全てをもってあなたを愛した

「なにこれ」

 そう告げた美華の視界には、とある紙切れが映っていた。そこには「スリーライツ主演映画完成イベント」と言う文字が印字されている。どうやら、ファンクラブ会員限定のイベントが今夜行われる予定らしい。それを自慢する為に、わざわざこの紙切れを渡した訳ではないだろう。夜天はそんなに暇ではない。――来い、と言う事なのだろうか。その真意を確かめる為に僅かに顔を上に向けると、夜天と視線が絡まった。


「…来いってこと?」
「暇でしょ?」
「ぐ、ぬ…同意するのも癪だけど、否定できない……」
「普通に同意しろよ。――あ、月野には秘密にしてね。面倒だから」
「面倒?」

 質問に質問で返された美華は、悔しげに顔を歪める。しかし、そのあとに続いた夜天の言葉に首を傾げるも納得した様に空笑いを浮かべたのである。――視界の端には、目敏いうさぎの姿が映り込んでいた。今夜のイベントをつい先刻知り得たらしく、亜美、まこと、美奈子、そしてスリーライツに頼み込んだものの全滅してしまったとの事だ。――なんだったらわたしがこのチケットをうさぎにあげても良いんだけど、一時でも良いから夜天くんとの時間が欲しいの。許してね。
 何処か悶々とした胸騒ぎも、きっと涙目のうさぎを見たからだ。きっとそうに違いない。そうじゃないと、この嫌な気配は、もう戻れない様な、そんな未来は、どうにも理由が付けられなかった。そんな気持ちを誤魔化す様に、美華はもう一度口を開く。


「…あれはスリーライツだから、って言うより皆が行くから私も欲しい、ってやつかな」
「馬鹿だよね、いつも思うけど」
「昔からだから。可愛いよね」
「……そうだね」
「えっ、夜天くんもうさぎのこと可愛いって思ってるの?」
「っ、…このッばーか!」




「はあ?バレた!?」

 空港のエントランスには、美華の珍しく焦った様な声が響き渡っていた。大きな建物だからか、普通の音量の声も酷く響き、突き刺さる視線は痛い。その中の一つである夜天からの声に笑って誤魔化しながら柱の陰に逃げ込むと、美華は声量を抑えて再び通話を始めた。――それの相手は幼馴染のうさぎである。彼女の自宅に届いた手紙には、どうやらしっかりと「セーラームーン」と書かれていたらしい。そして、送り主はセーラーアルーミナムセイレーン――敵――である事が分かっているのだ。しかも、手紙には今夜の夜間飛行のチケットも同封されていたらしい。住所も割れており、恐らくうさぎの周辺も調べられているだろう。正体がバレるのも時間の問題である。――いや、もう敵には筒抜けなのかもしれない。


『……来い、ってこと、だよね』
「――取り敢えずおいで」
『でも…っ』
「こっちには亜美達がいる。もしもの時、何とかなるかもしれない」

 恐らく、今回の事はうさぎが来なければ始まらない。自宅待機と言う選択肢もあったが、夜天に行くと言ってしまった美華は勿論、内部戦士達は既に搭乗してしまっている。うさぎを守る者は居ないのだ。それならば手の届く範囲に居る方が良い、それが美華の考えなのである。うさぎには内部戦士達の存在を口にしたが、美華は亜美らに頼る気はさほど持ち合わせてはいなかった。信頼していない訳ではない。自分だけが全てを知っている、と言う事実から来る僅かな罪悪感だ。そしてそれは、巻き込まれる形になってしまうであろうスターライツへの申し訳なさでもあるのである。

 ――それでも無理な時は、わたしがやるしかない。




「おだんご!」
「星野!――このイベント、中止して!」
「何言ってんだよ……それより、チケットどうしたんだ?」
「そのチケットに…っ、とにかくだめなの!この飛行機は…」

