束の間、あまい休息
イベント用の飛行機を緊急着陸させたあと、空港は混乱の渦に巻き込まれていた。乗客の殆どは眠りにつき、その「殆ど」に当てはまらなかった美華らが居た場所も何故かぐちゃぐちゃである。その場で起こった事を全て口にする訳にも行かず、美華は密やかに搭乗口を後にした。距離を取った場所からスリーライツの視線が注がれるが、それに対して馬鹿正直に喜べるほど浮ついている訳ではない。しかし、美華は何処か訴え掛けられている様な気がした。――話を聞きたい――と、目で訴え掛けられた様な気がしてならないのだ。
人知れず意を決した美華はうさぎにだけ「一人になりたい」と伝え、少し遠回りをして帰路につく。うさぎも、そんな美華の真意を深く聞こうとはしなかった。――こう言う時にだけ大人びるのはずるいよ。都心からは少し外れた、しかし東京にしては幾分か暗い道でスリーライツを待つ。特段、場所を決めて待ち合わせていた訳ではない。だが、彼らは来るだろう、と無意味な信頼を寄せていたのも嘘じゃなかった。そして、その信頼が正しいものであったと、彼らが証明してくれたのである。
「――空野」
――ほら、やっぱり来た。ちらり、と視線を横にずらすと、何処か暗い表情のスリーライツがそこに立っていた。それでもやはり輝いて見えるのは夜天の特異な髪色か、スリーライツが持つ星の輝きか。秘密も自分勝手な使命もなくした美華は、ゆるりと双眸を細めた。灰色のそれは淡くも儚く、それだけでスリーライツの視線を独占する事が出来る。持っていたココアのアルミ缶を最後、と言いたげに呷り、自販機の横に設置されたゴミ箱に投げ捨てた。
「…話、聞きたいんだよね」
「そのために来た」
「星野くんと大気くんも?」
「…聞いて、損は無いでしょう」
決意が固まっているらしい夜天と星野と比べ、大気の中にはまだ戸惑いが燻っている様に思えた。それでもその気持ちをどうにか隠そうと視線を逸らし、曖昧な言葉で逃げようとする。何も変わらぬその姿に、美華は酷く安堵した。ずるい人だ、と罵られそうだが、彼女はそれだけで良かった。思わず笑みを浮かべた瞬間、ぴゅう、と秋風が吹く。予想以上に冷たいそれに思わず目を瞑れば、それに煽られた薄手のコートの襟が彼女の口元を隠した。きっと、笑みを浮かべた瞬間はバレていない筈だ。それを確信した彼女は、暖かい場所へ入ろう、と歩を進める。しかしそれは夜天によって止められ、スリーライツの拠点である自宅に招かれる事となったのである。
「最初に確認なんだけど、――スカイなんだよね?」
「うん、まあ。転生しちゃったしスカイそのもの、って訳じゃないんだけど」
「戦士の力はねェのか?」
「それは受け継がれなかった。その代わりに魔力が宿ったみたいだけど、防御もなにもしないで戦ってるようなものだから弱くはなった、と思う」
スリーライツの部屋に入ると、そこは仄かに暖かかった。着込んでいた薄手のコートを脱ぐと、流れる様な所作で、大気はそれをハンガーに掛ける。慣れた様なその手付きは、酷く優しかった。随分と高い位置にある大気の表情を見上げ、「ありがとう」と細やかに告げると、大気のそれは僅かに柔らかさを帯びた気がしたのである。――美華が話したのは、大まかには二つの事だけだった。一つはギャラクシアによって殺されたのちに地球へ転生したこと、もう一つは転生後に魔力を得た事である。しかし、その中にスリーライツが本当に知りたい事は入っていなかった。そして、それを問い詰めない、と諦めるには、夜天はまだ大人になりきれていないのだ。そんな夜天は、意を決した様に言葉を紡ぐ。
「なんで記憶を消したの」
「……夜天」
「…ギャラクシアに貫かれたスカイの身体は、粒子になって…星に成った。ひどい事をするよね。手元に残らないんだもん。それだけでも辛いのに記憶まで消すって、――どう言うつもり?」
「……言いたくない」
「は?」
簡潔ながらも分かりやすい夜天の一言に、星野と大気はそちらに視線を集中させた。二人にとってのスカイとは師である、ただそれだけだ。しかし、夜天は違う。それに加え、恋仲でもあったのだ。そんな相手が憎き敵に殺され、しかし手元にも残らず、挙句の果てにその記憶さえ、苛立ち、いとおしさ、その全ての感情を失ったのである。それを知ってもなお、美華は頑なに口を開かなかった。そんな彼女に対する夜天の声音は、酷く苛立ちに
