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人は人をこんなに好きになれるのかと、懐疑的な思想に耽る。

と、

骨抜きにされた…その悦喜と淫楽の入り混じった視線の方向、

廊下の曲がり角の先で奥様に手を掴まれ、
木の柱で角度的に見えなかった濃い黒色の着物を纏った男が、姿を見せ て


「…………―――、っ゛、?!」


(……――え、…)


その目に映ったと感じた瞬間、身体の中に異様な感覚が駆け抜けた。

……初めて味わう体感の、意味を理解できない。

これが小説でしか読んだことがない、ゾクッとした、と表現される感情かもしれないと必死に型に当てはめてみようとしても、そんな言葉では絶対に足りない。

目の前にいるその『男』は、本当に 人間  かと、背筋が氷水を直に浴びせられたかのように感覚を失くした。


言葉を、思考という概念さえ、消える。
息をすることを失念し、…呼吸すら、できなかった。


(……どう、なってんだ)


奥様に聞いていた話によるイメージとは、雰囲気が全く違う。
否、正しくいえば異なるということはない。

……絵空事、ではなかったのだ。


――――だって、あの見た目ですもの。私は美しい少年の形をした人形だと信じて疑いませんでした。動き、お話をされている御様子を拝見しても尚、『そういう物』を作れるようになったんだと思っていました――――


―――その後教えられてきちんと理解はしたんですよ。それでも、理解はできても納得はできなくて、付き人に幾度も確認してしまったりしましたけど。あの御方は本当に人形じゃないのかって。生きているのかって――――


鼓膜に響く、過去の声。

澪様の話していた言葉通り、だった。

恋に盲目が故の、大げさな表現なんかではなかった。

そこらの人よりは容姿が良い、嫉妬心が強いぐらいの男だろうと自分に都合が良い方に……勝手に考えてしまっていた。

………そんな、簡単でありふれたものじゃない。


「………っ、(…息が、まともにできない……)」


飲み込まれるような畏敬と、
震え上がり、勝手に込み上げる畏怖の感情。

恐ろしいほどの美しさに、血の気が引き…鳥肌が立った。

黒で染められた高品質な布地に上品に描かれた雪華。
優美な着物を身に纏っているからこそ余計に、際立つ。
すらりとした体つきと、180p程度と推測される高い身長。

さらりと櫛が通りそうな質感の良い黒い髪に、血が通っているのかと思うような透明感のある肌と薄く形の良い唇は……見るものを蠱惑して止まない。


……特に顔の造りのせいか表情のせいか、幸福を知らないように美しくわけありな暗さを感じる目と冷たく感じられる整った顔は思考を失うほど凄艶だ。


それと同じくらい、ある種の恐怖心も抱かせられる。

そういう冷えた感じの男が好きだって前どっかの女が言ってたから、好かれる要素の一つになっているんだろうことも予想できた。


どこかしらに欠点を探そうとしても見当たらない。
男として手が、涎が出るほど羨ましい……何より、女たちが目の色を変えて寄ってきそうな顔と体つきは、紛れもなくこの世で一番の最高傑作だろう。

少なくとも、この男以上の存在を僕は見たことがなかった。

あれだけ奥様が執拗に使用人を牽制していた理由も理解できた。
これは、本人が望まずとも目が釘付けになり、心を奪われる。

……他者を、惹き付けてしまう。

女には苦労しない。
何もしなくても抱いてくれとせがまれ、そうしてきたんだろうと一目瞭然でわかる。


それでも、だからといって、
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