いつだってきみは先へ逝く

 スタジオの防音壁の効果を証明し続けるのは、星野が叩くドラムである。何時もよりも激しく叩かれるタムやスネアは、このまま叩かれ続ければ面が割れてしまうのではないか、と思う程だ。あまりに苛烈なそれらに、初めのうちは我慢をしていた夜天もその行為が数分にも及んでしまえば、夜天は苛立ちを露わにした。寧ろ、怒鳴り散らさなかった事を褒めて欲しいくらいである。


「ねえ…好い加減にしたら?」
「くそっ…からかわれてるみたいじゃないか!こうやって歌い、歌い続けて!俺達のメッセージは届いてるはずなのに!プリンセスはなぜ姿を見せてくれない?」

 星野の行動を咎める夜天の顔には、うんざりだと言いたげな歪んだ表情が浮かんでいる。そんな夜天の表情の変化にも気付かない星野は、よほど余裕を失っているらしい。そんな星野はスネアを強く叩き、腰を上げる。そして吐露された言葉の数々は限りなく真実で、星野だけではない、夜天や大気に現実を直面させる効果を持っていた。そんな事さえ頭から抜け落ちているらしい星野は「なぜだ」と叫び、握っていたドラムスティックを床に叩き付けたのだ。


「どこ行くの?」
「頭冷やして来る!」
「――星野!」

 星野はスタジオの扉に向かって、行き場のない怒りを一歩一歩に込める。そして、力の限りに音を立てて扉を閉めた。そんな彼に向かって夜天は声を張り上げるが、――今の星野には何を言っても無駄だろう。――無駄な労力に終わったのである。そう確信した夜天は深く溜め息を吐き、銀色の前髪を雑に掻き上げた。――誰もが思ってる事だ。地球に来て半年が過ぎようとしてる、焦るのも分かる。それでも、手がかりがまったくない訳じゃないのに。


「…確かにプリンセスはすぐ側まで来ていますよ」
「僕も感じたんだ!あの子から、プリンセスの残り香を」
「――あの子が鍵を握っているとでも?」
「だったら話は早いんだけどね」

 先日行われたイベントで匂った金木犀の香りは、スリーライツに酷く懐かしさを覚えさせた。また、何よりも探し求めるプリンセスをより欲するものとなったのである。しかし、彼女の手掛かりは金木犀の香りを纏っていたちびちびのみ。仮にちびちびが手掛かりだとしても、あんなに幼い少女が一体なにを知っていると言うのだろうか。その事に若干の不安を覚えつつ、夜天は再び溜め息を吐こうする。しかしその瞬間、ソファに置いてあった携帯がバイブによって震えたのだ。画面に書かれている「空野」と言う文字に、夜天は大気の顔色を窺う様に見上げる。そこには柔らかな笑顔が存在していた。その表情から大気の気持ちを汲み取った夜天は、静かにスタジオの扉を閉め、廊下の壁に体重を預けたのだ。


「……もしもし」
『――夜天くん?』
「…どうしたの、電話なんて珍しい」
『いや、文化祭のこと聞きたくて。HRも全然来てなかったでしょ?』
「……まだ分かんない、かも」
『…ん、そっか。分かった』

 恐る恐る発した声に応える様に響いて来た美華の声は酷く穏やかで、夜天の様な緊張の色は見えなかった。その事実に思わず息を詰まらせるも、それを決して表には出さない。それをすれば彼女はおかしい、と言いたげに、嬉しそうに笑うのだから。そんな彼女は、電話を掛けて来た理由であろう話題をスピーカーに乗せて知らせてくれる。しかし、その話題は彼の一言によって幕を下ろしたのだ。それなのにも関わらず、彼女は電話を切ろうとしない。――正直、ありがたかった。今の状況では顔を見る事も、声を聞く事もなかなか出来ない。けど、自分からコンタクトを取る事も気恥ずかしくて出来なかった。今までは嫌でも傍にいたから、離れている現状をあまり理解できていないんだと思う。
 数十秒、沈黙が続いた。互いの正体が分かってから、こう言った時間が増えた様な気がする。付き合ってもないのに。こう言う時、この沈黙を破るのは決まって美華の声だった。そして今回も、その役を担うのは彼女なのである。しかし、何処かどもりがちなその声音は何時もと違っていた。


