きみを選びたい人生でした
「――美華?」
午後10時30分。高校生が働くには少し遅い時間帯で、日を跨ぐには少し早いそれ。明日も朝から学校があるが残業代が出るのだろう、と分かっているだけで働くのが楽しくなるのだから不思議だ。今日の最後の仕事であるこの荷台を倉庫に仕舞えば、美華の業務は終わりである。――背伸びをしながらそこから出て来ると、恐らく仕事終わりであろう夜天と出くわした。数秒視線が絡み合ったのち、彼の唇からは美華の名が紡がれる。つい先日は気まずい別れ方をしたと言うのに、そんな些細な事で心がどくん、と打つのだから自分で自分が嫌になった。
「っ、夜天、くん…?」
「…バイト?」
「う、うん。夜天、くんは仕事終わり?」
「うん。早く終わって…」
「そ、そっか……」
話したいのに、声を出したいのに、喉に何かがつっかえている様で何も出来ない。思わず視線を外したと同時に再び夜天に問い掛けられた。びっくりしちゃってどもってしまう自分が情けなくて恥ずかしい。けれど、一度声を出してしまえば、つっかえているものは何処かへ消えてなくなってしまったのだ。しかし、何時もの調子が出ない美華は、大した返しも出来ずに会話は収束の道を辿る。――ああもう、わたしのばか。――そう罪悪感に
「これから、話せる?」
「え…これ、から?」
「だめだったら良いんだけ…」
「だっ、めじゃない……!」
夜天の言葉とは、お誘いのそれであった。何時もならその場の流れと言うやつで会話を続けて来たものだから、こう、改めて誘われると気恥ずかしさを感じる。それを戸惑いと勘違いした彼は何処か寂しそうに目を伏せるが、美華の勢いに思わず吹き出したのだ。――前世のわたしは、どんな風に夜天くんを、ヒーラーをしあわせにしていたんだろう。どんな風に気持ちを伝えたら、この人の笑顔を見る事が出来ていたんだろうか。それが分からないから、わたしは繋ぎ止める事しか出来ない。はしたなくも情けない、そんな事しか出来ない。
「…ふふ、そんなに切羽詰まらなくて良いのに」
「あ、う…だって」
そう笑みを浮かべて、夜天は宥める様に言葉を紡ぐ。唐突に湧き上がる羞恥心は、彼の事を愛してやまない事実を確かに証明してくれていた。そんな美華の頬を、彼の指先は掠める。仄かに優しげなその感覚は、彼女の全てを癒してくれる様であった。しかし、鼓膜を震わせる少し高めの声は彼女の全てを蕩けさせる様なそれである。たったそれだけで身動き一つ出来なくなる己を、どうか
「向かいの公園で待ってる」
――何億光年離れていても、きみの声を忘れてもその想いは変わらなかったから。
「はい」
「……わ、あったかい」
「ココアだから。甘いもの、好きでしょ」
「うん、好き」
「……あっそ」
早々と仕事を終わらせた美華と夜天は公園のブランコにゆっくりと腰を下ろした。そして公園に備え付けられている自動販売機で購入したココアを彼女に、自身はホットコーヒーのプルタブを弾いた。――高校に入ってからはめっきり来る事がなくなった公園は自身を懐かしさで包み、幼少期を思い出させてくれる。うさぎが泣いていたな、とか、蒼と思いきり喧嘩したな、とか。こう言う時間は幸せだ。そして、こんな状況でさえ隣に居てくれる夜天と同じ時間を共有するこの時間も、大変幸せなのである。けれど、こんな他愛もない話をしに来た訳ではない事は分かっている。その事をちゃんと理解していた美華はごめんなさい、と一言呟き、頭を項垂れさせた。
「…なんで謝るの」
「黙ってた、から。あなた達の正体を知っていた、こと」
「いつから…いつから知ってたの?」
「…最初、から」
「……そう」
美華が気まずそうにそう呟くと、夜天は僅かに端正な顔を歪めて眉間に皺を寄せた。――そんな顔を、させるつもりは無かった。ただ、あなたの笑顔が見たかったから、黙ってた方が良いと思った。前世のような親密な、恋人なんて関係は望まない。元気なのだと分かればそれで良かった、はずなのに。でもこの前、夜天くんに言われて思ったよ。独り善がりだ、って。自分の事ばかりで、ごみみたいに思い出を全部消して。それで、この人達はどうなった?ただ、余分に傷つけただけだった。
