どうか気付かないで

 駅前に大量に並ぶ公衆電話ボックス、他校であるレイも含めてうさぎ達はそこに居た。今日は午前中で授業が終わったため、早めに帰って家でゆっくり過ごそうと思っていたのである。しかし、自宅に向かうその足を止めたのは美奈子だった。にこにこ、とご機嫌な様子で美華を連れ去ったのは良いものの、今現在では公衆電話に向かって少女とは思えぬ様な表情を向けている。そんな光景を見て、美華は思わず溜め息を吐き出した。


「ねえ…もう良いんじゃないのー?帰ろうよー」
「美華ちゃん!」
「私達命懸けなの!分かって!」
「は、はい……」

 後ろに腰掛けて愚痴を溢す美華をそっちのけにしていた筈なのに、振り向いたかと思えば血眼になって叱られたら、敬語が出てしまうのも無理は無い。呆れ果ててしまった、そんな美華の近くで、何処か色っぽい声色が彼女の名を紡ぐ。最近めっきり聞く事は無かった懐かしい声にぱっと振り向けば、高校生には見えないルックスを持つ二人組が微笑を浮かべていた。――はるかとみちるである。


「はるか!みちるちゃんも!」
「久し振りね、私が紹介したバイトはどうだった?」
「ありがとう、すごい助かった!」
「無理はするなよ、お前は身体が弱いんだから」
「よ、弱くないもん!はるかが女の子なのに強すぎるの!」
「美華に女扱いされると変な寒気がするんだよな……」
「ひ、ひどい……!」

 はるかとみちるは、相も変わらず高校生らしくない私服が似合う二人である。そんな二人と始まった会話の始まりはただの世間話だった筈なのだが、何時の間にかはるかとの口論になっていた。口論、と言うよりも兄妹のじゃれ合いに見えるのはきっとみちるの気のせいではない。あらあら、と思わず声を漏らし、二人の様子を視界に入れる。宥める様に美華の髪を撫でるはるかを見てしまえば、嫉妬の感情さえ湧き起こらない。――ああ、可愛い、かわいい。緩やかに弧を描く視界で名残惜しそうにその光景を記憶しては、みちるは漸くうさぎらの存在に気付いたらしい。


「…あら、ごきげんよう」
「やあ!」

 距離が空いていても感じる不穏な雰囲気に、美華は思わず苦笑しつつもこちらに歩くうさぎらを見つめる。はるかとみちるもその視線に釣られて前を向けば、そっと声を掛けてやった。そして、うさぎ達が望んでいるご褒美をちら付かせようとポケットに隠していた一枚の紙切れを手に取ったのである。――この落胆ようは、事前にみちるちゃんからもらってた、なんて零しちゃったら発狂するだろうなあ。


「――あなた達のお目当てのチケットって…これの事かしら?」




「こ、これ…本当にいただいちゃって良いんですか!?」
「どうぞ」
「でも何でみちるさんがチケットを?しかも招待券なんて」

 クラウンに移動した美華達は何時もの指定席を陣取り、それぞれ飲み物やら軽食やらを頼んで行く。粗方それらが揃った所で話される内容に、美華を除くうさぎらは酷く驚いていた。――あんなに騒いでいた割には、何も知らないんだもんなあ。そう心の中で呆れを溢しつつも、運ばれて来たピーチタルトを一口サイズに切り分け、口内に放り込む。そして、その甘さを中和させる為に苦めの抹茶フロートを喉に流し込んだ。――うん、美味しい。一瞬の幸せに頬を緩ませていると、ふとはるかとの視線が絡み合う。すると、くしゃりと軽く頭を撫でられた。見なくて良いよばかはるか、恥ずかしい。


「…レイちゃん、知らないの?今回のライブ、ジョイントだよ?」
「ええー!?ジョイントコンサート!?」
「へー……で、ジョイントって何?」
「…うさぎはもうちょっと勉強した方が良さそうだよねえ」
「…だな」

 うさぎの一言に思わず身体の力が抜ける。――この子は大丈夫か、改めて思うけれど良く高校に入れたよねえ。――呆れた表情を浮かべる顔を支えながら、独り言ちる。それを聞いていたはるかは同じ様な顔をしながら、美華の言葉に頷いていた。レイが真剣に説明をしているが、本当に理解しているのかは、――表情を見れば分かるだろう。




