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…わからない。
わけもわからず、涙ぐみそうになり唇を噛みしめた。
喉が腫れ上がっているように、うまく呼吸ができなくて、
…おかえりの返事を、しないと。
そう思っているのに、どうしてか言葉も紡げなくなって、無理矢理開こうとすると今度は胸の辺りに圧迫感を覚える。
喉は張り付いたように、動いてくれない。
「…あのさ、オレンジジュース、…一緒に飲もうと思って、みかん沢山絞ったんだ」
何も言葉を返せずに黙ったままの俺に、心配げな表情を変え、ふわりと笑って、ゆっくり近づいてくる。
その視線を追って台所の方を見ると、確かにその名残があった。
…外して、と…数日前に泣きながら言われたその手足の黒い枷を、今もまだついたまま、…まーくんはそっと頬に触れてきた。
微かに手に残る…みかんの匂い。
…それに、…離れている間、ずっと胸が締め付けられるほどに求めて焦れていた、…大好きなまーくんの香りがする。
「…前、蒼も好きって言ってて、俺も嬉しかったから」
懐かしそうに、昔を思い出すように視線が逸らされた。
…それにつられて、つい昨日のことみたいに想起する。
(…俺も、覚えてるよ)
好きって言ったのは、まーくんが凄く幸せそうな顔でそう言ってたから。
みかん絞るの上手なんだよって得意げな顔で、可愛らしく胸を張ってたから。
本当はあの人に殴られ続けたせいか、味覚なんて残ってない。
甘いのが苦手、とか最もらしいことは言ったけど、…実際は何の味もわからない。
けど、…
「ね、…だから、一緒に飲んでさ、…それから、蒼が悲しくなくなるまで傍にいるから…してほしいことは何でもする…から、」
震えている声は、…そこで不自然にしぼみ…途切れた。
そしてまーくんは首を横に小さく振り、…なんでもない、と続けた。
「…きっと、蒼はまた何も俺に話してくれないんだろうけど、」
頬に触れていた手が、よしよしと慰めているように髪を優しく撫でる。
それから、その手に頭をちょっとだけ寄せられ、
…こつん、とよく小さい頃やっていた時のように…額同士をくっつけた。
「でも、」と零された言葉によって、吐息が…気持ちが、…触れる。
「…蒼が泣きそうだと、俺も泣きたくなるよ」
「…っ、」
微笑みまじり声でそう囁き、目に涙を浮かべてこっちを見上げてくるまーくんに、
「……ぁ、…」
…喉が、込み上げてくる熱を飲み込むかのようにごくりと動いた。
まるで、昔に戻ったみたいに…心が大きく揺れる。
(ずっと昔…まーくんと一緒にいた時も、…こんな風に…慰めてもら…)
「っ、…」
ああもう、今思い出したのがまずかった。
今すぐに、声を放って泣きたい衝動に駆られてしまう。
道端で良く見る子どものように、大声を上げて涙を流して、叫んで、…それができたらどれだけ楽になれるだろう。
本気で、そう思った。
…けど、
「……っ、…まー、くん…」
昂った心のまま抱き締めて、息が止まる程強く腕の中に閉じ込めて、…ぐ、と血の滲むほど唇を噛み締めた。
熱くなる喉の震えを、液体を、…感情を、飲みこんだ。
(…そんなこと、できるはずがない)
していいはずがない。
だって、こうしてまーくんを閉じ込めて、…ただ自分のしたいようにしている俺には…そんな権利も理由もなくて、
「…大丈夫だよ。蒼が望むなら…俺がずっと、傍にいるから」
…そうやって苦しめているはずのまーくんが、…抱きしめ返してくれて、
それだけで、…生きてるんだって実感できてしまうから、
「…っ、…うん…」
だから
今だって充分救われてる俺が、これ以上幸せを求めていいはずがないんだ。
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