「…僕の方こそ、ごめん」
「なんで…何で、夜天、くんが謝るの……?」
「忘れてた、から」
「っ、わたしが忘れさせたの!だから、夜天、くんは悪くないよ」
美華が勢いのままに思わず声を荒げれば、夜天は再び笑みを漏らす。カシャン、と鳴ったブランコの金属音も、僅かに鉄臭さが残る手の平も、泣きそうに歪む表情も、全てが彼だけのものだった。――思えば、わたしはずっと「うさぎの保護者」として立ち回って来た気がする。うさぎにしあわせになって欲しい、と思ったのはうそじゃない。でも、それが一番かと聞かれるとそうじゃなかった。ずっと、夜天くんに逢いたかった。その為にうさぎの側にいたし、持ち腐れにならないようにはるかに修業までつけてもらっていた。全部、この人の為だった。なのに、当の本人は暢気に綺麗な笑みを見せるんだ。
「…ふふ」
「っ、な、なに笑ってるの」
「いや、美華は僕の事になるとすぐに泣きそうになるね」
紡がれた言葉は美華の本質で、図星であった。それを言い当てられてしまったのが酷く恥ずかしい。――わたしだけは、なぜか最初から前世の記憶を持っていた。守護する星もないし、特別太陽系との関わりを持っていた訳でもない。でも、なぜか記憶だけはあった。縁のめぐり逢い、いわゆる偶然でキンモク星を訪れて、ギャラクシアとの戦いに巻きこまれて、星になって消えて行ったあまりに儚い人生。その中でも、ヒーラーとの時間はあまりに濃かった。わたしの心の中から、一度たりとも消えてはくれなかった。
それと同じくらい、わたしはうさぎが好きだった。頭の弱いトラブルメーカー、お人好しで、大切だと思う人に愛されて、あの子の周りはいつも輝いてる。そんな幼馴染が、わたしは好きだった。夜天くんと同じくらい大切で、選べなくなるくらい側にいた。だから、今のわたしには一つだけを選ぶなんて、とてもじゃないけど叶わない。
「…なにか一つを選べばえらい、って訳じゃない。確かに一つの事を極めるのは素晴らしい事だけど、僕はそれをお前に強いたくはないよ」
「え…?」
「気持ちはどうあれ、美華は月野を捨てられないでしょ」
「夜天、くん…」
「けど、それは僕らも一緒。プリンセスだけは捨てられない」
「っ、……分かる、分かるよ」
「――でも、僕は美華の事も捨てられない」
夜天はホットコーヒーを一気に飲み干すと、話を再開させた。朧気に夜空を仰ぎながら、彼はうっそり、と翡翠の双眸を細める。彼は、全てを分かっていた。美華の気持ちも、自身の境遇も、それら全てを鑑みて辿り着いた答えが、どれだけこの少女を悩ませてしまうか、も。それを証明するかの様に、彼女は潤んだ瞳を何度も瞬かせて、驚きを露わにしていた。――どれだけ悩んだろうね、美華。独りで、生きてるかも分からない僕にも、ずっと側にいた幼馴染にも言えなくて。ずっと独りで、弱くなってしまった力で自分を鼓舞して、どれだけ僕に逢いたかったの。
「――捨てたくない」
そう言って、夜天は美華の手首を掴む。その反動で、その手の中にあったココアのスチール缶は地面と衝突する事になった。端正な顔付きを歪ませて、目の前のか弱い少女を求める様にその小さな身体を掻き抱く。涼しげな、サンダルウッドの
「…ばかだな、何で記憶なんか消しちゃったの。寂しがりのくせに」
「っ…恨まれるの、こわかった」
「しないよ、ばか美華。……こんなにすきなのに」
真っ赤な目元を擦る美華の手首を掴み、夜天は赤く腫れてしまった彼女の目元を指先で優しくなぞった。ピリピリ、と反応するそこは、何処かこそばゆい。うっすらと目を開けると、目の前には苦笑を浮かべていてもなお、美しさを保つ彼が居た。甘やかす様に、宥める様に、しかし何処か諭す様に言葉を紡ぐ。「すき」と言うたった二文字、それはこんなにも呆気なかっただろうか。
――どうしてこの人も、わたしも、その二文字が言えなかったのかな。
「――ほんと、ばかだな」
もっと、優しく罵って。そして逃がさないよう、強く抱き締めていて。