※「花」の法正目線
「どうにも仕事が減らんな……ああ、うんざりしてきた。」
積み重なる書簡に嫌々目を通し、軍議に参加し、延々と意見を述べる。毎日が切羽詰る繰り返しでいい加減嫌になってきてしまった。とはいえ鬱憤晴らしに報復する相手もそうそういない訳で、お陰で最近この手は汚れていない。
時折部屋の前に置いてある文に目を通せど然程興味もなく、女が傍に寄ろうが媚びるばかりで目もくれない。
「……出るか。」
法正はそう気怠く呟いて外に出る、出なければ気がどうにかしそうだった。しかし気分転換に町まで向かうつもりが、いつも通る道が先日の豪雨ですっかり泥濘んで先に行けなくなっていた。
「………。」
今更戻るのも面倒なので、別の道から迂回して向かう。一度も通った事はないが、大方町には繋がっているだろう。
想像していたよりその道は閑散として建物が少ない、人の気配もなく葉を揺らす風の音だけが耳に入っていく。
「…………ん。」
暫く歩いていると木々の隙間から一つの建物が見え隠れする。近付けば人が住むには少しばかり古い屋敷で、同じく静寂が広がっていた。今となっては空家だろうか、過ぎ去ろうと歩み始めた瞬間。
「…………?」
微かにだが、この家から女の声が聞こえた。気になり死角から顔を覗かせると庭で一人足をぶらつかせる少女の姿、その表情は何処か孤独を思わせる。
「…………ふぅ、毎日がこんなのの繰り返しで……嫌になってくる。誰にも縛られずに、外の世界に行きたい……。」
今にも泣きそうな声で灰色の空に向かって訴える。その言葉の深い意味は理解出来ないが、何となく同情出来る気がした。
「ななし様、果物持ってきました。」
すると部屋に入ってきたのはこの家に雇われているであろう人物。果物を乗せた器を微笑んで彼女の傍に差し出した。
「あ、美味しそう……あの、良かったら一緒に……。」
「申し訳ありません……折角のお誘い嬉しいのですが………。」
「……いえ、私の我儘で親には迷惑かけられませんから……ごめんなさい。」
どうやら名はななしと言うらしい。親には迷惑かけられないという台詞、つまり親の言いつけで外に出られないという事か。箱入り娘にも限度というものがあるだろうに、ここまで自由を奪われていればさぞや窮屈だろう。
「…………。」
切れた果物を口に運び物憂げに俯く姿、何故かは分からないが今までにはない感情が沸き上がってくる。
「………ああ。」
そうだ、俺は気分転換に町に行くんだった。
「この花いくらですか。」
気が付けば俺は一輪の黄色い花を携えている。どうしてこんな事をしているのか自分でも理解し難いが、それでもやらなければどうにも気が済まない性分のようだ。他にもぶらりと店を見て回るが頭を過るのはあの少女の事ばかりで、らしくないと振り切り歩みを早めた。
帰るとすっかり日は暮れ、夕餉の支度で僅かに慌ただしい廊下。部屋に入るとやり残した執務が雪崩れて無残な状況だ。我ながらこんな事は珍しいが、それでも今日は虚しく終わっていく。
だが明日の夜明けを迎えれば少しは違うかもしれない。
睡眠を出来るだけ浅くして目を覚まし、そして日が昇る少し前に向かうは例の少女の元。その手には昨日買った黄色い花。
「…………ここなら平気か。」
人に知られぬ様に音を殺し、広い庭へと足を踏み入れる。誰もいない事を確認して縁側にそっと花を添えた。
「……はっ、俺は一体何をしてるんだか。」
くだらんという捨て台詞で片付けるには少々気が引ける。
ならば一種の慰めや同情という意味でこんな事をしているのだろうか。はたまた何れ恩返しをして欲しいのだろうか。いや、もっと別の意味を持っている。寂しさではなく、もっと別の感情を。
