ごめんね好きだよ、なんて。
最近、やけに暑い。妙に暑く、内側からじんわりと汗が噴き出す様だ。日差しも強く、暑さにやられてしまうのなら髪を纏めてくれば良かった。――と思っても、この気温の中で身体を動かす気力は無い。今、美華はシースルー素材のパーカーを着用しているが、やはりべたつく感覚は否めなかった。そんなコンビニからの帰り道、彼女は異様な光景を目にする。
「ちょっと、あれ!」
「いつもこんな道通って散歩してるの!?」
「今まで生きてたのが不思議だわ!」
「……何やってんの?」
電柱の陰からちらり、と顔を覗かせる自身の友人らは端から見れば不審者である。そして、そんな彼女らの目線の先にはブロックの上を危なげな足取りで進むちびちびの姿があった。――まあ、ちびちびは分かる。危ない場所ではあるが、散歩であろう。けれど、この女子高校生たちは何なんだ。どれだけ考えても尾行する要因など分かる筈もない。そう結論付けた美華はうさぎらに声を掛けたのである。
「美華!」
「電柱の陰なんて不審者みたいだよ」
「ちびちびちゃんがいつも一人で行く場所知ってる?」
「え、ちびちびちゃん?」
「すっごい気にならない?」
「え?いや、そんなに…暑いし」
十何年もの間で随分と聞き慣れてしまった声音で「うさぎ」と呟かれては、呼ばれた当の本人は嬉しげに顔を綻ばせた。そんなうさぎの様子に思わず苦笑を漏らしながらも、美華は亜美らに言葉を掛ける。美奈子曰く、「ちびちびの行き先が気になるため、尾行していた」らしい。――正直、心底どうでも良い。でも、正直にそんな事を言ってしまえば拗ねられる事は必須だ。だから言葉を濁し、話を逸らそうとしたのだがそんな美華の努力さえ無駄になるらしい。
これで、美華も「不審者」の仲間入りとなるのである。
うさぎらの勢いや流れに乗ってしまった美華は、うさぎらと共にちびちびを尾行する事となった。ちびちびは商店街を通って行き、駄菓子屋や八百屋の人々に声を掛けられている。――急に現れたのにも関わらず、何故こんなにも人脈が広いのだろうか。そんな疑問を
「ごめんなさい!もうしません!」
「遅刻しません!ちびちびのおやつも取りませええん!」
「ちょっとうさぎ!あんな子どものお菓子取ってんの!?馬鹿じゃん!」
「ちびちびちゃんには懐いてたのに!」
「私達には懐かないみたいだわ!」
「こんな下心満載な人間に懐く訳じゃん!もうほんとやだ!」
先程までの余裕綽々な態度とは打って変わり、美華を除くうさぎらは後ろに迫り来る犬から必死の形相で逃げる事に専念していた。そんな同級生の泣き言一つ一つに、律儀にも言葉を返す美華はただの馬鹿と言うべきか、究極のお人好しとも言うべきだろうか。ちらりと後方に視線をやれば、予想よりも遥か近くでだらだらと涎を垂らす犬が居た。――やっぱりここの犬怖いよ!――美華までもが泣き言を口にしたくなったその瞬間、目の前にスリーライツの綺麗な顔が視界に映り込んだのである。ここは勢いでしかない。そう心に決めた彼女は夜天の腕を掴み、力の限り引っ張ったのだ。
「お前って本当あいつらに良く巻き込まれるよね」
「わざとじゃないんだってば……」
「あいつって、お前の妹じゃねえの?」
あの後、夜天を含むスリーライツを連れて商店街まで戻って来た美華は肩で息をしていた。やはり運動不足なのだろうか、どうにも呼吸が苦しい。コンビニで買った筈のジュースとアイスはとっくの昔にぬるくなっており、そのまま捨ててしまった。――ああ、もったない。――そんな美華を見兼ねた夜天は、近くに設置されている自動販売機で買った飲み物を差し出してくれた。こくり、こくりと喉を軽く鳴らし、漸く一息つく。そんな時、彼女の耳にうさぎの叫び声が入って来たのである。またじゃれ合っているのか、と呆れるも大気の表情を視界に収め、どうやら違うらしい事に気付く。