 視界には、煌びやかな星空が映り込んでいる。しかし、それを見ても綺麗だとか、今から過ごす筈の時間が楽しみ、などと思えるほど、心の中に余裕は無かった。どっちに転んでも悪い未来しか想像できない脳みそが恨めしくて、美華にはそれを消化する方法を持ち合わせていない。ぽふん、と僅かに布が擦れる音を響かせて背凭れに体重を預けたと同時に、息を切らしながらうさぎが現れる。しかし、その存在を確認しても恨めしい気持ちが消える事は無く、寧ろ悪化している気がした。――そして、いよいよ動き始めた機体に心臓がドクン、と高鳴った。ロマンチックなそれではない、まるで地獄へのカウントダウンだ。


「――うさぎ、座ろう」
「美華…」
「何とかするよ。大丈夫だから、座って」
「何のつもり…っ」

 焦るうさぎの耳には、静かな美華の声が嫌に良く聞こえた。――その時の美華の表情はとても穏やかで、何かを悟っているようで、少し、怖かった。何とかするって、分かんないよ。どうするつもりなの、美華が怪我をするかもしれないの。美華は強いもんね、優しいもんね、知ってる。努力家だもんね、私達の知らない所で必死に強くなろうともがいてたもんね、全部知ってるよ。けど、その度に美華がすごく悔しそうな顔をしてたのも知ってた。すごく羨ましそうに私達を見つめてたのも知ってたよ。美華は私達に置いて行かれるかもしれないとか考えてたのかも知れないけど、私はね、あなたが遠くに行くんじゃないかって、不安で不安で堪らないのに。
 うさぎのそんな考えも露知らず、美華は座席の肘掛けを掴む手に力を籠める。瞳は虚ろで、最もうさぎが見えていないのはもしかしたら美華だったのかもしれない。――そんな美華の意識をこちらに引き寄せたのが、夜天の温もりだった。思わずそちらに顔を向けても視線が絡む事は無い。しかし彼女にとって、それが一番嬉しかったのだ。次第に歪む表情が前髪で隠れた瞬間、彼女らが搭乗している機体が酷く揺れ始めたのである。


「なんだ!?」
「星野!美華!」
「これは…っ」


 揺れに耐えている一瞬、夜天と視線が絡み合った気がした。エメラルドの様な煌めく双眸が細められる。――ああ、そうか。わたしはうさぎよりも地球よりも何よりも、これを守りたいんだろう。そんな思いで胸がいっぱいになると、何故だか酷く泣きたくなった。好きなのに、大好きなのに、全部言ってしまいたいのに、どうしてこの声は出てくれないの。
 予想通り現れたセイレーンは何時もの優しげな笑みを浮かべているものの、瞳には狂気を宿していた。――本気だ。向こうも必死なのだろう。漸く見付けた手掛かりを、ここでなくす訳にはいかないのだ。それでも、こちらも引く訳にはいかないのだけれど。


「さっき言ってたのは…」
「この事だったんですね!」
「スリーライツと皆さんの命と引き換えに、あなたのスターシード、頂戴致します。月野うさぎさん…いいえ、セーラームーン!」

 満を持って放たれてしまった言葉は、美華とうさぎの心臓を止める様なものだった。現在居る場所が高度一万フィートの空である事も起因しているのだろう。――何で、どうして、今なんだろう。星と星が繋がり始めていた。太陽系でも太陽系外でも関係ないのだと、改めて分かって来ていた。なのになぜ、今なんだろう。夜天くんの視線がこちらに向いている気がするけど、いつもみたいなふざけた小言も、笑顔も向けてやれない。震えた星野くんの声が、嫌になるほど脳内で繰り返される。言っていれば良かったのかな。記憶など消さなければこんなに近付く事も、星野くんがうさぎに惹かれる事も、わたしが甘い現実に絆される事もなかったのかな。

 それでも今、わたしはこのいとしい温もりを手離したくはなかった。


「――待ちなさい!」
「皆!」
「何なのあなた方、セーラースチュワーデスさん!」

 スリーライツが居る手前変身が出来ないでいるうさぎは、じりじりとセイレーンと敵に追い詰められていた。何とかしないと、と焦る一方で胸元を圧迫する頑丈なゴムはなかなか千切れてくれない。――そんな所に現れたのが内部戦士達である。しかし、小さな入口に縮こまっているせいで敵の攻撃を真正面から受ける事となったのだ。そして、漸くの所で上って来た階段から突き落とされる事になったのである。