「いい加減にしてよ。僕怒ってんだけど?」
「…なら、余計、言いたくない」
「…空野、俺らはもう一度お前に会えて嬉しい。けど、死ぬ直前、あの一瞬、記憶を消さなきゃなんなかった理由が知りたいだけなんだ」
「……いやだよ、ずるい」
「…空野さん、どうしても言えませんか?」
「っ、…ごめんなさい。帰る、ごめ…」
「――帰す訳ないでしょ」
ソファに座る美華と目線を合わせる様に、星野は彼女の前に跪いた。安堵感を与える為に、彼女の両手を握る事も忘れない。微かに揺らぐ彼の双眸に絆されそうになるも、わざとらしく俯いてそれを視界から消した。何時もよりも幾分か柔らかな大気の声音でさえ、今は聞くのが辛かった。しかしそれ以上に、彼女の言葉を遮り、腕を掴む夜天の強引さに驚く他に術は無かったのである。
実際には数十秒の事だったのだろう。しかし、美華にとってのその時間は酷く長いものの様に思えたのだ。静かな空間に、ふと夜天の舌打ちが響く。その音に瞬きを繰り返す彼女とは異なり、星野と大気は呆れた様に、全てを悟った様に苦笑を漏らした。その瞬間、夜天は強引に彼女の腕を引き寄せ、自室へと歩を進める。あまりに性急なその行為に、彼女はただ身体を委ねるしか出来なかったのだ。
「ちょ、夜天くん!やだ、っ、離してってば!」
ぐい、ぐい、と腕を動かしてみるもその手が解ける気配は無い。こんな所で夜天の「男」を知りたくは無かった。乱暴に、しかし慎重に部屋の鍵を閉められ、美華は逃げ場を失う。それに加え、彼は目の前の細い身体をベッドに投げ、囲い込む様に押し倒した。彼女の両手首は細くも骨張った掌によって自由を奪われ、密やかに垂れる銀髪を見上げる事しか出来ない。
どくん、どくん、と響く心臓の音は一体どちらのものだろうか。そんな現実逃避をしなければならないほど、美華は酷く追い詰められていた。――金木犀の香りが仄かに香る――それだけで、美華の頭は麻痺を起こした様に思考を中断せざるを得ない。――いやだ、近い、むりだ、つらい、すき、だいすき、すき。そんな、混乱したわたしの気持ちなんてぜんぜん知らないくせに!
「…空野、ここまでしてるのにまだ言わないの」
「っ…い、わない」
「なんで?」
「……夜天くん、怒ってるじゃん。さっき、言った」
「…怒らないから」
「うそ」
「うそじゃない」
こつん、互いの額が微かに触れ合う。こんなにも近くに居るのに、どうしたって視線を合わせる事は出来なかった。――きっと、夜天くんの
「っ、…傷つく、と思った、から」
「え?」
「一生引きずる、って思った、から、ぜんぶ消した方が、しあわせだと、思、って」
「……なに、それ」
「夜天く…、ッ」
正直、強引すぎたかもしれない、と密かに反省したのも事実だった。怒らない、と言ったのも本音だし、それを信じて欲しい、と思ったのもうそじゃない。けど、ようやく口を開いた空野の本音は限りなく独り善がりで、自分本位で、僕の気持ちを考えていたものではなかった。――いや、僕のすべてを分かるがあまり、考えすぎた結果なんだろう。そこまで分かってるのに、僕は苛立ちを抑え切れなかった。力の限り、空野の両手首を掴んだ。あまりに賢いこの女を前にすると、僕はいつだって「僕」でいられない、と分かっていたはずなのに。
「っ…そこまで分かって、なんでお前との想い出にすら浸らせてくれないんだよ!」
「――だって絶対泣くもん!」
「は…」
「好きだの愛してるだのは聞いた事がなかったけど、全身で愛してくれてるのはずっと昔から分かってたよ!でも、最期に『好き』って言えなかったあの瞬間を思い出して、夜天くんは絶対に泣くもん!泣いて、言葉にしなかったのを後悔して、一生わたしに縛られる、じゃんか……」
ずっと溜め込んでいた一声でさえ、空野は全身全霊で否定する。押しつけがましいその言葉は、空野でなければ殴ってでも止めていただろう。けど、それが出来ないのは、きっと言葉のすべてが図星ばかりだからだ。言葉にするのが恥ずかしくて、ずっと意地を張って、その代わりのように必死に身体で、瞳でスカイを愛した。それがスカイに伝わってたのも分かってた。けど、言葉にしなかった事がずっと心残りで、もし違う人と結ばれる事になったとしても、きっと、その人を本当の意味で愛する事は出来ないのだろう。それ程までに、僕はスカイを愛してた。――記憶を消されてもなお、僕は空野に惹かれた。きっと僕の運命は空野に繋がっていて、それを分かって空野を選んでるのに、こいつはそんな事も分からないのか。
