今だけはわたしの特権
「――え、夜天くんも一緒なの?」
「らしいね……」
「らしいねって…自分で決めたんじゃないの?」
「はあ?本気で言ってる?勝手に入れられてたの」
数週間後に球技大会を控えたとある日、美華と夜天はグラウンドへと歩を進めていた。彼女はうさぎに、彼は星野にそれぞれ声を掛けられていたが、何の用かは知らされていないのだ。と言うか教えてくれなかった。こう言う時だけ息が合うのは本当に何なんだろうか。途中で鉢合わせた大気に話を聞くと、大気も星野にお呼ばれを受けていたらしい。大気を含めた三人が到着したそこには、何時もの賑やかな声達が響き渡っていた。
「優勝とか狙ってたりして!」
「そのつもりらしいですよ」
「え!?」
「夜天くん!」
「大気さん!美華ちゃんまで!」
聞こえて来た美奈子の言葉で今の状況を何となく察した三人は、大気を筆頭にグラウンド内の会話に乱入して行く。他校である筈のレイが居る事に、何も驚かなくなって来た。もう何も突っ込まないからね。フェンスに腕と顔を預ければ、皆の驚く顔が良く見える。ちらり、とうさぎと星野の方に視線をやれば、やる気満々な様子が窺えた。――けど、意味ないと思うんだよなあ。
「負けず嫌いなんだよね、星野」
「でも、優勝は無理だと思いますよ」
「何で?」
「「「「そりゃ、見てれば分かりますって」」」」
面白そう、と言いたげな夜天の言葉も苦笑気味のレイのそれによって覆される事となった。顔を見合わせている彼と大気を見ては、同じ様に苦笑を浮かべる美華に視線を注ぐ。しかし、うさぎの運動神経の酷さを知らない二人に理由など、分かる筈もなかった。――カキン、と言った軽快なバッドの音によって、ソフトボールの練習は開始される。しかし、それは練習と言って良いものなのか、と疑う程に悲惨なそれだった。ボールを追い掛けては小石に躓き、股の間を通過するボールを見送るうさぎに途中までは笑いを堪えていた夜天も、思わず吹き出してしまっていた。――中学の時よりひどい気がするんだけど、これ。
「お、おだんご…」
「これほどひどいとは」
「これじゃ無理だわ……!」
「いやあ…ほんと無茶だと思うよ……」
「…空野さん、あなた、知ってましたね?」
「見せた方が早いと思って」
あまりの運動音痴っぷりに、大気は勿論、星野までもが頭を押さえる他に術は無かった。夜天の隣でフェンスに頬杖をつく美華は、久し振りに見た幼馴染の有り様に乾いた笑みしか零れない。そんな周りの様子に呆れるしか出来ない亜美は、昔の方がマシだったかもなあ、と遠い目で思いを馳せたのだ。そんな時、土手の上にとある人物が仁王立ちをしている。旗の陰で良く見えないが、靡くスカートにより女性と言う事が分かるだろう。その少女は、耳に良く届く声音を高らかに響かせたのだ。
「その程度の実力で星野さまと優勝を目指そうなんて、ちゃんちゃらおかしいですわ」
「お前達、今はプライベートだぞ」
「出すぎた真似だと言う事は存じ上げております。しかし、私達には許せないのです、ちょろちょろうるさいその女が!」
「なによ!?あたしにはね、星野なんかよりずっと素敵なボーイフレンドが…!」
「星野さまより素敵…?」
うさぎを貶す言葉を投げ掛けた人物は、伊集院園子――と呼ばれる少女――である。美華らからすれば先輩と言う立場であり、ソフトボール部の主将を務めているらしい。そして何より、スリーライツ親衛隊のリーダーなのだ。ふと内部戦士らを見れば、園子を崇めている姿を晒している。その理由が会員番号が一番だかららしいが、そこまでの執着心を向けられるスリーライツが一層かわいそうだ。――美華が僅かに引いた目で見ていると、失言をしてしまったうさぎが内部戦士らに押さえ付けられていた。
どうしてもうさぎの存在が許せない園子は、うさぎと星野に賭けを申し入れに来たらしい。それは今度の球技大会にて、園子のチームが優勝したら星野とうさぎの縁は切られ、星野のチームが優勝したら交際を認める、と言うものである。――まあ、実際に交際と言う事実は無いのだが。しかし、その賭けに星野が乗ってしまった事により、交渉は成立となったのだ。そして次に、園子の怒りの矛先は美華に向けられる事となる。
「あなた、最近夜天さまと仲がよろしくてね」
「…それ、あなたに関係がありますかね」
「威勢が良く、潔い態度は認めますわ。しかし、スリーライツは皆のものですの。そこを履き違えて頂かないで欲しいですわね」
「…アイドルとしての夜天くんはすごいと思いますよ。色んな楽器が弾けるし、歌も上手だし、すごく輝いてる。まあ、すごいってだけでそこに魅力は感じてないんですけど」
「オイちょっと待て」
「何ですって……?」