「……美華?」
『……ほんとは、ね。文化祭はどっちでも、良くて』
「え?」
『――声、聞きたかった、だけ』

 神妙な内容かと思っていたが、それは杞憂に終わる。しかし、美華の本音は違う意味で夜天の心臓に突き刺さるものとなった。ぽつり、ぽつり、と紡がれるそれは酷く簡素なものであったが、彼相手ではそれだけで充分なのである。――やっぱりスカイとは違う。あいつは、大事な事は何も言ってくれなかった。今更それを寂しい、と言うつもりもないけど、今感じているような心臓を締めつけられる感覚を、僕はスカイに感じた事は無い。
 どこか大人びてて、自分の無力さを分かってる。それでも身を引く事は無く、でもどこかいじらしさを忘れない美華が僕はすきだ。――「声が聞きたい」――ただそれだけの理由に建前を作って電話をして来るこの弱い存在が、僕はすきですきで堪らない。そんな気持ちが溢れて、僕は苛立ちさえ感じた。


『だ、騙してごめん!怒んないでよ……』
「怒ってないけど、イラッてした」
『怒ってるじゃん!』
「かわいすぎてイライラする」
『?!』




 文化祭当日、夜天はやはり来なかった。期待をした訳ではなかったが、あえない、と分かると途端に侘しさが募る。そんな美華とは打って変わり、うさぎらは何時もよりも二割増しの笑顔を浮かべていた。その光景に思わず苦笑を漏らした美華は客寄せと銘打って、逃げる様に幸福の空間から足を踏み出したのである。――学内の一大イベントと言っても過言ではない今日こんにち、校内は妙に浮かれた雰囲気に包まれていた。秋が深まった頃に開催されるこの祭りは、赤く色付いた紅葉と色鮮やかなイチョウが象徴的である。窓から顔を覗かせるそれに思わず目を向ければ、この空間に存在する筈のない銀色が美華のを奪う。そして気付いた時には、彼女の脚は駆け出していたのである。
 向かい合っていたのはちびちびとまことだった。視界には一瞬しか捉えられなかったが、まことはちびちびを守るため、夜天と対立していた様に見える。――忘れてたけど、スターライツと太陽系戦士は敵対してたんだった。そして、夜天くんは特にプリンセスに対して盲目だ。それに焦りが加わったら、実力行使も厭わない事をわたしはすっかり忘れていた。そんな夜天くんは人でも殺して来たのか、って表情かおをして、まこちゃんに拳を振り翳す。わたしはそれを、許す訳にはいかなかった。思わず前に出て、両腕でそれを受けると前後から息を呑む雰囲気が流れて来る。けどそれも一瞬の事で、夜天くんは綺麗な形をした、翡翠色のを歪ませた。綺麗なのにもったいないな、と場違いな事を思った。


「……夜天くん」
「…どけよ」
「なんで、こんな」
「――どいてくれ」
「だ、……だめ」

 恐る恐る、と言った様子の美華の声音は、微かに震えていた。そんな彼女とは打って変わり、夜天の視線と語尾は酷く強く、冷たい。懇願する様な彼の言葉に、強請る様な瞳に、きゅう、と下唇を噛み締めた。――両腕がじんじん、と痛い。こんな力でまこちゃんを殴ろうとしたの?どんな言葉を、こんな小さな子どもに浴びせたの?怒らなきゃいけないのに、やっぱりわたしは夜天くんに甘かった。目の前で人を喪った時、乱れては泣くこの人を知ってしまっているから。


「……お前には関係ないはずだ」
「関係あるよ!友だちだもん!でも、こんな無理矢理聞き出してもあの人は絶対に来ない!」
「ッ、…うるさいな!」

 涙を堪える様に低音を響かせる夜天は、造形の美しい顔付きを顰めた。そんな彼に言葉を被せた美華も、増幅した声量に釣られ、色素の薄い双眸を細めてみせる。そんな光景を、まことは呆然となりながらも見つめるしか術がなかったのである。そんな彼女に対する激昂は、そのまま真っ直ぐに振り下ろされる。――しかし、それを止めたのは星野の、夜天の行動を咎めた一言だったのである。


「――星野こそ何してんのさ」
「まさか、彼女に会いに来た訳じゃないでしょうね」
「…いけない事か」
「どうしたんですか?」
「…あの女のせいだ」
「彼女は関係ない!」
「星野を誑かすの、止めてくれる?」

 しかし、星野のそんな一言も夜天の声音によって包み隠される事となる。そこから展開されるのは、一向に交わる事のない言葉の応酬である。聞くに耐えないそれらに思わず眉を顰めるも、それがうさぎに向けられた途端、美華は幾分か乱暴になった夜天の手首を掴んだ。――その瞬間、爽やかにも木々が揺れる。そんな自然とは打って変わり、向かい合った二人の間にはピリリ、と鋭い緊張感が走り出した。


「――好い加減にして」
「…離してくれる?」
「この手を離して、うさぎに何をするつもりなの。……怪我をさせるつもりならこの腕、折るよ」
「できもしない事を豪語しないでくれない?お前、いつの間にそんなに弱くなっちゃったの」
「……試してみる?」

