I l  s o l e  m i o!


もう少し遅く来てくれてもよかったんじゃないの? と、生温い風を浴びながら台風に毒づいた。


今日は七子の誕生日で、なおかつ三週間ぶりに彼に会える待ちに待った金曜日のはずだった。

職業柄、先々週から県外で訓練をしているらしくなかなか連絡も取りづらい状況にあった。

そして普段、彼は職場の寮に住んでいて会える時間は普通の社会人よりも限られている。
平日は仕事終わりから数時間程度だから泊まりなんてもってのほかで、だからってわがままなんて言えないし、でもその代わり金曜からの週末はずっと一緒に居てくれる。


しかしながら待ち合わせをしている彼の駐屯地の最寄り駅までの電車は、強風のため徐行運転。

そのせいで到着が大幅に遅れるらしい。

「もお……」

そうやって悪態をつきながら思い出していたのは、愛おしい彼と出会った三年前の秋のことだった。

紅葉が鮮やかになってきた十月末に、家族に誘われて行った記念日行事と呼ばれている彼が働く職場のイベントで出会った。
見ているだけでも威圧感を覚えるような迷彩柄の車を展示しているところに居たのが頼人で、二人とも一目惚れに近かったような気がする。

私も実際、彼の実直そうな瞳に吸い込まれるようにして見つめてしまっていたかもしれない。

そしてその日のうちに連絡先を交換して、その後は順調に進んで今に至る……それが二人の馴初めだった。

「頼人ぉ……」

七子は少し泣きそうになりながら、ホームの壁際のベンチに座って待つことにしたようだ。

壁に頭を凭れながら、ホームから見える景色をぼんやりと眺める。


ホームを挟んだフェンス奥には大きな木があって、濃緑の葉を幾重にも纏った枝が重そうに揺れている。
それは風が吹くたびに、ばさ……ばさと音を立てて、夜の闇を抱えていた。

その近くでは大きな看板が、今にも飛ばされそうな危うさでふらついていた。

雨はかろうじてまだ降っていないが、いつ降り出してもおかしくない空模様で、空は重く立ち込める雨雲で灰色に染まり、空気もいつもの熱帯夜の風に比べてひんやりしている。

七子は仕事の疲れと彼になかなか会えない焦れったさで、半ば放心状態で焦点の合わない目でその光景を見つめていた。


そしておもむろにケータイを取り出すと、彼にトークアプリからメッセージを入れた。


七子

頼人ごめん、ちょっと遅れるかも




すると返事はすぐに来た。


しかし七子は頼人の返信が怖くてなかなかメールを開けずに、アイコンをタップしようとして止めてを数回繰り返している。

こんなことで頼人が怒るはずがないと分かっていても、約束の時間に遅れてしまう申し訳なさからそんな行動を取っていた。


七子は気持ちを落ち着かせるために、もう一度ざわつく景色に目を向けながら深呼吸をひとつすると、意を決したようにメールアプリのアイコンをタップした。


よりと

しょうがない、大丈夫だよ。もしかして七子、職場の最寄り駅にいる?




