18

***


ナイフの柄を、握りしめる。

場所は、すぐにわかった。

窓ひとつない、コンクリートで囲まれた薄暗い部屋。

息を、潜める。
自分の呼吸の音が、やけに鼓膜に響く。


「あー、そういうことかよ」


ナイフを持つおれを見上げて、何かを察したように毒づく。
苦々しく苛立ちを隠そうともせず、嗤う。


「久々に顔を拝めたと思いきや、物騒なモン持ってんじゃねーか」


軽口を叩く男はこの状況を理解しているのか、気にも留めていないのか、怯えた様子はない。

それに、ぼろぼろで動ける感じもなかった。

ただ、おれは無抵抗なこの人を殺せばいい。
くーくんがおかしくなったのは、ここに来た後だったから。

おれが、すればきっとくーくんは喜んでくれる。


「それ持ってきたっつーことはそれなりの覚悟で来てるんだろうな?」


覚悟?と問うように床に座り込んでいる男を見下ろせば「お前は知らねーだろうけど、枷は今外れてんだ」と手を上げてそこに繋がる鎖がないことを見せる。


「かなり無茶はすることになるが、そのナイフを取り上げるぐらいのことはできるぜ」

「……っ、でも、動けるはずない、です」


見たところ身体だけじゃなく、頭からも血を流している。
垂れたらしく頬にその跡が残っていた。

「なめんじゃねえよばーか」と罵倒し、びくっと震えるおれに喉の奥で嗤う。


「まぁ、でも事情によっては考えてやらねーこともないかもな。今まさに命を奪われようとしてる哀れな被害者に、理由ぐらい教えてくれても構わないだろ?」


なぁ、と問いかけられ、渇いた唇を動かす。
部屋に充満する血や何かの悪臭が鼻に入ってきて顔を顰めた。


「…くーくんに必要とされるために、お兄さんには死んでもらわないと、いけません」


記憶がなくなる前に何があったのかは知らない。

どうでもいい。
くーくんがもう一度おれを見てくれるなら、いい。

「はは、」と面白がっているような笑い声。


「ガタガタ生まれたてのヒヨコみたいに震えてるくせによく言うぜ」

「…おれは、別に、」


震えてない。
このくらいのこと、おれならできる。
できるんだから。


「おれはくーくんがいないとだめだから、くーくんしかいないから、他にはなにもなくて、記憶もなくて、何もわからない世界で、くーくんしかいないから、…っ、だから、おれは、」


皮がめくれて痛いほど柄を握り、殺すことの言い訳を綴る。
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