微かなしあわせ、消える丹桂

「――美華」

 そう声を掛けられたのは、ばかだな、と愛おしげに貶されたあの公園だ。ブランコを揺らすと、キィ、と錆びた金属らが擦れる音が切なく響き渡る。時間帯が夕暮れ時だと言うのも、その切なさを助長させていた。そんな時に放たれた夜天の、男にしては高めの声音は酷く弱々しく鼓膜を震わせ、やけに響き渡った気がする。互いの視線が絡み合った瞬間、くすり、と彼が微笑んだ。


「…夜天くん」
「ごめん。急に呼び出して」
「んーん、大丈夫。夜天くんこそ、時間平気?」
「今日は早朝の撮影だけだったから、平気」
「そっか」

 先日見せた、色欲の孕んだ表情ではない。その差に少なからず驚く美華は、きゅう、と双眸を僅かに細めた。そんな彼女に気にした様子を見せない夜天は、席の空いたブランコにゆっくりと腰を下ろした。――キィ、と切なげな音が鳴る。その音がきっかけで展開される二人の会話は酷く静かで、そして、静かに終わって行った。話したい事は多く存在していた筈なのに、こう改めて会ってしまうと喉の水分が全て蒸発してしまったかのようで、苦しさが押し寄せて来る。そんな中、彼女は差し出された一枚の封筒にきょとん、と首を傾げた。


「これ…」
「……ファイナルコンサートのチケット」
「どうして…」
「…観客として来てくれた事ないだろ、お前」
「そ、そうだけど」
「――最後だから、来て欲しい」

 封筒の糊をそっと外すと、そこから出て来たのは一枚のコンサートチケットだった。ファイナルコンサート、と大きく書かれたそれはスリーライツとしての三人との別れに現実味を帯びさせていて、寂しさが唐突に押し寄せて来るのである。――きっと、この紙切れ一枚が欲しくて欲しくて堪らない人が、地球にはいるはずだ。なのに、これを受け取っても良いのかな。…なんて、誰にもやりたくないって思ってるくせに。悲しい顔をされたら流されてしまう事なんて、とっくの昔に理解していたのに。


「……ずるい、その顔」
「嫌いじゃないでしょ」
「……そう言う試すような口振りはきらい」
「手厳しいな」

 ずるい、きらい、と吐かれているのに、夜天はその頬を僅かに緩める。そして嬉しそうに、愛おしげに美華の頬を撫でた。どうやら彼は、拗ねた様に視線を逸らすその仕草さえ愛おしいらしい。そんな気持ちを押し付ける様に、彼女の存在を隠しつつ唇を奪う。一瞬の事であったその行為にぱちくり、と瞬きを繰り返す一方、彼は楽しげに翡翠の双眸をゆるり、と緩めた。そして、もう一度その唇を塞ぐ。今度は少しだけ深く、体温と余裕を奪う様に舌先を動かした。――照れているんだろう、触れた頬は僅かに熱い。


「……で、来るの?来ないの?」
「行きます……」

 ――このぬくもりを、憎くて堪らない宇宙なんかに奪われてたまるかよ。




 コンサート当日、日も暮れて星が主役になった頃、会場へと足を進めていた美華はその道中ではるかとみちるに出会った。二人のその厳しい眼差しはコンサートを楽しむ為のものではなくて、スリーライツに喧嘩を売りに行く様なものである。そんな二人の様子に思わず苦笑を漏らした美華だったが、会場が近付くにつれて己もピリピリ、とした緊張感に包まれる事になった。
 会場に到着次第、はるかとみちるは迷わずある場所へと直進する。その足取りを模倣し、目的との距離が縮まれば縮まるほど、金木犀の香りが鼻腔を擽り始めた。そうして垣間見えた翡翠の瞳は美華が愛してやまないものである。しかしどうやら、この空間は逢瀬を祝福してはくれないようだ。


「――間もなくこの星も戦場になる。あなた達は、戦いの本当の怖さをその身で味わう事になるのでしょうけど」
「あんた達にギャラクシアは倒せないよ。強がっていられるのも今のうちだと思うけど?」
「……なにがあろうと、自分の使命を全うするだけだ」
「私達には、命に代えても守らなければならないものがあるの」

 はるか、みちると同様の厳しい眼差しを、スリーライツからも注がれる。その発端は主に大気だった。しかし、美華との視線が交わる度に何処か、同情染みたそれを感じるのだ。――この星も滅ぼされるのに中途半端に力を与えられて、それでも何も出来ないなんてかわいそう、とでも言いたげな視線だった。否定は出来なかった。今までだって誰かを守る事は出来ても、最後に解決する大きな力はうさぎだったから。でも、わたしが命に代えても守らなきゃだめなのは、守りたいのは――、