彼は特に怒っていないようで、ほっと胸をなで下ろした七子は素早く文字を入力すると送信ボタンを押下した。


七子

そうなの。電車が遅れててさ、まだ頼人のトコの駅に行けそうにない泣




しばらく待っているうちに携帯電話から、ぴこんと可愛らしい音を立てると、再び彼からの返信が来た。


よりと

こんな天気だもんなあ……俺、七子に会えるの楽しみにしてるから!気を付けてな! もしさ電車動いたら言って




頼人は人の気持ちを察するのが得意なようで、七子が不安な時はいつも優しい言葉をかけてくれていた。

そして七子も彼を安心させるために、すぐに返事を送った。


七子

うん、分かった! ありがとう




そんなふうにして七子たちは、メッセージのやり取りを続けていった。

彼の仕事で会えない日々が続くと不安になることもあったが、このメールがあれば平気だと思えた。


何よりそういった寂しい時間があったからこそ、彼が好きだという気持ちがより強くなっていったような気がしていた。

そしてそれはきっと錯覚なんかじゃない、と七子は思っている。


それでも七子は心細さから、誰もいないホームのベンチで膝を抱えていた。
そのせいか、普段なら考えないようなことまで考えてしまって、どんどん気分が落ち込んでいく。

「空気読んでよね……ばか……」

今日は彼と会うために昨日は、美容院に行ったり奮発して買った卸したての服を着て来たり、七子なりに準備していたのだ。

それを台無しにしようとしている台風に対して文句を言いたくなるのも、仕方のないことだった。

だがそんなことを言ったところで天気が変わるはずもなく、ただでさえ人のいない駅のホームには先ほどよりもより一層荒れた風が吹きすさぶだけだった。



そうして電車の到着を待つこと三十分ののち、七子の耳にアナウンスが飛び込んできた。

どうやら、最接近中の台風の影響で遂には運転を見合わせているとのこと。

最悪なことに、どうやら運行再開の目処は立っていないらしい。
七子はその事実を受け入れると、深くため息をつく。

もうすぐ来るはずの電車を待っていようと思ったが、こうなった以上待つだけ無駄だろう。

しかし今からタクシー乗り場へと向かったとしても、同じように考える乗車待ちの乗客たちですでに長蛇の列ができているだろうと思うと、充分なほど八方塞がりだった。


七子

どうしよ……電車止まっちゃった。タクシーも人いっぱいだろうし泣




返事を待つ数分の間でさえ長く感じられたが、案の定、彼からの返信はなかなか来ない。

七子はケータイを握りしめたまま、じっと画面を見つめている。


七子は不安で押し潰されそうになり、そしてその感情は彼女の心をじわじわと侵食していった。


「……っ」


寄る辺ない気持ちがピークに至った七子が、居てもたってもいられずタクシー乗り場に向かおうとベンチから腰を上げたその時だった。




「おーい、七子!」


すると突然、聞き慣れた声が聞こえたような気がしたのだ。

─え?


顔を上げて辺りを見回すが誰もいない。

気のせいか……と思った時、今度ははっきりとした声が聞こえてきた。


「こっち、こっち!」


─待って! この声は……。


思わずその声のする方へ顔を向け、視線を上げるとそこには七子が会いたくて仕方なかった頼人の姿があった。

「よお!」

彼は嬉しそうに手を振って、どうやら駅の外から七子に呼びかけていたようだった。

その姿を見た瞬間、七子の心はじんわりと温かいもので満たされていくようだった。

「……頼人っ!待ってて!そっち行くね!」

そして彼と目が合うと、自分の表情筋は勝手に笑顔を作っていた。

七子は、ヒールの音を響かせながら彼の待つ駅の外へ小走りで向かう。


息せき切って、やがて二人はお互いの距離が近づくと、そのまま勢いよく抱き合った。

久しぶりに頼人の匂いに包まれた七子は、彼の逞しい背中に手を回して、痩せているが固く締まっている筋肉を感じた。

「……来てくれたんだね。ありがとう、頼人」

そうして彼の胸に顔を埋めて強く抱き締めていると、Tシャツを通して七子の頬に頼人の鼓動と体温が伝わってきた。

彼に会うことができて嬉しい、ただそれだけだった。

「いや、もう……七子に会いたすぎてさ、めっちゃ急いで来た」

するとそれに答えるようにして、頼人も七子を強く抱きしめる。

まるでお互いの存在を確かめるように、二人の存在を分かち合うように……そんな彼らの積み重ねてきた愛を感じる抱擁だった。

ただ無言で抱き合っているだけなのに、不思議と満たされていく気がした。
このまま時が止まってしまえばいいと思うほどに。

それからゆっくりと離れると、二人は見つめ合いながら微笑みあった。

「初めはさ……俺んとこの駅にいたけど、七子がここにいるって言ってたから車で飛ばして来たんだ」

七子は、あのメールのことかと合点がいったようで小さく相槌を打った。

「うん、ありがとう頼人ぉ」

すると頼人は泣きそうになっている七子の頭を優しく撫でる。


「久しぶり、七子。……元気にしてた?」


「うん……!」


その手つきはまるで壊れ物を扱うかのように繊細だったが、七子にとっては心地よいものだった。

ついつい甘えるように頼人の手に擦り寄ってしまう。


そして七子は、彼の太陽のようなキラキラとした瞳をじっと見つめる。

すると彼も何かを感じ取ったのか、七子の肩に手を置くと引き寄せるようにして、二人の距離はゆっくりと縮まっていく。

互いの吐息が混ざるくらいの距離感で二人は何も言わずに見つめ合うと、そうしてどちらからともなく目を閉じて唇を重ねた。


軽く触れるだけの優しい口づけですら、今は一番幸せな時間だと感じた。


そして再び目を開けると、七子は何となく気恥ずかしそうにしていた。
そんな七子の姿を見て、頼人は愛おしさが込み上げていた。


─可愛いなあ……もう。


もっとキスをしていたいと思う気持ちを抑えつつ、彼女の頬に触れるとその柔らかさにドキッとする。
そのまま親指を動かせば肌触りが良くて、いつまでもこうしていたいと思った。