――まあ、来るとは思っていた。けれど、嫌味ったらしい遠回しなその言葉に美華は僅かに眉を顰める。そして、そんな僅かな苛立ちを抑え付ける様に溜め息を吐きながら首筋に爪を引っ掛けた。言葉を紡ぐ間も、彼女は園子と目を合わせない。生憎と、赤の他人に対して笑顔を向けるコミュニケーション能力は持ってないの。そんな意地汚いわたしが第一声から夜天くんを庇うとは限らないでしょう。
ちらり、と後ろの夜天を横目で見つめて鼻で笑うと、彼の顔が歪む。ああ、アイドルがそんな顔をしちゃだめだよ。
「でも、あなた達の知らない夜天くんを知っている、と言う意味では仲が良いかもしれませんね」
「…あなた、喧嘩を売っているのかしら?」
「先に口出しをしたのはそちらでは?」
「空野すげェな、めちゃくちゃ煽ってんぞ」
「すごいじゃないわよ!思い切り喧嘩売ってんだから!」
明らかに園子の苛立ちを煽動する美華の言葉通り、園子の眉間には先程よりも深い皺が刻まれていた。それとは打って変わり、園子を煽った当の本人である美華はにこりと色のない笑みを浮かべている。――一触即発、と言う言葉が妥当であろう。そんな光景を感心した様に見つめるスリーライツの一方で、うさぎらは顔を青ざめさせている。そこで新たに現れたのは、園子の取り巻きであろう少女――植立美波――である。恐らく、夜天のファンなのだろう。苛立ちを煽られながらも冷静を保っていた園子とは違い、確かな嫉妬心と怒りを孕ませた双眸を美華に向けている。――ああ、本気で夜天に恋をしてしまったクチだろうか。
「…で、どうする?うさぎと同じような条件をつけるの?」
「……あなたと同じ、私もバスケを選択してる。そこで勝負よ。――負けたら二度と、夜天さまと関わらないで」
「…分かった、負けたらわたしから関わらないよ。でもそれだけじゃあフェアじゃない」
「は…?」
「あなたも同じ条件を受けて」
「……分かったわ」
条件の内容も予想が付いていたが、改めて言葉として放たれるとどうにも実感が湧く。しかし、そこで後手に回らないのが空野美華と言う人物である。彼女は、全く同じ条件を美波に突き付けたのだ。その直後に了承の言葉が響いた瞬間、美華の口元にはゆるりと笑みが浮かぶ。こうして、当の本人である夜天を抜いたままの宣戦布告が成立したのである。
――どうにも強気な態度を取る空野を見て、僕はまた言いようのない既視感に襲われた。散々好き勝手に言われているのにも関わらず、だ。恐らく、空野が背負っているのはそれだけじゃないはずだ。後ろ手で何かを操作していた、喰えない女だ。なのに、寧ろ頼もしささえ感じるのはなぜなんだろうか。
「――決まりだね」
昔、同じように守られた気がして、どうしたって僕は空野から視線を逸らせなかった。
「――空野」
あの後、うさぎと星野はソフトボールの練習を再開させてしまったため、その他の人たちはその場で解散する事になった。その中で、携帯を操作しながらその場を後にしたのが美華である。そんな美華が進む先を視線で追った夜天は、体育館の裏に差し掛かった所で美華に声を掛けた。――なにやら携帯を操作している美華の表情には、先程の勝気な様子は見受けられない。しかし、その直後にゆるりと口角を緩める姿にぞくりと背筋を震わせた。
「どうしたの、夜天くん」
「白々しいね、なに企んでるの?」
「…企んでるなんてひどいな、そう言うつもりじゃないよ。でも…」
「でも?」
「――交渉で言霊を取るのは常識でしょ?」
そう言って見せた画面には、ドライブレコーダーのアプリが表示されていた。――やっぱりな、と夜天は思わず溜め息を吐き出す。あの場で何の武器も持たずに強気でいれるほど、美華は馬鹿じゃないらしい。昔から頭の弱いうさぎの世話をしていただけはある。そんな美華は彼の溜め息を聞き、くつくつと喉を震わせながら笑った。腹黒いと言われればそれまでだが、決してそんなつもりではない。向こうが数で来るなら、こちらもあらゆる手を使わせて頂くだけだ。
「向こうの女がかわいそうだね」
「思ってもないでしょ。プライベートの交友関係に口出しされてイライラしてるくせに」
実際、空野の言う通りだ。僕らは仕事の一環で学生をやっている訳じゃなく、プライベートとして、ただの「僕」として学生をしている。だから、そこまで口に出されてしまっては堪ったものじゃない。そんな苛立ちさえ、この女は汲み取っているらしい。恐ろしい人間だな、そんな僕の考えさえ見透かされてそうだ。もう一度空野を見下ろせば、空野は楽しげに笑みを浮かべている。――ああ、大変な人間を味方にしてしまった。
「……うるさいよ」
「あ、当たった?」
「うるさいってば!」