「――美華」
「っ、……は、い」
「…来てくれたんだ。ありがと」
「ち、……チケット、が」
「ん?」
「…………チケットが、もったいない、から」

 可愛げのない美華の呟きに、夜天はいじらしさを探し当てては「そっか」と、ただ一言だけ残して彼女の頬を撫でる。その時の表情は、酷く柔いものであった。――その言葉がただの照れ隠し、って事はすぐに分かった。顔を真っ赤に染めて、胸元の棒リボンを弄っている。これが照れ隠し以外の何になるんだろう。でも、それを理解している人間がもう一人。見せつけるように美華の腰を抱く天王はるかだ。そいつはまるで恋敵を見るように僕を見下ろして、睨んで来る。

 それでもお前だけの妹にはさせないし、近いうちに僕のものにするけど。




 真っ暗なステージの上に唯一照らされる三つのスポットライト、それらに当てられているのはスリーライツだ。何時もと同じ色のスーツで身を包み、胸ポケットにはそれぞれ、メンバーカラーの薔薇が飾られている。個々に与えられた歌フリをマイクを介して紡ぎ、時には三人のユニゾンが会場中に響き渡った。しかし、美華の鼓膜は夜天の声色のみに集中していたのである。――いつもだったら交わりもしないが、わたしを見つめていた。あいたいとささやく、わたしに。囁かれた事もないくせに。捨てられない、ばかだな、って抱き締められた事しかないくせに。それでも、わたしを見つめてくれるこの時間が、わたしの心を満たしてくれた。けど、それさえ有限であるはずがない。パフォーマンスも終盤に差しかかった瞬間、ドーム状の会場内では爆発音が響き渡った。


「――銀河はすべてギャラクシア様のもの!」
「そうはさせない!」
「そうね、ギャラクシアなんかに支配されてはだめよ!」
「これは…」

 ――ブレスレットの影響…?――そう呟く前に、プルートの言葉によって結論に先立たれる。しかし、美華が出した仮定は正解であったようだ。僅かに善の心が見え隠れするセーラーティンにゃんこは正反対の言葉ばかりを紡ぎ、己でさえもそれをコントロール出来ないでいるらしい。そんな現状に思わず眉を顰めた瞬間、黒煙の影響によって姿を隠した空からスターライツが現れたのだ。そして、流れる様に技を繰り出すセーラースターエールを前方にて構えるも、ネプチューンの声によって止められる事となったのである。


「待ちなさい!」
「この地球は、僕達が守る」
「あなた方は下がっていなさい」
「――いえ、コンサートを邪魔した奴はあたし達が倒すわ!」
「あなた達は見ていて下さい!彼女はあたし達で元に戻してみせます!」
「私達の敵です!」

 似た様な言葉らの応酬、敵の取り合い、本来は味方である筈の者達への攻撃。――それらすべてにイライラを募らせるのは、わたしだけなのかな。ちらり、と横を見れば、ちびちびちゃんを抱えたムーンが心配げにその様子を見つめている。「大丈夫」だなんて仮初めの言葉を口にする事は出来なくて、思わず論争の光景から視線を逸らした。その瞬間、こちらに勢い良く迫る光弾がわたし達に襲いかかる。それに手を翳し、盾を張った瞬間には強大な爆破音が響き渡った。


「――ギャラクシア」
「久方振りだな、スカイ」
「今のわたしは『スカイ』じゃない」
「……同じであろう」
「同じじゃない!」

 その瞬間、戦士らは我に返った様に前方へと目を向ける。その動きさえ目で追う事は無い美華は目の前で浮かび上がる、ホログラムのギャラクシアを睨み上げた。スカイの記憶とは異なる、全身を堅い鎧で覆ったギャラクシアは口元に笑みを浮かべ、こちらを見下ろしている。そして流れる様に紡がれる言葉に、美華は激昂した。それと同時に己の身長の倍以上はある魔法具を顕現させ、槍になったそれの先端をギャラクシアに向けたのである。しかし、実体を見せない今のギャラクシアには傷一つ付ける事は叶わないらしい。


「……それも一理あるやもしれんな。『スカイ』の力はほとんど受け継がれていないらしい、…のう。――空野美華!」
「っ、美華!」

 すり、と己の輪郭を、ギャラクシアは柔く撫でる。その仕草にぞくり、と思わず背を震わせた美華の感覚は間違っていない。それを証明したのが、その直後に幾多も繰り返される攻撃だった。美華はそれらを避け、時には魔法具にて撃破して行く。ふと着地した場に魔法具の先端を軽く差し込み、魔法陣を展開させては己と戦士ら全員に盾を張った。鼓膜を震わせるムーンの声は、きっとおそらく泣きそうであった筈だ。――そんな二人の攻防の流れを切る様に、再びティンにゃんこが騒ぎ出す。それに対して大きく溜め息を吐いたのは、紛れもないギャラクシアであった。