 薄暗い部屋の中、スリーライツは何か話し込んでいる。不信感を露わにしている表情から、事前の打ち合わせも何もしていない事が分かるだろう。しかし、三人の双眸だけは星が煌めく様に瞬いて、薄暗い中でも光を忘れてはいなかった。――それが使命の為なのか、私情を挟んだ未だ抑えるおもいなのか、それが分かる者はこの場には居ないのだけれども。


「一体どんなやつなんだろう、海王みちるって」
「何かやだなあ、知らない人とジョイントなんて」
「気にする事は無いでしょう。私達は私達の演奏をすれば良いんです、――プリンセスだけの為に」

 乗り気ではない夜天のそれを鼓舞する為に、大気は言葉を紡ぐ。しかし、その言葉で思い浮かんだのは必死に探しているプリンセスではなく、今朝も何時もの如く口論を交わして来た美華だった。――学校で会う度、言葉を交わす度、空野の匂いを感じる度に妙な既視感に襲われる。時折、空野と重なる面影に眉を顰める瞬間もある。しかし、その瞬間を過ぎればあっと言う間に頭から抜け落ちてしまうのだ。気味の悪いこの感覚を、まだ星野と大気には言っていない。言えない、だろう。


「さあ、行こう。――時間だ」

 愛おしくおもうこの感覚は、きっとあのお方に向けられてはいないのだから。




 ライブが終わった後の静かな会場、美華はその空間が好きだった。この世に一人、取り残されている様な気がして。冷静になれる気がして。――なのに、何で隣にはるかがいるのかな。わたし誰にも言ってないと思うんだけどな、まあ退屈しないから良いけれども。――午後9時、スタンド側を歩いていると目立つ金髪、お団子頭がふと目に入る。


「…うさぎ?」
「おだんご、何してるん…っ」

 お団子頭の人物良く見れば、涙と鼻水が凄い、と言うか汚い。そんなうさぎに抱き着かれてしまったはるかには同情しか抱けなかった。――うさぎ曰く、行き先の違うバスに乗ってしまったらしく、今まで森の奥に居たらしい。余りに泣かれるので、美華とはるかはうさぎをみちるの楽屋に連れて行く事になったのだ。――嫌な予感はしたんだよなあ。けど、まさか高校生にもなってバスを乗り間違えるとか思わないじゃん。家も近いんだし、一緒に行ってやれば良かった。はるかにそうごちれば本当にな、と苦笑を浮かべられた。




 顔がぐちゃぐちゃになってしまったうさぎをはるかとみちるに任せ、一息ついていた所を星野と鉢合わせた。軽い雑談ののちに解散かと思えば、彼は手を離してはくれない。ぱちぱち、瞬きを何度か繰り返す様子は酷く滑稽だったろう。――この強引さにうさぎもやられちゃったんだろうなあ。
 移動した扉には「スリーライツ様」と言う文字が大きく書かれており、それの端には今回のジョイントコンサートを示すロゴがプリントされている。そんな扉を押せば、今では見慣れたふわふわとした銀髪が目に入った。その銀髪――夜天――は、暫く楽屋を留守にしていたらしい星野の帰宅に軽く眉を吊り上げる。


「…あ、星野、やっと帰って来た!」
「…と、空野、さん?」
「ど、どうも。星野君に連れられたんだけど…来て良かった?」
「…急にしおらしくしちゃって、どうしたの?気持ち悪りィ」
「えっ、口悪くない?」

 ステージに立っていた時とは違い、ラフな服装を着こなしている夜天は帰る気満々である。しかし、美華が部屋に顔を覗かせると、夜天は先程まで持ち上げていた鞄をテーブルの上にそっと置いた。――ああ、やだな。嬉しい、なんて。自惚れちゃだめなのに。――そんな気持ちに蓋をする様に始まる口論は、もう何時もの事なのである。そして、無言で制止する大気の姿ももはや慣れたものだ。


「連れて来た俺が言うのもだけど、空野来てたんだな。アイドルとか興味ないとか思ってた」
「音楽自体は好きだよ。チケットは知り合いからもらって、せっかくだから、って」
「…海王みちる、ですか?」
「…顔合わせはしてるんだよね?中学からのお友達なんだけど、ライブは毎回誘ってくれて」

