「汝の名を応えよ。」

 春先だったと思う。ずっとずっと望んでいたアメリカ行きの飛行機に浮かれていたのか、機内では最近気になっているジャズバンドの曲を垂れ流しにしていた。そんな様子の俺を、地場さんは呆れたように、微笑ましそうに横目で眺めている。そんな俺だから、空港で感じていた言いようのない不安を、いつの間にか忘れていたようだった。そんな俺だから、いつまで経っても亜美の事をこの手で守れないんだろうと、強く思う。――こんな思いは、黄金の光を浴びてから一層強くなった。


『今のは一体…』
『……乗客が全員いねえ』
『感じるぞ。輝ける星のエナジー…スターシードの伊吹を…!』
『――何者だ!?』

 光が自身の身体を貫くその一瞬、俺の身体は黒いマントに包まれていた。――地場さんだ。タキシード仮面となり、俺を守ってくれたらしい。その暗がりから解放され、ふと周りを見ると、人の気配は全く感じ取る事が出来なかった。じんわり、とこの現状に嬲り殺されるような感覚に襲われる。しかし、その感覚は決して杞憂ではなかったみたいだ。その証拠に、俺の耳には聞き慣れない重圧のある声が響く。全身を金色で纏めたその女は、楽しげに俺達を見下ろしていた。


『私は全銀河を支配する者、ギャラクシア』
『なぜこんな事をする。罪なき人を苦しめてどうするつもりだ!?』
『仮面さん相変わらず気障だねえ。恥ずかしくない?』
『この状況で何笑ってんの?』

 全身から威圧感が溢れる女はギャラクシア、とのたまった。どうやら、空港からずっと続いていた言いようのない不安はこの女の影響らしい。こめかみから輪郭を伝って顎まで、流れるように冷や汗が垂れる。それを隠すように俺はいつも通りの喋り方で、タキシード仮面に向かって茶化すような言葉を放った。相変わらず素早いツッコミで助かる。その様子に少しだけ眉を顰めたギャラクシアは、機嫌を損ねてしまえば、この飛行機ごと吹っ飛ばしてしまうそうな気概に見えた。――そんなギャラクシアは、タキシード仮面の言葉に牙を見せ、激昂する。


『…銀河は全てこのギャラクシアのもの、どう扱おうと私の自由だ!』
『銀河は誰のものでもない!』
『確かめてみるか?』

 ギャラクシアの激昂に応えるように、タキシード仮面もギャラクシアを睨み上げる。そこからは二人の戦いだった。けれど、ギャラクシアの狙いには俺も入ってしまっているようで、時々こちらにも光弾が襲いかかる。それを退ける為に腕に固定する火炎放射器を顕現させた。そこから伸びるように靡くマントは少しだけ、タキシード仮面の物と似ていると思う。――俺にはこれしかない。
 ちらり、と隣を見れば、タキシード仮面のスティックとギャラクシアの光弾が交錯し合っていた。けれど良く見ると、タキシード仮面の方が押されかけているらしい。俺はそんなタキシード仮面を守る為に援護を試みるが、それは思ったよりも難しいものだった。――絶叫が響く。目の前で貫かれるその身体は紛れもない、大事な幼馴染の大事な人だ。守れなかったのだと、瞬時に悟った。けれど馬鹿な俺は、ただその人の透けた身体を支える事しか出来ない。


『お前、いま、何奪いやがった……?』
『…エンディミオン、思ったよりも呆気なかったな』
『ッ、答えろよ!』

 胸元が上下する様子を呆然と見下ろしながら、震える声で問いを投げ掛けた。それには答えないギャラクシアは、衛のスターシードをうっそり、と眺めている。ただの器となってしまった彼には興味が失せてしまったらしく、あまりに冷淡な視線に蒼はギリ、と歯軋りの音を響かせた。――その直後に紡がれた、明確な侮辱の言葉に蒼は激昂する。鋭く輝く橙の双眸は、確かにギャラクシアが追い求めていたものだ。


『スターシード――これがあって初めて、人は人としての器を持ち合わせる事が出来る。命の源、言ってもよいだろうな。黒澤蒼、前世の名は『ツーロン』、だったか?』
『……どこでその名を聞いた?その名を名乗った覚えはねえぞ』
『怖い顔をするな。お前も今から、同様に消えるのだから、――』