 これ程までに冷淡な声音を、うさぎは聞いた事がない。はるかとのいざこざの際も、衛の勘違いでうさぎを泣かせてしまった時も、これ程までに温度を失う事は無かった。しかし、今の美華はどうだ。威圧感は夜天にこそ劣るが、鋭さの増した視線や骨を削る様な鈍い音は決して負けてはいない。掴まれている腕で拳を作り、夜天は筋肉を浮かび上がらせた。しかしそれを見た瞬間、うさぎは「美華!」と声を張り上げたのである。


「…どうしてこうなっちゃうの?私達、一緒にやっていけるはずだよ。ちゃんと話し合えば、分かり合える――」
「…出直して来ましょう。星野も、話があります」
「待って、二人とも!」
「これは私達の問題です。あなた達には関係ない」

 美華の動きが止まったその瞬間を逃さないうさぎは、言葉を紡ぐ。しかし、大気はその言葉さえも一蹴した。――鋭い目を向けられるのは前世以来じゃないかな。大気さんはすぐに収まったから、余計にその目が恐ろしく感じた。この気持ちは、きっとスカイが抱いていたものじゃないと思うから。あの人はきっと、わたしのように弱くはない。それなのに、夜天くんから視線を逸らさないわたしはやっぱり意地っ張りで、誇張をしたがる馬鹿な人間なんだろう。


「……美華」
「…わたし、謝らないから」
「な…」
「うさぎを大切にしてるわたしのこと、知ってるくせに」
「そ、れとこれとは話が別だろ」
「別じゃないもん!優柔不断なのに捨てたくないって言ってくれたの、すっごい嬉しかったのに…」
「ッ、何で今それを言うんだよ!泣いても慰めてやれないから!」
「なんで今更意地張るの!無理矢理押し倒してちゅうして来たくせに!」
「ちょっと夜天くんちゅうってなに!?」
「お前が入るとややこしさに拍車がかかるから黙ってろ!」




 スリーライツが居なくなった裏庭では、夜天と大気の態度に関する批判が行き交っていた。彼らの目的が分からない現状としては、当たり前の行動である。――そんな時に現れたのはレッドクロウだった。どうしてこの様なタイミングに来てしまうのか。敵勢力と言うのはつくづくタイミングの悪い集団である。しかし、そんな愚痴をあちら側が聞いてくれる筈もない。レッドクロウは美華らを探していた様で、うさぎの正体も筒抜けとなっていた。恐らく、セイレーンによって与えられた情報なのだろう。
 内部戦士らは変身をするも、今回のレッドクロウの力には遠く及ばない。魔法陣で衝撃波を耐え抜いた美華以外、マーキュリーらは窓ガラスに勢い良く叩き付けられた。割れたガラスは、その衝撃によってその場に舞い散る事となったのである。


「――その子達から離れて!」
「プリンセスのお導きがこんな事だったなんて…!」
「ヒーラー…!」
「……どっちにしても、邪魔な奴はまとめて片付けてあげるわ」

 内部戦士らがこうも一方的にやられてしまうと、うさぎを守る者は自動的に美華のみに絞られる。そんな現状で響くファイターとヒーラーの声音は変わらず、レッドクロウに対して明確な殺意を向けていた。――ふと、ぱちり、と美華とヒーラーの視線が絡み合う。濁った双眸と比べ、ヒーラーの翡翠のそれはキラキラ、と煌めいていた。美しさと強さ、そして少しの不安定さを兼ね備えたそれに、美華は思わず顔を歪める。


「知ってるわよ、あんた達の事も。アイドルやってるんですってねえ」
「なぜそれを!?」
「――動かないで!」

 そう動きを制止されては視界に飛び込んで来るのは、禍々しい色、オーラを纏ったとある筒である。それはブラックホールと呼ばれるもので、万物のものを細胞まで分解し尽くす消滅の空間として認知されている。それを持って来たと言う事は、レッドクロウも捨て身の覚悟なのである。――セイレーンがギャラクシアの手によって消された今、レッドクロウにはもう何もなかった。あるのは、セイレーンが遺して行ってくれたセーラー戦士の情報のみである。


「さあ、あんたのスターシードを渡しな!」
「…分かった」
「うさぎ!?」
「止めて!」
「……来ちゃだめ。これ以上、無関係の人を巻き込めないよ……。――さあ!」
「よしよし、良い子…」

