透明な夜をゆく
審神者は決して酒には弱くない。
先祖代々酒飲みの家系であり、事実母方の親戚にも父方の親戚にも「飲めるけど飲まない」というタイプの人間はいるが下戸はおらず、どころかそういった人をも含めて酒豪揃いだ。正月などに親戚が一堂に会すると飲めや歌えやの無礼講となるが、何本一升瓶があいたところで酔いつぶれる人間はいない。
そんな酒好きの一族の中にいれば、いまだ成年に達していないとはいえ「高校生なら正月ぐらい合法だ!」と言ってガッハッハと笑うおじさん連中にぐいぐい酒を飲まされる(「もう成長することもないだろう!」という余計な一言つき)。さすがに日本酒は勧めてこないが、ビールを飲んで苦いとでも言おうものなら散々馬鹿にされてしまうのだ。
普段は穏やかながら生来の負けず嫌いである審神者は、したがってまだ成人を間近に控えた年齢でありながら酒は様々いける口であった。政府からボーナスのつもりか褒章なのか、月に一度大量のお酒が届けられる宴会の日が、だから審神者は楽しみだった。
「そっちまだ酒あるかー?」
「おつまみの追加作ってくるね」
月に一度、本丸にいるすべての刀たちが集うこの日は、普段は広く見える大広間さえ小さく見える。グラスが空くと目敏くビールを注がれるため既にかなりの量を過ごしてはいたが、血脈からの酒豪というのは便利なものである。顔色を変えないままに次々瓶をあける主に対し、岩融は瓶を片手にガッハッハと親戚連中と同じ笑い方をした。
「いつもながら良い飲みっぷりだな! 見ていて清々しいわ!」
「瓶で飲んでる人に言われたくありませんが。グラス取ってきましょうか?」
「いいや。そんな硝子の小さな細工、俺が手を触れただけで壊れてしまいそうだからな」
ちなみにこれは偽らざる本音である。肉体を得て慣れた今はそうでもないが、顕現した当初は箸を折るわ椀を握りつぶすわで大変だった。もうそんなことはないのだが、硝子製のグラスを扱うのは未だに怖いらしく、食事の際岩融が使うコップはピンクのうさちゃんの子供用コップである。ちなみに今剣は色違いのイエローのうさちゃんを使う。
ふと上に影がさした。見上げると、堅さもテンションもまったく違う、それでも案外気が合うらしい二人がそこにいた。
「主、枝豆はいかがですか」
「ついでに酒も持ってきたぜ」
「おお、気が利くな!」
楽しげな岩融の言葉に迎えられて、一期と連れ立ってやってきた鶴丸がとっくりとおちょこ片手によっこいせと審神者の隣に座る。
「ビールも美味いがそれだけじゃ腹が膨れちまうからな。そろそろこっちに変えたらどうだ?」
「んー、そうですね。いただきましょうか」
審神者が最も好むのはビールである。まだ子供舌であるらしく(そもそも成人にぎりぎりとはいえ達していない)日本酒や焼酎などの味や匂いの強さ、酒そのものみたいな風味は苦手だった。だが以前日本酒も飲める、と小さな嘘をついてしまった手前、苦手だと言って断るのも気が引ける。
「岩融殿もいかがですか?」
気を利かして自分たちのもの以外にも二つ準備してきたらしい。おちょこ片手に問う一期に、岩融はふるふると子どもみたいに首を振った。大きく豪快なこの薙刀は、いつも連れ立っている今剣の影響か時折仕草が幼い。
「いいや、俺は遠慮しよう。そういう小さいのは握りつぶしてしまいそうでな」
「かといって一升瓶をラッパ飲みしたらさすがに総スカンくらいそうですもんね」
スーパーなどで格安で売っている銘も何も関係のないようなただのアルコールみたいな日本酒ではなく、それぞれちゃんと銘のついた美味い酒である。それを一瓶丸ごと独占したとあっては、酒好きの多い刀剣男士達の視線も痛い。
おちょこに並々注がれる透明な液体を少し憂鬱な気分で見ながら、審神者は白い鶴に目を向ける。銘柄はなんだろう、ととっくりを覗くと鶴丸は笑った。
「国士無双といってな、北のほうの酒らしい」
「……めっちゃ強そうですね」
ただ好まないだけで、飲めと言われれば青汁以外は何でも飲める。苦味ではないがなんともいえないアルコールの味を覚悟してちびりと嘗めるように口をつけた審神者は、あ、と声を漏らした。
