いつも聞けぬその二文字を、

 先程まで荒くなっていた呼吸が落ち着いた頃、美華らは漸く瓦礫の穴から出る勇気を抱いた。――地球に充満した瘴気を浄化する役割を持つムーンを死なせてはいけない。狙いはただ一つ、ギャラクシアの命だ。――この考えに相違は無かった。地上へと降り立った美華の視界には、数多の星の「真のスターシード」を手に入れ、よこしまな気に心を喰われてしまったギャラクシアの姿が映る。その気にてられ、ぼこり、と地面を壊す力は全てギャラクシアのものだ。しかし、ギャラクシアは頑なに美華らに対して攻撃はして来ない。じわり、じわり、と外堀を埋める様に、少しずつ逃げ場をなくして行く様に、周囲を埋めて行くのである。――その事実に歯を食い縛る傍ら、ムーンは一人でギャラクシアと対峙していた。その表情は、恐らく偽善に分類されるものであったろう。


「どうして…みんな、自分一人で解決しようとするの?皆で力を合わせればもっと良い方法が、誰も犠牲にならずに済む方法があったんじゃないの?」
「……なに?」
「あなたも同じセーラー戦士なら分かり合えるはずだよ」
「分かり合えるだと…?」

 ――綺麗ごとだ――そう言いたげな瞳である。綺麗ごとであるし、ただの偽善である事は間違いない。しかし、それを貫き通せば誠となるだろう。そしておそらく、ムーンはそんな策略的な事は一滴たりとも考えてもいないだろう。そんなムーンの言葉を嘲笑で跳ね除けたギャラクシアは、先ほど地面に突き刺した剣を一思いに抜き取り、それの先端から放つ黒い雷撃を美華らに向けた。突き刺さる様に、真っ直ぐに注がれる攻撃にいち早く気付いたのは、美華とファイターである。その雷撃の衝撃を避ける様にファイターはムーンを抱き上げ、美華は後ろに居るヒーラーとメイカー、そしてちびちびを守る結界を張ったのだ。


「……まだ抗うか、スカイよ」
「ッ、だから『スカイ』じゃないと、言ってる!」
「いいやスカイだ!いつも私に向ける、理解できないと言いたげなその!――答えてみよ、あの女でないのならお前は誰だ?」

 序盤よりも随分と瘴気が孕んだ攻撃は時折、美華の結界を擦り抜ける。擦り抜けたそれは、彼女の肌の至る箇所に傷を植え付けて行くのだ。チリ、チリ、と灼ける様な鈍い痛みは、彼女が特に忌み嫌うものである。――死にそうなのに、死ねない。――一思いに死なせてくれよ、と仮に望んだとしても、目の前で立ち塞がる女は決して叶えてくれないのである。そんな事を願うつもりも、そんな予定さえもないけれども。
 美華が壁となる後ろでは、ギリ、と歯先を噛み砕く様な音が響く。鼓膜を震わせている筈のその音も、彼女にとっては些細なものだった。今、最も神経が向けられるのはギャラクシアが吐き出した言葉なのである。――そんな事を、思ってたの?理解できないんじゃない。「スカイ」の居場所なのに、独りだと信じてやまないその言動が寂しかっただけ。彼女はきっと、ずっと視線を逸らしはしなかった。朧気になった前世の記憶に生きる彼女は、そう言ってる。そして今のわたしもきっと、同じような表情かおをしてるんだろう。だから、ギャラクシアは憎らしい、と言いたそうに顔を歪めてる。それをひどくさせてしまうのは、これから口にする、わたしの言葉だ。


「ギャラクシアとの思い出なんて一つもない、――ただの『空野美華』だよ」

 その瞬間、衝撃波によって破壊された結界を固める様に、同じそれが何重にも重なってはヒーラーとメイカー、ちびちびを守る。ムーンの事はファイターに任せていても大丈夫な筈だ。ファイターは、絶対にムーンを死なせはしないだろう。――何もない箇所で、手を翳す。その行為によって顕現した魔術具を構え、それがギャラクシアの剣と交錯すれば、ギリ、ギリ、と鼓膜を虐める金属音が響き渡った。
 それを何度も繰り返しているとタイミングがずれてしまったのか、美華は空中へと放り出される。しかし、彼女はその場で魔法陣を展開させ、魔術具の先端に顕現した、魔力が込められた矢をギャラクシアへと連続的に射ったのだ。しかしどれだけ傷を負ったとしても、ギャラクシアには「停止する」と言う選択肢は無いらしい。そんなギャラクシアは弱さを嘲笑わらう様に、再び口角を歪ませた。


「……知っているか?星の最期を。星の死期を悟ると、殺し合いをしたり、星を捨てたりしていたのだ。――お前の後ろにいる奴らもそうだ」
「っ、ちがう!」
「違うものか――!」

 そうして紡がれたギャラクシアの言葉に、ファイターが否定の声を響かせる。それは、どうやらギャラクシアの逆鱗であったらしい。――そんなギャラクシアは、再び地面に剣を突き刺す。すると、銀河TV局の真ん中に出来ていた亀裂は深くなり、その現象は美華らの身体を浮かび上がらせたのだ。その時、ギャラクシアに一番近い距離で落下していたのはヒーラーだった。そして、ムーンを守るスターライツが集う方向へ、ブレスレットの矛先は向けられていた。恐らく、自身もその事に気付いていた。だからこそウラヌスの最期の言葉を脳裏に浮かべたのだし、だからこそ、美華に手を伸ばした。触れた指先はやはり細く、弱かった。
 骨張っていなくて、すらり、と伸びて、どう足掻いても戦場で生きた指ではない。どれだけ強くても、スカイから受け継がれた身体能力があっても、どう足掻いても戦士ではない。――分かってたわ。分かってた、つもりだったのよ。でも、少し安心してしまった。直にぬくもりを感じて、ふれる事が出来て、美華の存在を認める事が出来て嬉しかった。…だからだめなのね、あたし。――スカイに何度も言われた「視野が狭い」って言葉――その意味を、あたしはようやく知ったのよ。もう一度この一瞬を繰り返す事になるなら、あたしは喜んで犠牲になるのに。


