青く澄んだ空の下で。
朝が来た。それと共に希望も訪れた。距離を取った上空ではスターシードを取り戻した衛らがうさぎを取り囲み、久方振りの逢瀬を慈しんでいる。――おそらく、そこにわたしの居場所は無い。――そう苦笑を零し、美華は右手の開閉を繰り返す。感覚もあるし、温かいそれは確かに生きている証拠だ。周囲は瓦礫のお陰で退廃的な光景が広がっているが、これも衛の力で全て再生できるのだろう。なにも心配はしていない。
――最期に、言うのを躊躇ってしまった。まだ、わたしは「スカイ」を同一視しているのだろうか。わたしは「空野美華」なのに、まだ宇宙に縋りつくんだろうか。たった二文字さえ口に出来ないわたしは、きっと臆病者のスカイと変わらない。なのに、それでも追いかけて来てくれるあなたは、一体わたしの何に惹かれたの。
「……美華」
「…やてん、く、――」
目元を真っ赤に泣き腫らして、変身を解いた夜天は美華を見下ろした。何時もなら煌めいている筈の双眸は銀髪で隠れてしまっており、見る事は叶わない。それを見ようと覗き込んだ瞬間、彼は目の前の少女を瓦礫の上に押し倒した。背面にて響くガシャン、と言う音は細かい瓦礫やらガラスやらであろう。しかし痛みが来る事は無く、どうやら地下へと潜り込んでしまったらしい。
その間にも夜天は口を開かない。彼が話さなければ、もちろん美華も言葉を紡ぐ事は出来ない。しかし、そんな現状に痺れを切らした彼女は恐る恐る、小さな唇を動かしたのだ。
「……朝が来たら逢えたでしょ?」
「……朝にならなきゃ、逢えないんだろ」
「…屁理屈だよ、夜天くん」
「だから言っただろ。……美華はすぐに消えちゃう、って」
夜天はそう言っては美華の身体を抱き起こし、強く抱き締めた。そんな彼の肩口に口元を
「……消えないよ」
「…うそ」
「ほんとだってば」
「ッ、なら!――もう二度と、僕を守って犠牲になるなよ!」
――もう、耐えられない。――そう言って、美華の両肩を掴んだまま、夜天は項垂れた。そう言えば二回目だと、彼女は思い出す。一度目は前世にて、罪悪感に耐え兼ねて。二度目は現世にて、どうしても生きていて欲しくて。でも、ヒーラーも彼も泣かせてしまうのならば、もう離れないから。だから泣かないで、と美華は薄く微笑んだ。そして、互いの鼻先同士を軽く擦り合わせる。
「――もうしない、から、怒らないで」
囁く様なその言葉は、夜天の体内にじんわり、と押し込まれて行く。金木犀の香りと柑橘系のそれ、そして埃臭い瓦礫のそれが混じり合い、少し泥臭かった。それに気付いているのかいないのか、掠める様に、美華は彼の口端に唇を寄せる。そして
「その言葉、嘘にしたら今度こそ殴るからな。――美華」
「はるか!」
「オイ今なんで殴った」
何処か拗ねた様子でこちらを見下ろすのは変身を解き、私服へと姿を変えたはるかと、そんな彼女を呆れた様に見つめつつも微笑むみちるである。わざわざ拳骨を作り、何故か殴られた夜天の存在は無視らしい。どうやらはるかの拗ねる理由を見付ける事が出来ない美華は、ぱちくり、と瞬きを繰り返している。そんな美華と目線を合わせる様にその場でしゃがみ込めば、すり、とはるかは美華の頬を軽く撫でた。
「……もう、しないのか」
「うん、しないよ。ごめんね」
「……僕じゃ無理だったか」
「…うん、無理みたい。怒っちゃう?」
「怒らないさ。……腹は立つけどな」
――腹は立つさ、当たり前だろう?美華とは、僕の方が付き合いが長いはずなのに、美華の弱さを一番知っているのは僕だと思っていたのに。その
「ッ、……いつまでくっついてるんだよ!」
「蹴らないでくれるかい、コソ泥野郎」
「風評被害だろ!先に手を出したのはお前だ!」
「少し頭部に刺激を与えただけだろうが」
「限りなく敵意を持って殴ってただろ、記憶障害か何かか?」
「……本当、退屈しないわね」
視界の端に映り込んだ希望の光は、美華に
「――美華」
最終決戦から一週間も経った頃、美華は十番高校の屋上へと訪れた。すっかり綺麗になったこの街は、ギャラクシアの能力の賜物である。壊すだけ壊して、美しさを取り戻したこの街を見下ろし、美華は屋上のフェンスに指を這わせた。そして、鉄臭くなったそれを口元に寄せ、僅かに強い風をこの身に受ける。――それと同時に屋上の扉が開放される。堂々と私服で現れたその男は、やはり昔と何も変わっていないようだった。