だがあまりやり過ぎると怒られるかもしれないと思い至るとゆっくりと手を離し、すぐにハッとすると頼人は慌てた様子で言った。

「七子、誕生日おめでとうな!」


「ありがとう!」


そうして二人は近況を話して、しばらく談笑していた。

七子は、頼人の訓練や演習の話を聞くのが大好きだった。
銃を撃っただとか、掘った穴に隠れていただとか、とにかく非日常なことばかりでとても興味をそそられるからだ。

そして何より頼人が色々な表情で話すのを見て、七子は楽しい気持ちになるのだった。


すると頼人が思い出したかのように口を開いた。


「そう言えば、プレゼントも持ってきたんだよなあ」


そうして頼人は駅のパーキングに停めてある自身の車の中から、小さな紺色の紙袋を取りに行くとそれを手渡した。


「わあ!ありがとね、頼人……!」


「喜んでもらえて、俺も嬉しいよ。それ、開けてみ!」


七子が嬉々としてそれを受け取ると、頼人は早速開けるように促した。


「どれどれ……何かな、何かなあ?」


言われるがまま、七子が紙袋から綺麗なローズレッドの色をしたベルベット生地でできたハート型のケースを取り出した。

そしてその肌触りの良いケースの蓋を開けると、中にはシルバーに輝く指輪が入っていた。

そのデザインはとてもシンプルだったが、中央のソリティアには光り輝くダイヤモンドが一粒埋め込まれており、その周りには蔦を模した装飾が施されていた。


「え……うそ、頼人……これって……」


七子は驚きのあまり、言葉を失っていた。
頼人がこれを自分にくれた意味を、考えずにはいられなかったからだ。


すると頼人は照れくさそうに頭を掻きながら、頷いてみせた。


「でも、ごめんな……大切なことなのに、雰囲気なくて。どうしても今日渡したくて」


そして七子がその様子を目にすると、堰を切ったようにぽろぽろと大粒の涙を流し出した。


「ううん……そんな、こと……!」


まさかプレゼントの中にプロポーズリングが入っているとは想像していなかったようで、驚きと嬉しさで感情が自分でも分からないくらいだった。

すると頼人は少しだけ困ったような顔をして言った。

「わっ、そ、そんなに泣くなって……な?七子」

そんな彼の表情を見て、やはり勘違いではなく同じように考えてくれていたのだと思うと、さらに暖かく幸せな気持ちが広がっていった。

「七子、ちょっと貸して」

そう言うと頼人は、一粒のダイヤモンドが付いたプラチナリングを持つと、七子の左手を取って薬指に優しく嵌めた。

七子は溢れる感情を抑えきれずに、頼人の胸に飛び込んだ。
そんな七子の身体を優しく受け止めると頼人は、ぎゅっと強く抱きしめた。

そして七子の耳元で、いつもより低い声でそっと囁いた。



「俺と結婚してください」



七子は小さくこくりと肯いて答えた。


「こんな私でよければ……よろしくお願いします」



「……よ、良かったあ!」


するとその返事を聞いた頼人は、心底ほっとしているようで抱きとめていた腕を離す。

しかしその一方で七子はまだ実感がわかないのか、涙を浮かべたままの瞳でじっと頼人を見つめているだけだった。
するとその視線に気付いた彼は、優しい表情を浮かべて口を開いた。


「これからは、どんな時も一緒だな」


頼人のその言葉で、ようやく七子はプロポーズをされたんだと実感することができたのだった。

七子が大好きな、頼人の子供っぽくて眩しい笑顔がそこにはあった。

その笑顔を見ているだけで、嬉しくなって思わず笑みがこぼれてしまうような、今まで抑えてきた想いが次々と溢れ出してきた。

ずっと一緒に居たい。

もっと触れ合いたい。


「頼人……愛してる」


その言葉を聞いた彼の目は、いつものように暖かく慈愛に満ちた眼差しをしていた。


「ありがとう。七子、俺も愛してる」


そして二人は見つめ合うと、互いに引き寄せられるように再び唇を重ねた。
何度も柔らかな唇を啄みながら、まるで吐息まで飲み込むような甘いキスだった。


やがて名残惜しそうに唇が離れると、そこには幸せそうな表情をした二人がいた。


この先もずっと、頼人と二人で歩いていく。

そう思うだけで、七子の心は満たされていくようだった。



それから二人は手を繋いで、頼人の車に乗り込むと家路に着いた。

風は相変わらず強いが、もうそんなことは気にならなかった。

繋いだ手から伝わる彼の体温が心地良くて、その手にぎゅっと力を込めた。

それに気づいた彼が優しく握り返してくれる。


それがたまらなく幸せで、この気持ちをどう表現したらいいのか分からなかったから、言葉よりも気持ちを込めて頼人の指に自分の指を絡めた。


それはきっと頼人にも伝わっているはず。






貴方はいつも私の影を照らしてくれる。



そんな貴方は、きっと私の太陽。




Il sole mio
オー・ソレ・ミオ = 私の太陽


fin.

[ この小説の冒頭の一文は、長文お題として永遠少年症候群様からお借りしました。]




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