「おいしい」
「名前に反して甘いだろう。飲みやすいから飲みすぎには注意だ」
少しぬるめに温められた酒からは、ふわりと甘い香りが立った。美味い酒は匂いも味もすべてを楽しめるのだと思った。その匂いにつられるようにして、もう一口。
記憶力の良さと観察眼の鋭さに定評を持つ一期一振は、にこりと優しい笑顔を浮かべた。
「お気に召したようで何よりです。以前日本酒は苦手だと仰っていたような」
「これなら飲めるようです。とてもおいしい」
言ってしまった後で、以前の小さな嘘が頭をかすめる。『最近日本酒が好きなんです』なんていう他愛のない嘘を、気付いているのか気付いていないのかわからないいつも通りの表情で、鶴丸は「おっ」と楽しげに言った。
「あっちで酒飲み対決が始まったみたいだな」
めいめい好きなジュースを手にした短刀たちやその他の刀たちに囃されながら、その真ん中に立っているのは陸奥守吉行と、なんと江雪左文字。腰に手を当てビールを一本一気飲みをするその意外な組み合わせに、一期が呟く。
「……陸奥守殿はともかく、江雪殿は酒に強い方でしたっけ……?」
「いや、江雪さんはむしろ潰れてるクチじゃありませんでしたか……?」
一期と審神者の心配をよそに、二人はぐいぐいと瓶を傾け、ついに一本空け切った。やんやと称える刀たちのなか、茹蛸のように赤く染まった江雪左文字は、いつも通り世を儚む憂い顔で瓶を置くや否や、慌てて支えようと駆け寄った短刀たちを押しつぶすようにしてぶっ倒れる。
「言ったでしょう……酒は嫌いだ、と……」
「わっ⁉」
「江雪、大丈夫か⁉」
「しっかり! 意識を保って!」
「ちょっと、だからやめろって言ったじゃん!」
「はっはっは、売られた喧嘩は買わにゃあ!」
江雪を慌てて介抱する面倒見のいい薬研や鯰尾、ぎゃんぎゃん噛みつく清光とさっぱりした顔で笑う勝者・陸奥守。土佐はやはり酒豪揃いだなあと実家を思い出しながら前歯で枝豆を噛んでいると、戦い好きの大薙刀が立ち上がる。
「がっはっは面白い、俺も挑んでくるとするかな!」
「私も行ってまいります。弟たちだけだと可哀想なので」
面倒見のよさでは本丸トップに座する粟田口の長兄もそれに続いて立ち上がり、鶴丸もにやっと口の端を持ち上げた。
「きみも一緒に挑むか? ここらで主としての威容を示すのもアリだろう」
「…………」
ここで酒を穏やかに飲む時間をとるか、騒がしく楽しい時間をとるか迷ったが、あの場を放置するのもなんとなく抵抗があった。鶴丸に促されて立ち上がり、やんやと騒ぐ刀たちの方に混ぜてもらいに行く。
結果から言うと、その場で酒豪対決が始まり、最終的に審神者が勝利した。既にかなり酒の回っていたらしい土佐の刀は二回の勝負を経て岩融に沈められ、その岩融は次郎太刀との勝負のさなか倒れることはなかったもののかなりふらふらになってしまい、今剣に「いわとおしがつぶれてしまったらだれのてにもおえません!」と至極まっとうに諭されりんごジュースに切り替えた。
最後に残った次郎太刀との真剣勝負の末、太郎太刀を押しつぶしてひっくり返った次郎太刀を背後に、余裕の表情で口を拭う審神者にやんやと短刀たちが群がった。きらきらとした穢れなき目を見るとつい目をそらしたくなる衝動が生まれるが、審神者は苦笑いしながらそれらを受け止める。
「主君、格好いいです……!」
「あんためちゃくちゃ強いとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったぜ!」
「まさしく主殿は刀をとらぬ無双の戦士、本丸最強の酒豪にあられますなあ!」
「……ありがとうございます」
非常に複雑な気分で称賛を受けながら、過ぎた酒が足の方にきていることに気が付いた。酒豪一族と酒豪一族の間のサラブレッドとはいえここまで酒を飲んだのは初めてだ、そろそろ水で流して寝ておいた方がいいかもしれない。そう思って優秀な近侍の姿を探すと、兄に構ってほしい盛りの無邪気な短刀たちの相手をしながらめったに見せない和らいだ笑顔を浮かべていた。