 語尾を強めたギャラクシアは再びブレスレットを構え、標的を蒼に絞った。ほぼ背景と透過してしまった衛を横目に思わず舌打ちを響かせ、蒼は武器から橙の光を放出し、それを身に纏う。それに弾かれた光弾は飛行機のボディを掠め、火傷の様な傷跡を刻み付けた。――俺の前世は地場さんの、エンディミオンの近衛兵だったらしい。「らしい」ってのは記憶が朧気で、興味もないから。前世からの縁に引き寄せられるなんて真っ平ごめんだ。王族でも何でもないのに、俺の中にはギャラクシアの言う「真のスターシード」が眠っているらしい。意味が分からねえし、ここで消えたらだめなんだろうけど、消えるんだろうな、って事は薄々感じてた。美華とうさぎにどやされるな。亜美は、……泣くかな。
 そんな事を考えているうちに、光弾は蒼の目の前にまで接近していた。――瞳を伏せて、薄く笑う。そうして響いた絶叫に、ギャラクシアは高らかに嘲笑わらった。「真のスターシード」と呼ばれる橙のそれを奪われてしまえば、何もせずとも呼吸器官が潰されて行く感覚に苛まれる。至近距離にて響くヒール音が鼓膜を震わせたかと思えば、彼女は蒼の両頬を掴み上げ、視線を合わせた。


『なにが、狙いだ』
『私と共に宇宙を統制するやくめを担っていた女を探している』

 ――名を「スカイ」――流れる様に紡がれたその一文に、蒼は思わずギャラクシアに掴み掛かった。しかしその様な行動は、彼女には予想の範疇なのである。両頬を掴んだまま飛行機のボディに押し倒し、その首元をヒールで押し潰した。――牙を剥き出しにして「てめえ!」と叫ぶ。しかし、声は出なかった。そんな蒼に口角を歪ませるも、ギャラクシアは先程とは打って変わり、慈愛に満ちた表情で「安心しろ」と、地へと堕とす言葉を口にしたのだ。


『大事に、大事に傷つけて、――私のものにしてやるから』

 ――この戦いが「美華を手に入れる為の壮大な前戯」なのだと、俺はその言葉でようやく気づいた。





 瞳が、ゆっくりと開かれる。絶望を抱いて消えて行った幼馴染の表情が、僅かながら脳内を巡った。しかしそんな幼馴染は、もう既にこの世には居ないらしい。その事実を漸く呑み込んだ美華の視界には、絶望のみが映り込んでいた。澱んだ空には毒々しい紫が広がっており、その中で時折、流れ星の様に残像を見せるそれはきっとスターシードである。次々と綻びを見せ始める現状に、彼女は思わず眉を顰めた。
 ちらり、と横を見ると何時もの元気な面影は失った、憔悴しきったムーンが両の膝小僧を抱える。ボロボロの身体の側にちびちびを寄り添わせたムーンの脳裏には、仲間が消えて行く場面が繰り返し流れているに違いない。そんな時、まるで現実を無理矢理呑み込む様に、ムーンは声を震わせながら口を開く。


「夢じゃ…なかったんだ。まもちゃんも蒼も、レイちゃん達もいなくなっちゃったんだ……」
「――感傷に浸っている場合か。泣いていても、状況は何も変わりはしない」

 今のムーンの瞳には、ファイターも、美華の姿も映ってはいないようだった。そんな空間に割り込む声は、些か冷淡なものとなっている。――「ウラヌス」と力の籠らぬ声を響かせると、ウラヌスは緩やかに青灰色の双眸を細めてみせた。同情を、されている様に感じた事は嘘ではない。しかし、何処か遠くを見つめていたかと思えば彼女は試す様に、高圧的にも美華を見下ろしてはその名を呼んだ。


「――お前は何なんだ?」
「……どう言う意味?」
「とぼけるな。ギャラクシアと知り合いだそうじゃないか、……何を知ってる?」
「……知らない」
「ッ、だから――」
「本当に知らないの!」

 びく、とヒーラーとムーンは思わず肩を跳ねさせる。この話題に関して、ネプチューンは口を挟むつもりは無いらしい。それとは打って変わり、美華の声にも反応を示さないウラヌスは、僅かに息を荒げる妹弟子をただただ見つめていた。震える唇を噛み締めて、美華は、恐る恐るウラヌスを見上げる。あまりに真っ直ぐな双眸に、美華は思わず肩の力を抜いた。