「――美華!」

 一瞬だった。光の筒に包まれる様な、そんな光景もない。ただ、美華の命を刈り取る為だけに放たれた二つの光弾は、あまりにも真っ直ぐ、彼女の人生を摘んで行く。胸元に咲くスターシードは空色と黒が混じり合ったマーブル柄、それは宇宙を酷く思い起こさせた。幾らでも沈んで行けそうなそれは、今、確かにギャラクシアの手に渡ってしまったのである。その瞬間、美華は脱力する様にその場で跪いた。――感覚がなくなる。息が苦しい。あんな小さなクリスタルが心臓だとでも言うのか。――思わず笑みを零した美華は最期、と言いたげに手の平をギャラクシアへと向け、鋭利に尖らせた魔力を放つ。その直後、脱力しきった身体が求めたのは、ヒーラーの温もりだった。


「美華、あんた、分かって…」
「ギャラクシアが地球を狙った、の、わたしが目的、だから、……多分」
「だからって何で美華が消えなくちゃなんないの!」
「泣かないでよ、もっとぶさいくになっちゃうよ……?」
「だ、だって、ぇ」

 付け足す様な言葉を口にして、美華はヒーラーの肩口に頭部を傾ける。その間を鋭く駆け抜けるのがムーンの声である。――いや、もう既に戦士でも、プリンセスでもないのかもしれない。涙でぐちゃぐちゃになった顔は、何処からどう見ても手の掛かる幼馴染だ。そんなうさぎに震えた腕を伸ばし、ふっくらとした輪郭をそっと撫でる。涙で濡れても、そこは確かに艶やかだった。思わず笑みを零し、美華は隣に跪くファイターを見上げてはその名を呼ぶ。どうしてあなたまで泣きそうなの、と問うてしまえばまた泣かせてしまうんだろう、と他人事の様に思った。


「……うさぎの傍、を、離れないで、あげて」
「どうして、あたしに…」
「すき、なんでしょう……?どう言う形で、あれ」

 美華がそう言うと、ファイターは図星を突かれた様に息を呑む。そんな様子を視認して、美華はふと苦笑を漏らした。――分からない訳がない。衛さんがいない間、ずっとうさぎの傍にいてくれたのは他でもないファイターであり、星野くんだったから。そして、そんな無償の愛情を注いでくれる星野くんに、うさぎが気持ちを持たないはずがない。それを受け入れるかどうかは別として、うさぎはとても素直な子だから。
 次第に吐息が荒くなる。もう、長くは無いのだろう。それを悟ったファイターはきゅう、と青の双眸を細め、「信じて」と、ただ一言を口にした。その直後、美華に与えられる強い抱擁は、ヒーラー以外に有り得ないのである。


「ひ、らー、……ごめ、言わせたいこと、あるって言ってた、のに」
「ほんと、……どうしてあんたはいつだって、あたしの傍にいないのよ」
「…ごめ、んね」
「謝るなら、自分のスターシードくらい奪い返して来なさい」
「無茶、言うなあ……」

 既に、己の身体を支える程の力もない。死ぬんだろう、と言う自覚しかない。それでも、罪悪感にまみれたまま消えて行くのは初めてだった。わざとらしい笑みを空気中に、美華は己を包み込むヒーラーの腕に、愛おしげに擦り寄る。――ごめんね、ごめん。最後まで一緒にいれなくて、光に包まれるこの星を見る事が出来なくて、前世と同じ終わりになってしまって、ごめんね。涙を零さないように必死に歯を食い縛る、そんな姿を見たかった訳じゃないんだよ。笑顔で、前世では言えなかった二文字を、きみに送りたかっただけなんだよ。
 わたしの気持ちをぜんぶ伝えたいけど、声が出なくなって来る。押し潰すように、声帯も壊れて来ているらしい。タイミングもばっちりだよ、ギャラクシア。わたしを、決して幸せにはさせないんだね。


「……美華」
「な、…あに。ヒーラー」
「あたし、――あんたがすきよ」

 残酷な程に落ちぶれた光景とは不釣り合いな二文字を、ヒーラーは紡ぐ。それに瞳を丸くした美華は、やはり幸せには程遠いらしい。――思い返せばあたし、明確に言葉にした事なんてなかったのよ。ひどい奴でしょう?女の初めても、女としての幸せもすべて奪っておいて、ただ傍にいるだけで気持ちを伝えた事なんてなかったんだから。スカイはそれで良かったのかしら、美華はスカイじゃないから分からないけれど。きっかけはスカイだとしても、今はもう美華の事しか考えられないのよ、あたし。消えないでよ、もう手離したくないのよ、美華。
 そう言うと、美華は微笑わらった。そして、最期の力を振り絞る様に両腕を伸ばし、ヒーラーの首筋へと絡める。抱き着く形で、美華はヒーラーの耳元でそっと唇を動かした。


「――朝が来れば、また逢えるよ。きっと」

 そう囁いて呆気なく消えたこの女は、やはりどう足掻いてもひどい女に変わりは無かった。