そうして定期的に花を添えてはいつしか日常化していく。しかし嫌という気持ちには不思議となれずにもうすぐ訪れる運命の日までそれは続けられた。
浅い眠りから醒めれば今日も繰り返しの日が始まる。町へ征く道もすっかり乾き通れるようになっているが、それでも向かう先はいつもと同じ場所。さて何時まで続けるか、そう考えながら足を踏み入れるが、それは安易に切り崩された。
「…………だ、れ?」
掠れた声が向けられた。そこに立ち尽くすはあの少女、まさかこんな時間に起きているとは、我ながら軽率且つ迂闊だった。
「どうも、こんばんは。」
しかし決して焦りも揺るぎも見せない。手ぶらの左手、右手の赤い花。
「…………。」
そりゃ不審がっても可笑しくない。見知らぬ男が花を添えに来ているなど、余程の異端としか考えられないのだから。
どうせ助けを呼ぶ若しくは逃げるに違いないだろう。そう頭で理解しつつも何事も無いように縁側に花を置いた。これで俺の細やかながら変わった日常は終わり、再びつまらぬ日常が迎えに来るのだ。
だが、少女は声も上げず一歩も退く事はなかった。
「あの…………花、もしかして。」
あろう事か話しかけて来る始末。
「…………ああ、勝手にすみません。知られてしまった以上これで最後にしますから。」
淡々と言葉と踵を返して来た道を戻ろうとするが。
「いえ………むしろ、会いたかった……です。」
その瞬間歩みは止まり、凍てついていた心が少しずつ溶けていくのを感じた。彼女は一切忌避しない、恐れない。振り返り少女の表情を伺えば想像とは違った美しい微笑みであり、その眩さ故、闇に慣れていた瞳は目眩を引き起こしかねなかった。
「普通嫌でしょう、見知らぬ男がこんな事していたら。」
「いえ、その花は導いてくれた。私……独りで寂しかったから……。」
「……………。」
「ずっと誰だろうと思っていて……会いたい、そしたら貴方に出会えて。」
こんな悪党に出会ったが最後だ、なんていう言葉が出かかるが勿論それは心の中で始末する。しかし漸く俺がこんな馬鹿げた事をした理由が見つかった。結局彼女と同じだったのかもしれない。
「不思議な方だ。」
「そんな貴方もです…。」
彼女の目はあの時と違って満たされたように優しげであるが、ぎゅっと強く手を握り締める仕草から何か俺に言いたい事があると認識した。
聞きたい事は分かっている。どうして花なんて寄越すのかだろう、そんなの決まってる。
そう、俺はいつの間にか。
「………あの、もし良ければ…私と……。」
恥ずかしそうに、しかし何処か苦しげに俯きながら呟く言葉。
気が付けば朝日はそこまで迫っていた。ああ、もうそんな時間か、彼女は眩しそうに目を細めてこちらを見ている。名残惜しいが、今はこの眩しさに紛れて立ち去るとしよう。
「待って……!」
光に目を塞がれても尚必死に伸ばされる手。空回りするその細い手を静かに握り返して赤い花を代わりに置いていく。
「ななし。……俺の名はーー」
嘗て耳にした名と己の名を残してその場から消える。もう二度と会えない訳ではない、貴女が俺に会いたいと望むのならば幾らでも花を贈りに行ってやる。ああ、別に恩返しは必要ない、俺がやりたくて勝手にした事だ。
「……………。」
家を背にし遠目に眺めるは対して綺麗とも思わなかった朝日。不思議と気持ちは清々しくそれは屋敷に戻っても変わらなかった。
「ああ、こんな悪党に似つかわしくない恋ですね。」
自分を嘲り笑うが、否定はしない。たまにはこういう可笑しな道も悪くないだろう。彼女のお陰でつまらぬ日々は終わるのかもしれない。
そうしてななしを外の世界へ連れ出すまで、あともう少し。
(繰り返す孤独な世界はもう要らない)