「……なにか、変ですね」
「気にしないで、ドンマイドンマーイ!」
「ところで何で俺たち、ちび助追いかけてるわけ?」
うさぎの不自然な態度に、大気は眉を顰めているらしい。当たり前だ、彼女のそれはあからさますぎるのだ。思わず額を押さえつつ溜め息を吐き出し、美華は酷く他人の振りをしたくなった。――けれど、そんな事を思っても見捨てられないわたしはお人好しなんだろうな。双眸を緩めたその先では、何やらスリーライツが自問自答を繰り返していた。
――案外、星野くんも思考回路はうさぎと似たようなものなのかもしれない。
あの後、流されるままにちびちびに付いて行ってしまった美華らが着いたのは、表札に「桐山」と書かれた大豪邸だった。その時はつい勢いで入ってしまったが、今思えば犯罪スレスレの行為である。今更になって顔が青ざめて来た美華は、犬との逃走劇の余韻が未だに続いているらしい。そんな中、歩を進める美華の視界にとある物が入った。夜天曰く、「地価1500万円の超お宝」らしい。
大きな窓から中を見れば、かなり高額らしい人形を抱えているちびちびが美味しそうに甘味を頬張っている。その瞬間、抱えていた筈の人形が離れ、それはそのまま床に叩き付けられる事になったのだ。そして、その行動に声を張り上げてしまったうさぎにより、なし崩しでお呼ばれする事となったのである。
「なんか変な日だったなー」
「ちび…」
「そう言えば、うさぎ達は何でちびちびちゃんを尾行してたの?」
「それがね…」
どうやらうさぎはちびちびがお菓子の家に行っているのだと思っていたらしい。しかし現実はうさぎの想像に掠りもせず、その事実に酷く落胆している様だった。あわよくばちびちびのお零れを頂こうとしていたのだろう。しかしその道も潰え、こちらも流されそうな程にうさぎの心は悲しみに溢れていた。そんな幼馴染が見るに耐えなくなった美華は、何処からか食べかけのグミを取り出し、それをうさぎに差し出したのである。――うさぎらしいと言えばらしいのだけれど、やっぱり馬鹿だと思うんだよね。
「つーか、はっきり言ってすっげー馬鹿」
「ま、良いか。面白かったし」
「目の保養にもなったじゃないですか」
「そうだね。ちびちびちゃんの行動も分かったんだし、そろそろ帰ろ…っ」
夜天も同じ事を思っていたらしく、美華の口許には僅かながらに笑みが浮かんだ。――こんな事でさえも嬉しいだなんて、わたしも末期だと酷く思う。けれど、何百年振りに共に居れる空間なのだ。少しだけ、ほんの少しだけは許して欲しい。そんな事さえ願った。――何処か不思議な体験をした一日も収束に向かい、お開きの時間に進んで行くが肝心のちびちびが居ない。どうやらまた探しに行かなければいけないらしい。その事実に思わず溜め息を吐きながら美華はちびちびを探すため、うさぎに付いて行く事となったのだ。
再び訪れた桐山家から響く悲痛な叫び声が、美華とうさぎの鼓膜を震わせる。――その瞬間、星の輝きが、消えた。まさか、取られたのか。ギリ、と歯を食い縛り、思い切って扉を開ければ、そこには敵に成り果てた桐山が立ち塞がっていたのだ。
「ごめんなさいい弁償します!いくらですか?」