「…もうよい。ご苦労だった」
「っ、――だめ!」

 無情にも、突き放す様なギャラクシアの言葉と手を翳す一瞬の仕草に美華は飛び付いた。しかしそれも虚しく、後ろに確かに存在していた筈のティンにゃんこは、衣服だけを残して骨も残らず消え去ったのだ。誰かが言った「うそ」と言う言葉は、静かなこの空間では現実を突き付けられるだけだった。――それは美華も同じ事である。昔、遭遇した妖魔の様に黒い灰にすらならない。さしずめ、金のブレスレットはスターシード代わりの延命道具、と言ったところだろうか。簡単に人一人を消してみせたギャラクシアは美華から視線を逸らし、火球を視界に映した。


「…スカイ、悪く思うなよ」
「え…」
「――お前はこれから先も、何も出来やしない」

 火球に狙いを定めたらしいギャラクシアの瞳は一瞬、金色こんじきに輝く。それと同時に呟かれた前世の名は美華の背にぞくり、と悪寒を走らせるものとなった。「なにも出来ない」とまるで予言の様に言い放ったギャラクシアの言葉に、美華は思わず火球へと視線を向ける。――いけない。あの攻撃を一瞬でも受け止めちゃえば、あの人は――そんな思考回路を放置した美華は、何時の間にか火球を庇う様に手を翳していた。


「ど、退いて下さい!美華!」
「――いやだ!火球ちゃんが消えたらヒーラー達はどうなるの!」
「あ、なたこそ!もう一度ヒーラーに守られる絶望を味わわせるつもりですか!」

 己が張っていた盾へ覆い被せる様に魔法陣を展開させ、ギャラクシアから与えられる攻撃をいなして行く。しかし、「ヒーラー」と、その名を口にされてしまえばびくり、と肩が跳ねた。その瞬間、その肩を掴まれてはヒーラーの身体へと押し付けられる。弾ける様にその手を見上げれば、そこにはギャラクシアからの攻撃を受け止める火球の姿があったのである。――赤みが広がる赤褐色と金色こんじきが交じり合い、不謹慎だが綺麗だ、と思った。


「火球ちゃん止めて!」
「……あの時、何も出来なかった。だから、今度こそ」
「や、だ……!」
「――あなたを守ると、私は心に決めていたんです」

 ――どうやらギャラクシアと顔見知りらしいスカイの身体が貫かれたあの瞬間、ヒーラーの激昂に包まれたあの場で、私は何も出来ずにいた。スターライツの心を開いてくれた、笑顔が少し大人っぽい私の初めてのお友だち。夜天の傍にいる美華も、きっとその根本は変わらないはずで。大人っぽくて達観していて、けれど、情が深く涙脆い女の子。その温もりを、ヒーラーの、夜天の手からまた奪ってはいけない。
 しかし、現実は残酷なのである。美華とヒーラー、そしてファイターの悲痛な声が響き渡った瞬間、火球の額には橙色の花びらに包まれた褐色のスターシードが咲いたのだ。そしてギャラクシアから押し付けられた言葉に、美華は歯を食い縛る事しか出来なかった。――事実だから。本当に、本当に何も出来なかった。最期までいたぶられる事を受け入れてしまった。わたしを守って粒子となる人が、「スカイ」の唯一の友人が今、ここで、消えかけていると言うのに!


「っ…美華、けが、は」
「な、い、ないよ。なんで、……ッ、なんで、ぇ」
「…二人きりの時、は、よく泣いて、た」

 絞り出す様に、押し潰された美華の声に火球はふと瞳を細めた。そして美華の頬に手を差し伸べ、微笑わらう。頬に触れると、美華の涙腺は壊れたようにぼろぼろ、と涙を零す。――本当に、良く泣く子。スターライツと仲良くなれないだとか、ズバズバ言い過ぎたかもしれないだとか、端から見れば微笑ましいだけの小さな悩みを良く口にしていた。その度に「なに笑ってるの!」と怒られたけれども。そして今は、そんな事もしてくれないでしょうけども。朧気な記憶の中で、そう思った。


「かきゅ、ちゃ、……やだ、やだ、ぁ」
「……だいじょう、ぶ。生き延びて、ください、――大好きな美華」
「かきゅうちゃん……!」

 ――赤ちゃんみたいに駄々を捏ねるわたしは、きっと見るに耐えない姿だった。それでも、恥も外聞も捨ててでも、友だちの名前を口にしたかった。首に腕を回されて、金木犀の匂いがわたしの身体に纏わりつく。粒子が多くなる火球ちゃんの背中に腕を回しても、もう感触は無かった。耳元で、笑う吐息が響く。もう、感覚もないよ、火球ちゃん。いやだ、きえないで、そばにいて、ってうわ言みたいに呟くけれど、時間の経過は早い。赤褐色の粒子は空中に浮かんで、あっと言う間に消えてしまった。わたしの返事も聞かずに、星となってしまった。


「――火球ちゃん!」

 最後まで、涙と金木犀の香りは消えなかった。