こえる…耳に心地よくて、少し低くて、大好きな声。
…くーくんが、誰かに何かを答えている。

事務的で、警戒的な冷めた態度。


「…澪にも、…」


その会話の中で
…彼の声が、口にした。


(…――『澪』、)


呼び捨 て

……今、呼び捨てに、してた……?

喉の奥で膨れ上がる恐怖が、眠りから覚めたばかりの身体を動かした。
お風呂場での行為によってか、性器がジンジンして、こんな時なのに頬が熱くなって眉が寄る。


「……――だ、」


手探りで、彼の服を掴む。

…それは…すぐ傍に あって、

ある のに


「…まーくん…?」

「やだ、」


やだ、嫌だ、やだ、やだ、やだやだやだやだ――、

頭を埋め尽くす切迫感が、服を掴んだ指どころか、全身を小さく震えさせた。


「起きたの?…嫌って何が?」


名前を呼ばないで。
特別にしないで。

…他の女の人を大事なんだって、思わせるようなことをしないで。

瞼の裏が熱くなり、じわりと視界の灰色が濃くなった。
目隠しが滲み、微かに吐いた息とともに両腕を伸ばす。


「…ぎゅって、して…?」


甘えるような仕草をしてしまう。

…きっと、誰かが見ているはずなのに、
もうどう思われたっていいと、思う。

そんな些末なことを気にしている余裕はない。
一秒でも、一瞬でも早く、存在を感じたい。


「…くーくん、…っ、くーくん…」


その首に腕を回し、額を擦りつけるようにして縋りついた。

ああ、間違いない。
くーくんのサラサラな髪の感触。優しくて甘い香り。温かな体温。息遣い。


「ひとりに、しないで…」


真っ暗な世界で、それでも彼の肌を感じられることに安堵する。

こわい、
おれは、もうだれにもいなくなってほしくない。

離れていっちゃうのは、寂しいのはもう嫌だ。
くーくんのいない世界に、戻りたくない。

うまく動けない身体で、それでも離したくなくてぎゅうってしたまま震えていれば、耳元で微笑む気配がする。


「俺は、ずっと傍にいるから」

「……っ、ほん、とに…?」


「うん」と優しく返される声に、堪えきれず涙が溢れた。

――――――――――――


その言葉が嘘でも、それでもいい。

(…好きな人がいるって知ってても)

(どうやっても、彼を失くしたくない。)
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