球技大会、当日の事である。美華と夜天、まことは決勝戦まで勝ち進んでいた。しかし今、とある問題が浮上している。それは、美華の足首の捻挫だ。まことがアンクレット丈の靴下を脱がせば、そこには青く腫れ上がった、いたいけな足首が露わになった。これは、美華がドジを踏んだ訳では決してない。――決勝戦の第3Qが始まってすぐのこと、だっただろうか。第1Q、第2Qとは違い、小さなラフプレーが増え始めたのである。その際、美波に思い切り足首を踏まれてしまったのだ。前半のうちになるべく点を稼いでおこう、と目立ってしまった事は否めない。また、正々堂々と勝負して来る、と思い込んでしまったこちらの落ち度だ。
「美華ちゃんやっぱり休もう。その足じゃ無理だよ」
「だめ。わたしが買った喧嘩だもん、棄権なんて出来ない」
「けどそれ以上酷くなったら…!」
「――木野、ちょっと黙って」
「でも!」
美華自身、運動が出来る状態ではない事は重々理解している。しかし、美華は一向に引かなかったし引く訳には行かなかった。この事態が全て自分のせいだと分かっているからだ。そんな事情を無言ながらに察している夜天は、まことを厳しい言葉で締め出して美華と目線を合わせた。――まことだって、現状を理解していない訳ではない。けれど、あまりに甘かったのである。
「夜天、くん…」
「馬鹿だね、調子に乗ったでしょ。あの強気はどこに行ったわけ?」
「う、うるさいな」
「まあ10点差だし、まだ大丈夫でしょ……」
籠に乱雑に入れてあった医療用テープとアイシングセットを取り出し、捻挫した美華の足首をアイシングしている間に、夜天は他のメンバーにそれぞれのポジションを説明し始めていた。アイシングが終わったそれを少しの事では動かない様に固くテープを巻いて行く。テーピングし終わったそこを触れるとがさがさとした感触を味わう事になり、人肌らしいそれを感じる事は出来ない。それをしてくれた夜天は口角をゆるりと上げ、「本気出してやろっか」と信じ難い言葉を紡いだのである。
――「出してやろっか」、じゃないし。夜天くんは淡白でさらっとこなしちゃうから、ほんとこう言うところあるんだよ!――そんな思いを込めて夜天の背を思い切り叩いてみせるが、それはただの照れ隠しなのである。なぜなら、周りから悲鳴が沸き起こったのにも関わらず、叩かれた本人は笑っていたからである。
「っ…最初から出してよばか!」
こんな姿を見たら夜天くんには美華ちゃんしかいないって分かるのに、あの子はそれが分からないのかなあ。
第4Qも終盤に差し掛かり、現在の点差は一点である。しかし、相手チームのディフェンスが強化された事により、中々ゴールへのコースを掴めないでいた。ここを強行突破しても良いのだが、恐らくファウルとなって勝機は完全に消滅するだろう。パスをするのが一番無難な方法なのだが、周りに居る人間は殆どが相手チームなのだ。これを絶望的、と言わないでなんと言うだろう。それは、美華のチーム全員が感じていた。
(あー……やっばいかも、これ。もはやこれ敵意じゃないよね、殺気だよね。怖いなあ)
「終わりね、空野美華。一点差って言うのは惜しいけど、残りあと10秒。出来る事は何もないわ。さっさとボールを放しちゃいなさい」
「…まさか、放す訳ないでしょ。偶像相手に理想を押しつけるあなたには、どうしても負けたくなくて、ね!」
――おそらく、無意識だったように思う。美華は表情筋を動かさずに、相手の股の間にボールを潜らせた。それを自分自身で再び受け止めては、はるかに教わった体術の副産物である反射神経を利用し、一気にゴール近くまで駆けて行く。そして、美華が投げた僅かに高めのパスは夜天の両手に収まり、滑らかにゴールの網を揺らしたのである。それはゲームセットの笛と同じタイミングで行われ、ブザービートとなったのだ。――51対52、美華のチームの勝利である。その事実に思わず力が抜け、しゃがみ込んでしまった美華はまことの手によって支えられる事になった。
「勝ったでしょ」
「…ありがと、夜天くん」
「僕のおかげ?」
「調子に乗っちゃだめだよ、怪我するでしょ」
「空野じゃないんだから」
「ドジ踏んだんじゃないからね!」
手を持たれ、無理矢理立たされた美華の視界に広がったのはアイドルとしての夜天ではない、ただの「夜天」の笑顔だった。――これを見れたなら良いかなあ、今だけはわたしの特権だもん。こんな些細なふざけ合いでさえも愛おしい、なんて飾りすぎかなあ。それでも幸せだった。こんなどうでも良い事で笑えて、じゃれ合えて、大好きな友達といれる日々が愛おしくて仕方がなかった。あって当たり前だと思っていた。それが崩れるなんて、憎み合うなんて思いもしなかった。
「美華ちゃん!勝ったね!」
「うん!勝った!まこちゃんもありがとう!」
「これからも夜天くんと一緒にいれるね」
「べ!別にそれが目的な訳じゃ…!」
「はいはい」
「まこちゃん!聞いてってば!」
――すぐに過ぎ去る楽しい日々なんて、長くは続かないと分かっていたのに。