「……わたしは今も、前世でも、戦士じゃない」
「知ってる」
「…宇宙の、統制を図る者として、わたしは生まれた。最初は独りだったけど、途中からは、――ギャラクシアと一緒だった」

 ぽつり、ぽつり、と切り出された話は、今はもう朧気で、しかし、確かに幸せだった「スカイ」の記憶である。――守護星を持たないわたしは、色んな星を転々としていた。自由な身、と言えば聞こえは良いけれど、帰る場所がないと言うのは少しだけ、…いや、すごく寂しかった。でも、ギャラクシアとの日々は楽しかった。ギャラクシアは強いから心配する必要もなかったし、その強い力を受け留めるだけの力を、わたしは持ってた。
 その日々が終わりへと近付けてしまったのは、わたしに舞いこんだ依頼がきっかけだったように思う。キンモク星から送られて来た、戦術指導の依頼だった。その後、わたしはキンモク星へと飛び、ギャラクシアはその場に留まったらしい。それからキンモク星が襲撃されるまで、わたしはギャラクシアを知らない。ただ、あまりに変わった姿に驚いた事だけは確かだった。


「姿が変わった……?」
「特別長い間一緒にいた訳じゃないけど、見た目の変化が分からないほどあの人に無関心だった訳じゃない」
「……本当に、キンモク星に来てからは会ってないのね?」
「うん。…だから、わたしと別れてから誰と会ったのか、何が起こったのか、何も分からないの」
「…他に気づいた事は?」
「……確かにギャラクシアは元々強かったけど、あんなに気味の悪い力じゃなかった、と、思う」

 ――まるで正反対の、二つの力が混ざったみたいでむずむずする。――と美華は言葉にする。しかし、ムーンは月の力、ウラヌスは天王星の力、と言った様にその者唯一の力しか行使した事がないため、その言葉に納得する事は出来なかった。きっと、美華も気付いている。そんな僅かな罪悪感を抱きつつも、ウラヌスは再び唇を開いた。――ギャラクシアの事を知りたかったのは嘘じゃない。けれど、それだけを知りたくてこんな、取り調べのような事をした訳じゃなかった。美華、お前、途中から一人称が混じってる事に気づいているのか。
 それを確かめる為に、僕は美華の手を軽く握る。小さくて、細くて、すぐに消えてしまいそうなそれ。たったこれだけで何人もの人間を守る美華はきっと、僕がいなくても強いんだろう。けれど僕がいなければ、奥底に仕舞いこんだその弱さを、誰にも打ち明ける事はしないんだろ。美華、


「……僕は、これからひどい事を聞く」
「うん」
「…ひどい事を、望むと思う」
「うん」
「それでも僕にとっての美華は大切な妹弟子で、――仲間だ」

 そんな大層な前置きをしても、美華の表情かおは変わらなかった。まるで慈しむように微笑わらって、とろり、とした声で「いいよ」とすべてを許す。それが少しだけ切なくて、とても寂しくて、ほんの少しだけ、有り難かった。そんな僕は「嫌い、と言わないでくれ」と望む。そう言うと、美華はおかしそうに笑った。馬鹿だな、と言いたそうに僕の手を少しだけ握り返す。そんな光景を眺めるヒーラーから鋭い視線を受けるが、これを離すつもりは無いらしい。呆れたように目を逸らした。その隙を見兼ねて、僕は「美華」と名前を呼ぶ。


「……お前は、前世の名を引き継ぐ『スカイ』か?」
「え…?」
「僕は前世のお前は知らないし、分からない。現世いまのお前しか、僕は分からない」
「……わたし、は、…『スカイ』じゃ、ない」

 逃げられぬ美華は、震える声でウラヌスの問いを否定した。――「スカイ」じゃない。あんな奴になってたまるか。今のわたしにないものを全部持ってるくせに、ヒーラーをずっと独占してたくせに、呆れちゃうくらいに不器用な女の人。醜く妬いてしまっても、どれだけ羨ましくても、わたしは「スカイ」じゃない。宇宙なんかどうでも良いし、大切な人達が笑顔で、幸せでいてくれるなら何でも良い。その為だったら何だってするし、力を全部使い果たしてしまったとしても、死にもの狂いで現世ここに縋りつくよ。はるか、わたしはうさぎの幼馴染で、少し変わった力を持つ、ただの女子高校生、