「みんな!」
「おっと…皆の命を助けたかったら、大人しく真のスターシードをお渡し下さいな」
「おだんご!」

 逃げ道を塞ぐ様にヒールを鳴らしたセイレーンは、細く白い手首には不釣り合いな金色のブレスレットを構え、ニヒルに笑んでみせた。あのブレスレットは一度だけ見た事がある。あれのせいで敵は生まれ続けているのだ。うさぎを守らなければいけないのに、どう頑張っても頑丈な拘束具は千切れてはくれなかった。何の為に必死に体術を習ってたんだ。こう言う時の為じゃないのか、意味ないじゃないか。
 珍しく、焦りの色を見せている夜天の声に視線を向ける。その視線の先には、意を決した星野が居た。手は赤いスーツのポケットに収められており、そこには何やら凸凹が出来上がっている。――もしかして。美華が可能性を見出した時には既に遅く、星野は胸元を縛る頑丈な拘束具を力の限りに破り捨てた。その直後に聞き慣れた言葉が響き渡ったかと思えば、そこにはセーラースターファイターがうさぎを守る様に立っていたのである。


「言ったはずよ。何が起きても、あなたを守るって」
「星野の馬鹿!」
「仕方ありませんね……」

 哀愁を漂わせている端正な小顔は、こう言う時に限って星野の面影と重なるのだ。目の前のこの人がうさぎと居るなら、遅かれ早かれこうなってしまう事は予想が付いていた。うさぎが危険な目に遭ったら、この人は自分の都合など二の次に戦いの場に身を投じてしまうだろうから。けれど、それを夜天と大気に見せなければいけなかったのだろうか。きっとこの二人は、そんなファイターの性格を呆れるだろう。
 ――嫌な空気が流れて行く。身を持って分かる。もう戻れないのだ、と。ファイターと同じ様に現れたヒーラーとメイカーは悲痛な表情を浮かべており、この状況に納得をしている訳ではないらしい。


「あなた達、今の内に逃げて!」
「――いいえ、逃げないわ!」
「うさぎ、変身よ!」

 見られてしまった正体に開き直る事は出来ずとも、突き刺さる美華の視線に向かい合う事さえ出来なかった。――あなたには、見られたくなかった。そんな顔を、させたくなかった。ずっと笑っていて欲しかった。けど、仕方ないじゃない。守るって決めてたのは、ファイターだけじゃないのよ。クラスメイトの正体を眺めながらもそんな事を思っているあたしは、地球の事も、プリンセスの事も、実はどうでも良いのかも知れない。


「何なの何なのこの数はー!セーラースチューワーデスさん!」
「…すぐに終わるわ。そこで待ってなさい」
「っ、…ちがう、ちがうの。わたし、は」
「……空野?」
「――わたしは、あなたに守られるような人じゃない!」

 そう叫ぶと、美華の身体は淡い蒼に包まれる。何かが弾ける様な音と同時に蒼の光が消え、その直後に現れた彼女は拘束具に覆われてはいなかった。――はるかとみちるちゃん以外の前で魔力を使うのは、初めてのような気がする。修行の時以外は原則禁止だ、とはるかに言われていたから。きっと、あとで怒られちゃうだろうなあ。それでも、今の状況を看過できるほど、わたしは大人じゃなかった。
 ヒーラーの妙な視線を感じてちらり、とそちらに顔を向けると、煌めくエメラルドの瞳が見開かれていた。どう言う感情なのだろう。それに対して自嘲気味に微笑んでみせた美華は、酷く情けなく映ったろう。