今回の敵は、物を使って攻撃して来るタイプらしい。戦う場が屋外であったらまだ融通が利いたのかも知れないが、今回は建物の中なのだ。しかもその建物は大豪邸であり、その中にある殆どが何百万もの価値があるお宝である。そんな物を投げられたら、受け止める他に術がないのが現状だ。――四肢を駆使しながらもムーンは頑張った方だろう。しかし、一番高価な物を落としてしまったのだ。その価値は500万、気の遠くなる程の値段である。そんな頭を押さえたくなる様な会話をしている間にも、物は投げられて行く。――なんつう緊張感のない戦いなんだろう。思わず溜め息を吐きたい欲求に駆られる中でも次第に増える破壊音は、隔離されている美華の耳にさえ届いていた。
床一面には割れてしまったインテリアの数々が欠片として散らばっており、誰がどう見ても敵の機嫌は急降下している。ちらり、とムーンの顔色を覗き見れば、かなり青い。――でも、ムーンは十割十分悪くないんだよな。そんな事を心中にて呟いた時、恨みの籠った敵の声音が広々とした空間に響き渡ったのである。
「な、何と言う暴挙…セーラームーン、許すまじ……!」
「なに言ってんのよー!暴挙はそっちでしょー!?」
「うるさい!まずはその女からだ!」
「へ…っ」
――今思えば、この時のわたしはかなり気持ちが浮ついていたような気がする。雰囲気に呑まれちゃったのかもしれない。さっきの嬉しさだとか、幸せに浸っていたのかもしれない。だから気づかなかったの、あなたがいたなんて。見えてなかったの、飛んで来る鋭利なんて。気付いた時、目の前には既に尖ったガラスが迫り来ていた。目と鼻の先、とでも言えば良いのだろうか。――ああ、避けられない。――その予想は当たり、頬には一本の赤い線が生まれていた。そっと触れた筈なのに、そこからは予想以上の血液が流れて来る。どろどろ、と生々しい紅は美華の白い肌をぬるりと汚して行った。その瞬間、天井にぶら下がっていたシャンデリアが勢い良く床に叩き付けられたのである。
「ああ…バカラのシャンデリアが!」
何処からともなく現れたヒーラー曰く、今落下してしまったシャンデリアはバカラと言うブランド物らしく、かなり高価な物らしい。見た目からして大きいので、その「バカラ」の中でもかなり値を張る物だと言う事が分かる。この場に居る人間の経済面、と言う意味で色々と大変な目に遭いそうである。しかし、それの下では敵が呻き声を上げながら幾度となく身体を揺すっている。どうやら、運良く下敷きになってくれた様だ。――この好機を逃す手は無い。ファイターとメイカーの呼び掛けに従い、ムーンはロッドを振り翳し、敵の浄化を終えた。そんなムーンの輝きを見届けたあと、ヒーラーは脇目も振らずに美華の元へと歩を進めたのである。
「…緊張感持ちなさいよ、馬鹿」
「ご、ごめんなさい……」
頬の痛みに耐え切れずに座り込んでしまった美華と目線を合わせる為に、ヒーラーは膝を折り、しゃがみ込んだ。美華の視界の端には、きらきらと輝く絹糸の様な銀髪とエメラルドの様な瞳が映っている。――近いからかな、いつも以上にどきどきする。頬の血に張り付いてしまった髪を梳かせば指が傷口に触れたのか、ふと美華の肩が跳ねた。そんな美華の表情を横目で見やると、ふるりと睫毛が震えている。――その瞬間、言いようのない何かが込み上げて来るようで、そんな初めての感覚に襲われた。こんな歪んだ感情、プリンセスにも向けた事がないのに。
美華の頬に流れる血液を指で強めに拭い、力を込めて傷口を治す。さっき拭った時の痛さかな、瞳が潤んでいてまるであたしが泣かせたみたいだ。きっと今、空野の視界を独占しているのはあたしだけなのだろう。あたし以外の事など、考えてもいないのだろう。支配欲にも似た感情を誤魔化す様に、ヒーラーは美華の頬に唇を軽く触れさせた。大きな瞳をぱちくりとさせている姿に思わず笑みが溢れる。――言ってしまいたい。けど、まだ言えない。
「…笑ってなよ。調子狂っちゃうわ」
「へ…」
――すきだよ、空野。守れなくてごめんね、なんて。