「……蒼」
「一回死んだくせに元気じゃねえか」
「他人のこと言えないでしょ」
「俺は知らねえ間に
「わたしだってそうですけど?なに堂々としてんの?馬鹿?」
屋上へと現れた男――黒澤蒼――は、見下ろすかの様に美華の姿を眺める。そして、そんな幼馴染と並ぶ様にして、彼はフェンスに背を凭れ掛けさせた。隣で響くギリ、と言う金属音は既に気にならなくなっている。半年以上も姿を消していたくせして、ここまで違和感のない存在はこの男しか有り得ないだろう。――心底馬鹿にした視線を、蒼に向ける。そちらに見向きもしない彼は青い空を仰ぎ、そっと煙草をふかした。
「……お前、地球出るの?」
「…どうして?」
「うさぎが言ってた」
蒼のその言葉に、美華は言葉を濁して項垂れた。――出るとか言ったっけ、わたし。思い出すけど、どう頑張っても言った覚えは無いから多分、うさぎの早とちりだろうな。その事に苦笑を浮かべながら、わたしはそっと蒼を見上げた。煙草の煙で
「…出ないよ」
「出ねえの?せっかく前世の恋人と逢えたのに」
「……まだ、出ない」
「…それはうさぎのため?」
「――わたしのため」
そう言った美華は、やっぱり
「――来てくれないんだ?」
わざとらしく微笑んで、分かっている事を問い掛ける。妙に着飾った雰囲気を纏った男――夜天――はやはりわざとらしく、こてり、と首を傾げた。む、と眉を顰める美華の一方で、彼はゆるり、と双眸を細めてみせる。そんな彼は、やはり蒼の存在などはどうでも良いらしい。その場にしゃがみ込む少女の表情を覗き込む夜天は、カシャン、と音を響かせてフェンスに指を絡めた。
「…分かってたでしょ?」
「うん、美華は昔からずっと我が儘だから。そこだけは受け継がれたみたいだね?」
「……いじわるやめてよ」
煽る様な夜天の表情を真似る様に、美華も同様にゆるり、と色素の薄い双眸を細めてみせた。そんな彼女と目線を合わせる様にしゃがみ込めば、水分が入り込んだ肌をするり、と指の背にて撫でる。擽ったい感覚を隠しもせずに眉を顰める彼女は、やはりスカイとは似ても似つかない。スカイは笑う事はあっても泣き顔や怒り顔を見る事は、終ぞなかったのだから。――これを馬鹿正直に伝えたら拗ねるだろうから言わないけど。それよりも聞きたい事は隣で、鋭い
「…ぜんぶ終わったら、言わせたい事があったから会いに来たんだけど、……この男、だれ?」
「え、えっと…」
「――黒澤蒼。この馬鹿女の幼馴染だよコソ泥野郎」
「馬鹿じゃない!」
「いやそこじゃなくて。……と言うか、この星の奴の中では『コソ泥野郎』が流行ってるわけ?」
ご丁寧にもフルネームを口にしてくれた蒼は、煙草の先端をフェンスに引っ掛け、落ち掛けた灰を無造作に落とす。フェンスの外側にあるコンクリートに落ちたそれは、じゅわり、と同化して行く。その様を冷めた瞳で眺めていた夜天は、一転して呆れた様に額を押さえた。――こいつも天王と一緒で、美華に執着しているタチか。そう思うと、溜め息も吐きたくなる。そんな僕の気持ちにも気づかず、見当外れな指摘をする美華に苛立つけど、少しくらいは見逃して欲しいな。
「間違ってはないはずだぜ。……事実にするくせに」
「…まあ、そこは否めないかな。だから、――」
「……あ?」
形の良い唇から身体に悪い煙を吐き出し、もう一度だけ僅かに空を仰ぐ。――「未成年なのに煙草を吸うな」などと言う事は言わない。――そんな夜天は瞳を伏せつつ、ゆるり、と口角を緩める。その表情に、蒼はぞくり、と瞳を大きく見開かせた。そんな動揺を隠す様に再び睨み付けるが、おそらくそんな誤魔化しさえも見抜かれているのだろう。そう思うと、抑え込んでいた苛立ちがぶり返してしまう気がした。
「――残り一年の猶予、美華との時間をめいっぱい楽しんでおくと良い」
「皆さん、どうしても行ってしまわれるんですか?」
夕方、と言っても薄く星空が見える時間帯だ。その時間に十番高校の制服を身に纏うスリーライツ、そして火球は十番高校の屋上に訪れた。夜天にとっては二度目の訪問となる。一瞬だけ絡んだ蒼との視線は酷く鋭利なそれであったが、それに気付いたのは星野と大気、そして忠誠を誓った彼女のみだ。――元々プリンセス捜索が第一の目的だったスリーライツには、それを達成した今、地球に滞在する理由がないのだ。そして、次に控える目的とはキンモク星の復興である。