 レッドクロウにブレスレットを構えさせてしまった今、この場の誰かのスターシードが抜かれる、と言う事態を避ける事は出来ないのだろう。それを悟ったうさぎは意を決した様に目を瞑り、変身ブローチをメイド服のポケットに仕舞い込んだ。そんなうさぎに対し、美華とファイターは声を荒げる。しかし、そんな現状の中でもうさぎの決心が揺らぐ事は無かった。――意思の強いうさぎに二つの光弾が近付き、襲い掛かり、月の光を奪って行く。

 それで良いの?わたし。


 ――だめに決まってんだろうがふざけんな!――心の中でそう激昂した瞬間、美華の身体は既にうさぎを庇う様にうさぎの前へと存在していた。そしてうさぎの身体を強く押し返せば、それは後ろの大木に強く触れたのである。その瞬間に聞き慣れた声が、姿が、黄色い光に包まれた。それと同時に、その場には悲痛なる美華の嬌声が響き渡ったのである。――視界には崩れ落ちる美華とヒーラーの姿があって、それがより一層、私に現実を押しつけてた。うそだもん、ありえない、信じたくない。だって、いつだって笑顔で、強くて、私達を支えてくれるのは美華だもん。小さい時から何かを探してるみたいで、どこか遠くを見てて、それでも私の隣にいて、私を守ってくれていた美華がどうして、どうして、私の前で犠牲にならなくちゃいけないの。
 ――目の前には美華のスターシードが広がっていた。綺麗だった。宇宙を司るあの子らしい、柔らかく、あたたかなものだった。視線を逸らす事は出来なくて、それはあの子の心を表しているみたいだった。今、こんな時にそんな事を実感するなんてばかみたいな話でしょう。ここにいる理由も、遠くで見つめるしか出来ない理由も、あたしは分からず仕舞い。あの時も、今も、ずっとずっと後悔していたはずなのに、どうしてあたしはいつまで経ってもあの子を守れないの。…どうして?そんなもの、あの時も今も、理由はたった一つだった。

 あたしも、僕も、あの頃から変わらず弱いままだからだろうが!


「…いただくわよ」

 美華のスターシードがレッドクロウの手に渡れば、美華の身体は力がなくなった様に崩れ落ちる。美華の元へ急いで駆け寄るうさぎの視界には、生気が失われた、青白い表情が広がっていた。そこでやっと、うさぎの中では絶望感が暴れ始めるのである。――そんな中、唐突ながらにもレッドクロウの悲鳴と硝子の破裂音が空気を裂く様に響き渡ったのだ。その直後に微かに紡がれた「なるほどね」と言う声に、美華以外の人間は目を向ける事になった。


「…こう言う事だったわけ。あなたとはお友達になれると思ったけど…残念だわ、――」
「ちびちび、だーめ!」
「退きなさいよ」
「いやあ!」

 先程の音はブラックホールを閉じ込めていた筒が割れるそれであったらしく、その中には既に美華のスターシードとレッドクロウが吸い込まれてしまっていた。それは即ち、美華の命を救えない事を意味していた。スターシードさえあれば転生も可能であった筈なのに、それを失ってしまえば、もう、美華に出会う事も叶わない。それに加え、ちびちびさえもそこに吸い込まれる事となったのだ。スターライツ――ヒーラー――にとっては致命的且つ、絶望的な状況だった。


「――待ちなさい!」
「よくもあの子の命とプリンセスの手がかりを…!」
「なにわけ分かんないこと言ってんのよ!それより、おたくらも早く逃げた方が良いんじゃない?あの暴走、――もう止まんないわよ?」

 もう、我慢の限界だった。美華の命を晒しものにされるなんて許せなかった。――プリンセスよりも優先したい――叶う事は無いけれど、出来る事ならずっと見ていたい唯一を、再生不可能なものにさせてたまるか。執着にも近いあたしの気持ちさえ一蹴する敵に殺意を向けるけど、その時に、あたしは懐かしい波動と匂いを感じた。泣きたくなるほど懐かしい故郷の、愛おしい金木犀の香り。これを纏っているのは、あたし達以外ではあの人しかいない。


「このエナジーは…」
「まさか…!」
「この波動…間違いない!」

 僅かな希望を抱いて空を仰ぐと、そこには赤を基調としたドレスを着た女性が、ブラックホールに呑み込まれた筈の美華のスターシードを本人の中へと還している。その側には、何時もと変わらぬ笑顔を浮かべるちびちびが居た。――待ち望んでいた。あたしも、ファイターもメイカーも、美華さえも願ってくれていたはず、だった。ずっと会いたかったから。ただ、この為に地球に来たんだから。運命を辿る為じゃない、のに。あたしは今、美華の無事を確かめたくて仕方がない。


「プリンセス…」

 宇宙の加護を失ったか細い身体を抱き寄せて、金木犀の香りを押しつけたくてたまらないのに。