「…お前に、空野に呪われるならそれでも良い。プリンセスも大事だけど、それ以上に僕は空野しか見てない」
「…や、だよ。そんな、わたしだけがすきで良かった、のに」
「…意地張るなよ。ずっと、さみしい
「な、……な、に、それ。なんで、も、ばか……」
「そんな儚い空野に惹かれたんだから、分かるに決まってるでしょ」
暗に呪えよ、と言いたげに夜天は美華の両手首を掴んでいた手で彼女の身体を抱き締め、その頬に細い銀髪を擦り寄せた。至近距離にて鼓膜を震わせる声音は震え、潤んだ気さえする。それでも、彼はその細い身体を離す事はしなかった。――出来なかった、んだと思う。初めて僕に縋りつく空野が、全身で、僕に本音を伝えて来る。その事実がひどく嬉しくて、僕は高揚していた。
ふと視界に映った美華の首筋を暫く眺めるも、ちゅ、と唇を触れさせる。その瞬間、ぴくん、と跳ねた彼女の肩が妙にいじらしい。何度もそれを繰り返していると、じれったい、と言いたげに語尾を荒げる彼女の姿があった。そんな彼女の身体を再びベッドへ組み敷き、仄かに赤らんだその顔を見下ろす。――これはきっと、そう言う流れだった。――あとでそう弁明しようとほくそ笑み、夜天は美華の唇に口付けた。
「っ、ん……」
――どうしよう、流された。一度目はわたしの呼吸を奪うように、二度目はわたしの余裕を奪うように何度も角度を変えて。そして今、わたしは夜天くんのあたたかくも生々しい舌先を受け入れていた。繰り返し響き渡る厭らしい水音が、わたしの鼓膜を攻め立てる。ああ、やだ、やだな。前世でもこんな感じだった。もともと器用な人だから、こう言う舌遣いも上手なんだろうか。そんなばかな事ばかり考えるわたしはくぐもった声しか出なくて、いつしか、夜天くんの衣服を強く掴んでいた。するとふと、ようやく唇を解放され、もう一度抱き締められる。
「やてん、くん」
「…もう、僕のために犠牲にならないでよ。そんなの、ぜんぜん嬉しくない」
「っ…ごめ、ごめん、なさい。ごめんね、ごめん」
「…うん。僕も、ごめん。急に押し倒して…怖かった?」
「怖かった、けど……いやじゃ、なかった」
「……密室でそう言う事を言わないでくれる?」
はあ、と熱の籠った吐息を漏らすと夜天は美華の身体を起こし、再び抱き締める。そして、彼女の耳元で本音を囁いた。響いた声音は酷く震えており、それが言葉により真実味を帯びさせる。その直後に漏れた彼女の言葉は、端から見たらただの泣き言だったのだろう。しかし、彼はそれで充分だった。傍に居て、触れられて、言葉を交わせるだけで充分の様に思えた。――その直後、無自覚天然な言葉を囁かれてもひたすら我慢をした僕は、空野の言う前世よりも幾分か我慢強くなってるんじゃないだろうか。
そして、こんな雰囲気にも関わらず、美華は「今日は帰る」と言い出したのである。それを静かに、何度も何度も問い詰めれば現実味が帯びて来たのか、彼女の頬は赤く熟れる事になった。そんな中で語られたのは、暫くは会えないだろう、と言う事である。曖昧な予感だけはしていたが、夜天に理由を察しろ、と言うのも酷な話だ。――内部系戦士は会う事を咎めたりはしないだろうが、問題は外部系戦士である。外部系戦士はその名の通り、外部からの敵への抑止力となる事が使命だ。その為ならば手段を選ばぬ、ある意味狡猾な一面を覗かせている。それに加え、はるかは美華の事になると妙に殺気立つのだ。そう言いくるめても、夜天は再び美華の身体を組み敷く。――だから!この人はわたしの話聞いてたかな!
「僕は会いたいんだけど。空野は会いたくないの?」
「あ、会いたいけど、でも…」
「じゃあ良いじゃん」
「ん"んー!」
右足はシーツに皺を作り、左足は美華の股下に固定される。すると、夜天に滅法弱い彼女は動く事が出来ないのだ。それに加え、言葉で追い詰められるともう何も出来なくなるのである。その証拠に彼女は視線を逸らす事すらままならず、ただただ彼からの口付けを享受する他に術は無かった。再び響くちゅ、ちゅ、と言った軽快な水音に、彼女は翻弄される事になったのだ。
そんな部屋の外で顔を見合わせる星野と大気は、束の間の逢瀬に、安堵した様に笑みを浮かべたのである。