「――『空野美華』だよ」

 わたしがそう言うとウラヌスは呆れたように、けれど嬉しそうに笑った。




 納得した様に表情筋を緩めたウラヌスは、ヒーラーに何やら耳打ちを残し、踵を返す。そこで漸く動きを見せたネプチューンは美華の頬に軽く口付けて「いい子で待ってるのよ」と言葉を残し、ウラヌスに着いて行く様にその姿を消した。窓からずっと外の様子を眺めていたサターンとプルートは、未だに口を開かない。その影響もあってかウラヌスとネプチューンの退室以来、物音一つ響く事は無かった。しかしふと、そんな静寂を破る音が響いたのである。


「……私達、また生き延びてしまったのね」
「プリンセスの仰る通り、希望の光が見つからない限り、あたし達はギャラクシアに勝てないのかも知れない」
「――そんな事ない!」

 落胆の色を見せた言葉を紡いだのはメイカーである。そんな彼女の言葉に同調する様に、ヒーラーは自嘲を示す笑みを浮かべながら膝を抱え込んだ。――しかし、そんな暗がりを切り裂く様にサターンは声を張り上げた。そして、「セーラームーンのこと、すき?」と、ファイターに問い掛けたのだ。その問いにファイターはもちろん、ムーンも深い青色の双眸を大きく見開かせる。


「…ええ。すきよ」
「良かった。私達、同じ希望を持っているみたいだから。――私達のプリンセスを、信じて」

 囁く様に、しかし明確にファイターは肯定の意を示す。彼女の応答に声を出さず、驚きを露わにするムーンはやはり、星野とファイターの想いを理解していない。しかし、微笑みながら呟かれたその言葉は、ムーンの瞳に光を取り戻させる功績を挙げたのである。――それでも、ヒーラーとメイカーの表情は晴れなかった。自身らを、美華を庇い、消えてしまった光景が脳裏から離れない。それでも笑みを絶やさぬファイターは、今は、今だけは、ムーンに瞳を奪われてしまっているのだろう。




 外部戦士が全員居なくなったこの空間は酷く静かで、他にすべき事も見つからないヒーラー達は少しでも体力を回復させる為に、眠りの世界へと堕ちていた。その間の美華と言えば、そんな戦士らの傷を癒す事に専念している。思ったよりも傷が深いスターライツはどれだけの時間、ギャラクシアの攻撃に抵抗していたのだろう。捨て身の覚悟で挑んで行ったのだろう事は瞬時に理解できた。――いや、捨て身の覚悟以外、ありえなかった。あのは、そんな覚悟だっただろう。そんな時、この空間で目覚めてしまったのはちびちびだった。ちょこちょこ、と動くその姿は少しだけの癒しになる。でも、メイカーはかわいそう、と言いたげにを細めた。


「…眠っていれば良かったのに」
「――止めて、メイカー」
「仕方がないじゃない。私達も戦えない、もう守る者さえ残っていない」
「守るもの…残ってない?」

 ――どうしてこんな時に――そう思うのは仕方のない事だと思う。けれど、それを口に出してしまったのが頭脳派のメイカーだと言う事実が、どうする事も出来ないんだろう絶望感を広げさせてしまった。でも、それに反論(と言うのかは不明だが)を唱えたのは、起きたばかりのちびちびだった。そんな小さな子どもと、大きな視線が交じり合う。こてん、と少しだけ傾げられた顔を見て、わたしは思わずショッキングピンクの髪を撫でた。――残ってないわけ、ないよね。


「…まだ、残ってるみたいだね。ヒーラー」
「…ええ、そうみたいね」
「…行きましょう。もう一度」
「あの子達に助けてもらったこの命、無駄には出来ないわね」

 美華がヒーラーに声を掛けると、ヒーラーは若干呆れた様に笑みを浮かべながら立ち上がる。――綺麗ごとは言わない。その役目はわたしじゃなくて、多分ムーンだから。でも、ようやく前を向けた現世いまの人生を、無駄にする事は出来なくなった。を瞑ると消える直前、わたしに腕を伸ばしてくれた火球ちゃんと亜美の姿が浮かび上がる。あんな最期をヒーラーに、夜天くんに、迎えさせる訳にはいかない。


「――これ以上、大切な人を失うのは嫌だから」

 魔力を全部使ったとしても、絶対にこの人は死なせない。