「…ありがとう、今まで守ってくれて」
「空野…」
「嬉しかったよ。誰かに守られるなんて、初めてで。――ごめんね。苦しい思いを、させて」
「なにを…」

 曖昧で脈絡のない美華の言葉に困惑を示すも、そんな彼女がこちらに掌を翳した瞬間、ヒーラーは堪え切れない程の頭痛に襲われた。――見慣れた故郷で、あたしは王宮に勤めていた。ヒーリングの力を持つあたしはプリンセスの側近となり、医療班と行動する事が多かった。そんな時に現れたのが―――だ。持久力をつけろ、視野が狭い、小柄な身体を武器にして、など色々と、特に文句を言われたのがあたしだった。だからか、―――とは特別頻繁に喧嘩をしていたと思う。
 初めて――イの泣き顔を見た時があった。それから、あたしは――イの事が気になって仕方がなかった。きっと、放って置けなかったんだと思う。二人で良く訪れていた芝生に寝転がり、あたしは金木犀の香りを頻繁に身に浴びせていた。そっと横を向くと――イと視線が絡み合う。勢いで口付けたあたしは、この時から大切なものが一つ増えたのだ。優しく包み込んで、時には抱き締めて、金木犀じゃないその香りが、あたしは好きだった。たくさん口付けて、あたしの全てで愛して、守り抜くと誓った。守るだなんて曖昧な行為、視野の狭いあたしに出来るはずもなかったのに。
 全てを包み込むような笑顔が好きだった。忘れる事なんてないと思っていた。きっと、一生の恋だった。それなのに、あたしを守って星となる―カイは、とても幸せそうに笑っていた。強く抱き締めても粒子が飛び散るだけで、あたしの醜い泣き顔を見上げて―カイはまた笑う。――何度、嫌だ、消えないで、と願ったかしら。プリンセスが消えた時以上に、あたしの涙腺は枯れ切ってしまったにちがいない。愛してる、だなんて言った事がない。好きでさえ囁く事は出来なかった。そんなあたしと、仲間の記憶を消してまで全てを守ろうとした―カイは、呆れちゃうほど残酷な優しさを持っているのだと知った。


「――スカイ」

 この時、あたしはようやく既視感の正体を知ったのよ。


「…ヒーラー、ファイターとメイカーも、ごめんね。そこでじっとしてて」
「っ…嫌よ!解きなさい、スカイ!」
「大丈夫だから、心配しないで」
「――美華!」

 美華は己が創り上げた結界に額を押し当て、呟いた。薄い筈のそれは酷く分厚い壁に思えて、今すぐ触れたくて仕方ない。あの時の様に死ぬか生きるかの瀬戸際ではない事は分かってる、分かっているのだ。しかし、触れたくて仕方がないこの欲求は留まる事を知らない。背を向けてしまう彼女は酷く頼もしく、しかしどんな思いで居るのか分からなくて、何処か遠い存在の様に見えた。そんな彼女は、手の平から淡い光を放つ数本の短剣を出す。それは敵の武器に刺さり、砕けさせる事となったのだ。素手で戦うと言う選択肢がない敵は、その場で狼狽える他に術は無いのである。
 ムーンの手で浄化された事により今回の一件は静まったが、その場には気まずい空気が流れる事となる。そんな中で声音を響かせたのは、苛立ちを含んだ叫び声を発したのはセイレーンだった。


「な、何なの何なの!」
「…今日のところはお帰り願いますか、セイレーンさん」
「なにをおっしゃ…っ」

 美華は先ほど敵の武器を粉々にした短剣を、セイレーンの首筋に這わせた。魔力で出来たそれは簡単に美華の思いを乗せる事ができ、セイレーンの息の詰まった声はどうやら恐らく美華の殺気によるものでもあるのだろう。丁寧な口調とは裏腹に、美華が纏う雰囲気は酷く冷たく、静かな怒りを孕んでいる事が窺える。――きっと、今回の一件は必然だった。ただタイミングが悪かったのだ。しかし、その重大性を理解していないセイレーンの甲高い声色はただただ不快なのである。そんな思いを隠し持つ美華はセイレーンを壁に押し付け、その耳元で囁く。


「――ギャラクシアに伝えなさい。もう逃げない、と」

 もう会う事は無いだろう敵に、わたしは優しい手の平を手向けた。