「ええ……ふるさとの皆さんが待っていますから」
「新しい星を作ってみせるよ。プリンセスと共にね」
「頑張ってね」
「ありがと、ルナ」
アイドルの名残を留める笑みとウインクをルナに向けると、彼女は生気を吸い取られたかの様に、夜天の魅力にやられてしまったようだ。その横に居る、泣き言を零すアルテミスは事実、瞳に涙を浮かべており「浮気かよ」とでも言いたげである。――その光景に苦笑を浮かべながら、そんなわたしに視線を向ける人がいる。誰だと聞くまでもない、エメラルドの双眸を持った夜天くんだ。夜天くんはぽそり、と「やきもち?」と楽しそうに聞いて来る。「妬く訳ないじゃん!ばか!」とわたしは思うけど、多分夜天くんには届いてない。
一方で星野はただ、うさぎを見つめる。――届かないだろう事は分かっていた。だから「これからも友達だよ」と言う言葉に釘を刺されたような気になったとしても、それが事実だ。衛さんは気づいていなかったみたいだけど、その隣にいる空野とその幼馴染(蒼って言ったか?)の
屋上と言う一空間が漸く僅かな喧騒に包まれた時、屋上には火球の凛とした声が響き渡る。その直後、戦士の姿に変身したスターライツはもう既に、人ではなかったのだろう。男の身体ではない、しっかりくびれが刻まれたそれは確かに女性だった。――どれだけ視界に収めても前世の記憶が霞む、そんな脳内を振り切る。そして美華は「ヒーラー」と声を掛け、己の魔力を込めたブレスレットをヒーラーに差し出した。
「…これ、プレゼントでもしてくれるのかしら?」
「わたしのね、魔力がこめられてるの。……わたしと思ってくれたら嬉しいなあ、と思うの、ですが」
「……この場で襲っても良いの?」
「急になに言い出すの!だめに決まってるでしょ!」
ヒーラーに差し出したブレスレットの中央には、針入り水晶とも呼ばれるパワーストーンが拵えられ、その周りを囲う様にシトリンが飾られている。黄色をモチーフにしたそれは彼女にぴったりで、彼女の瞳の色にも酷く合っていた。――ヒーラーは今まで襟足の髪を結っていた紐を解き、美華に貰ったブレスレットで再び髪を結う。そして、手が空いてしまった紙紐で美華の髪を結った。その直後、引き寄せる様に美華を抱き締めては僅かに口角を緩ませる。
「……あと一年我慢できない、に一万賭けようかしら」
「ばか言わないでよ、こちとら16年待ってるんだからね」
「そうね。でも、あたしも32年待ってたわ」
驚きのあまりに瞳を瞬かせる事しか出来ない美華は、何処にやれば良いか分からない両手の行方を必死に考えている。周囲の黄色い声の煩雑さに思わず顔を歪めるも、この温もりを手離したくは無かった。――16年、ずっと待ってた。記憶を消した分際では何も言えないけど、ずっとヒーラーと夜天くんの事を考えてた。逢えるなんて確証、どこにもなかったのに。すきにならせる自信も、何も持っていなかったはずなのに。
そこで漸く美華は、ヒーラーが自身に言わせたかった言葉に勘付いたのだ。すると美華はヒーラーの両肩を掴み、それを勢い良く押した。ぱちくり、と瞬きを繰り返す様子を視界に、美華は真っ赤な熟れさせた頬のまま、雑にもヒーラーの口端に唇を押し付けたのである。一際大きくなった黄色い声は、もうどうでも良かった。
「な、――」
「――わたし!今も昔もずっとヒーラーだけだから!ヒーラーだけがすきだから!」
まるで食べ頃の林檎の様に真っ赤に熟れた美華は、口早にそう告げる。あまりに唐突な宣言紛いの様子に、再び何度か瞬きを繰り返す。しかし、ヒーラーは我に返ったのか、込み上げた笑いを我慢する事もせずにその場に吐き出した。そして「あたしもよ」と、互いの頬同士を擦り合わせる。本能的な求愛行動とも取れるその光景を見せ付ける様にして、ヒーラーはくしゃり、と美華の髪を乱れさせながら撫で回した。――この子を甘やかすのも、痛めつけるのもあたしの
「――今度はあたしの手、取らせるからね!」
その時にはもう、この手から青空を手離したりは決してしないもの。
(終)