これは邪魔したくないなあ、と逡巡していると、周囲で無責任な野次を飛ばしながら酒を酌んでいた鶴丸がひょいと顔を覗きこんでくる。
「どうした、酔ったか?」
「あれだけ飲んだらさすがに酔います」
苦笑いしながら言うと、じゃれついてきていた短刀たちが凍り付き声を一変させた。
「えっ……! しゅ、主君、大丈夫ですか……⁉」
「あれだけのんだらあたりまえです! はきますか? まーらいおんですか?」
「お水をお持ちしましょうか?」
今にも審神者がぶっ倒れてしまうんじゃないかと戦々恐々としている彼らに対し、いやいやと手を振ってみせる。
「大丈夫ですよ、江雪さんとか陸奥守さんみたいにはなりませんから。だけどそろそろお水を飲んで寝ようかな」
「わかりました、いち兄―――」
大声で呼びかけた秋田を遮り、「一人で大丈夫ですよ」とささやく。ですが、とちょっと眉を下げる秋田に対し、鶴丸が指を一本立てながら笑った。
「せっかく月に一度の無礼講なんだから一期一振に構ってきてもらえよ。主の面倒は俺が見るから」
少し鶴丸に悪い気はしたが、普段忙しくしている一期に構ってもらいたい弟達の気持ちと、弟達を構いたい一期の気持ちを考えると簡単に心は決まった。困った顔でちらりちらりと交互に審神者と鶴丸を見上げる短刀たちに、少しかがんで顔を近づけ審神者は小さな声で言う。
「鶴丸がいるから大丈夫ですよ。一期が気づいちゃうとこちらに来てしまうかもしれないから、私はこっそり休むことにします」
「はーい」
「主君がそう仰るなら……」
「おやすみなさーい」
小さく控えめな挨拶をしながら、短刀たちはそれぞれの方向へ散っていく。審神者は白い鶴を見上げた。
「ごめんなさい。せっかくの宴会なのに、気を遣わせてしまって」
「いや、面白いものを見せてもらったから構わないぜ。きみがまさかあの次郎太刀に勝てるほどの酒豪だなんて驚きだ」
「次郎さんは岩融さんとの勝負ですでにマイナススタートでしたからね、腰を据えて飲み比べたらわかりません」
「ま、サイズが違うからなあ」
面白そうに喉の奥で笑ってから、「いこうぜ」と鶴丸は促す。一歩踏み出した瞬間、床がひどく頼りなく柔らかいような気がした。少しふらついた審神者の腕を優しくつかんで、鶴丸は普段の騒がしさからは想像もつかないほど静かに大広間を出た。
多くの刀が集まっていた大広間は、暖房などはそこまで強く焚いていなかったのだがやはり温度があがっていたらしい。火照った頬に冷たい冬の風が心地良い。
「台所にいって水を飲んで、洗面所で歯磨きして、寝ます」
宣言すると、そうだな虫歯になったら困るもんな、と笑って鶴丸は審神者の頬に冷たい手をあてがった。
「本当に大丈夫か? 人はアルコールで死ぬだろう」
「サラブレッドですから。鶴丸は酔ってないんですか」
「それなりに酔っちゃあいるが、刀は酒では死ねないからな」
「……たしかに?」
人型とはいえあくまで付喪神である。アルコールの分解酵素の限界はないし、したがって限界を超えて中毒死することはない。
そういい始めるとどうして食物を摂取しているのか、そもそも分解はどのようにおこなっているのかなどの疑問が浮いてくるが、深く考えてはいけないのだと審神者は自らに言い聞かせた。
風の匂いは完全に冬の夜だった。すんと空気を嗅ぐと、冷たい凛とした匂いがする。夜風にさらされ鶴丸がぶるりと震えた。
「あー、冷えるなあ」
「人の身をとると不都合も多いでしょう」
たとえば今日のような寒さとか。とはいえ同じ姿をとっている彼らが周囲の世界をどう感じているのか、人の子である審神者には想像もつかないが。
鶴丸は快活に笑った。
「まあな。ただその分、鋼の身では感じられない喜びもたくさんある」
腕を掴んでいた手でするりと審神者の手をとって、台所へ向かう。
冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスになみなみと注ぐと、鶴丸は「そら」と差し出した。おとなしく受け取って、ひといきに飲み干す。無言で空いたグラスを差し出すと、無言のままもう一杯注いでくれた。「ありがとう」とそれを飲み干して、流しにおく。
洗っておこうかと思ったが、どうせこの後大量の洗い物が出るはずだ。鶴丸が笑った。
「酔っ払ってる時くらい甘えておこう」
「そうですね。鶴丸はいりませんか?」
「刀の身だからな、明くる日に障ることはないから大丈夫だ」
「私も刀になりたい」
「刀に勝つザルが何を言っているんだか」
「殴りますよ」
「はは」
もう一度手を取られ、洗面所へと連れられていく。審神者を導くように一歩先を行く鶴丸の、華奢な後ろ姿を見ながら冬の匂いを感じる。歯磨きを済ませ再び通った大広間の前で、審神者は鶴丸にぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました。鶴丸は宴会を楽しんでください」
「何言ってんだ。ここでお役御免なわけがないだろう」
「でも美味しいお酒がまだまだありますよ」
「酒ならいつでも飲めるが、このお役目は次いつ回ってくるかわからない」
一期一振はまじめだからな、と笑って有無を言わせず鶴丸は審神者の手を引いた。再び歩き出しながら、これはなんだか覚えがあるぞ、と思った。小さなころ、父に、母に、兄に手を引いてもらった記憶がよみがえり、ぽつりとつぶやく。
「なんだか子ども扱いされているみたい」
「子どもだろう。いくつ下だと思っているんだ」
「私が子どもというよりも、あなた方が類稀なるご年配なんです」
「要するにじじいってか。ははは」
「じじいどころの騒ぎではない」
歴史の教科書の中盤より少し前くらいに載っている時代から存在していた白い太刀は鷹揚に笑った。手を引かれながら、ふとぬる燗の甘い酒を思い出す。
「あれ、すごく美味しかったです。あの、鶴丸が注いでくれたやつ」
「国士無双か? きみはああいう酒が好きなんだな」
「うん、すごく飲みやすかった。ほんとは日本酒苦手だけど」
何も考えずに言ってしまったあとで、あ、やらかした。と思った。おもわず背中をちらりと伺うが、一歩先をいく白い背中からは表情がにじまない。
「あれは北の甘さだな。だけどビールも好きなんだから、いつか辛口の良さもわかるぜ」
「……鶴丸がお酒の味を知ったのも、ここ最近のことなんじゃないですか?」
「長い年月を経るとな、己で体験せずともいろんなことを知っているのさ」
まだ小娘にすぎない審神者には想像もつかないほど長い年月を越えてきた刀は、「とはいえ」と含み笑いをしながら言葉をついだ。
「自ら体験するのはまったく違うもんだな。想像していたものと違うことはほとんどないが、わかっていても心は驚くし、感じて動く」
そういいながら鶴丸は手を引く手に少しだけ力を込めた。柔らかに包むような優しさにほんの少しだけ甘えたくなったから、鶴丸の横に立って腕にすり、と頬を寄せる。見上げると彼はほんの少し驚いたような顔をして、この上なく優しくゆっくりと目を細めた。
「なんだ、甘えんぼだな」
「酔っ払っているので」
「ザルがよく言うよ」
「殴りますよ」
「それはご勘弁」
ふわりと甘い匂いがして、白い装束ごと抱え込むように鶴丸は審神者を抱きしめた。あたたかさに目を瞑ると鼓動の音が聴こえたから、人の子である審神者に付喪神の生の仕組みがわからなくとも、このひとは確かに今ここで生きているんだな、となんだかうれしくなった。
しばらくそうしていたあと、鶴丸はゆっくりと腕をとき、その金の瞳で彼女を見つめて優しく笑って、そして再び手をとった。
「行くか」
「うん」
心がなんだか弾んでいた。
広い本丸の廊下が、このままどこまでも続いていけばいいと思った。
手と手を繋いでおおきく振りながら、刀の神と人の子は、優しく透明な夜を歩いていく。
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