 今回仲介に入ったのは大気ではなく、珍しくも星野だった。隣に立つ大気も僅かに目元に力が篭っており、ぱちくり、と古代紫の双眸を瞬かせる。しかしそんな違和感も一瞬で、何時の間にか変化した温かな雰囲気となった。そんな中に自然に溶け込んだ美華は「今日もすごく楽しかった!ありがとう」と、何の変哲もない言葉を紡ぐ。それが夜天に何を感じさせたのかは知る由もないが、どうやら夜天の怒りの沸点に触れてしまったらしい。わざとらしく聞き返した星野の態度もそれを匂わせる要因の一つなのだろう。先程とは打って変わり、夜天の顔には陰りがあった。


「――何も分かんないくせに口挟むなよ」
「……夜天、くん」
「僕はなにも――」

 聞いた事のない凄んだ夜天の声に、美華は戸惑う他、術は無かった。まだなのだな、とふと考えてしまうが、それはお門違いで自業自得と言うやつである。自分で考えて、決めて、行動して、その結果がこれだ。苦しいのは当たり前だ。けれど、君が苦しいくらいならわたしは、なんて自己犠牲が激しいでしょう。――反吐が出る。そんな現状に不満を抱きながらも何も行動せず、安全なポジションを保ち続けるわたしはきっと臆病者なのだろうけれども。


「……なんか、変なこと言っちゃったかな」
「いや、ちが…」
「やっぱりプロから見たら素人の『音楽が好き』なんて言葉、一瞬の事なんだろうけど…本当だよ?」
「空野、ちがう、そうじゃなくて」
「わたしなりに応援してたつもりなんだけど、さ。そう言うこと言われちゃうと、ちょっと、――さみしい」

 ぽつり、相手の意図を聞かぬ言葉を、美華は紡いだ。ちがう、ちがうんだ、と夜天は彼女のそれを否定しようとしている。しかし、それを重ね、押し潰す様に彼女は次々と気持ちの籠もらぬ言葉を吐き出した。学校とは違い、緩やかに巻かれた色素の薄い灰色の髪をひと房、耳に掛ける。短い毛先が輪郭に沿う事で、表情はあまり読み取れない。しかし、それは酷く痛々しいものの様に思えた。
 最後に、夜天の罪悪感を抉る様な言葉を放つ。わざとではない。けれど、結果的にそうなってしまったのだから仕舞い込む事は叶わなかった。美華はすぐ後ろにある扉を勢い良く開け、その勢いのままに扉を閉めては廊下を駆け出す。後ろから彼女の名を叫ぶ夜天の声が聞こえるが、今はもう何も聞く気にはならなかった。――そして、彼女が居なくなった楽屋は、後味の悪い暗い雰囲気となってしまったのである。


「…夜天、なにキレてるんですか。空野さんが知ってる訳ないでしょう」
「……うん、ごめん」
「謝るなら空野にだろ。泣いてたぞ」
「……分かってる」

 薄暗い雰囲気にしてしまった根本的な原因は、現在進行形で落ち込み気味になっている夜天である。それだけではなく、彼の顔には困惑の色も見え隠れしていた。何故あんな事を言ったのか、自分でも分かっていないのだ。至極当然な事を言う星野と大気には、もはや苛立ちさえ起こらない。――ああ、嗚呼、やってしまった。思ってもない事だった。そんなこと、思ってもいなかったのに。取り繕うように言おうとした言葉が本当なのに。楽しかった、ありがとう、で済むはずだろ。あいつは、プリンセスじゃ、ないのに。
 かちゃり、ドアノブに指を掛ける。――その瞬間、星の輝きがまた一つ、消えた。嫌な予感がした。去り際に煌めいた空野の涙が頭から離れない。鞄の奥底に沈めていたセーラースターエールを手に取り、星野と大気と共に廊下を駆け出した。


「――ヒーラー・スターパワー!メイクアップ!」




 ぐす、鼻を鳴らす音が妙に響く。――スリーライツの楽屋から思わず飛び出して来てしまった美華は、先程まで喧騒の渦中にあったステージに足を運んだ。そこに腰掛け、両脚を軽くふらつかせる。そこにはやはり誰もおらず、静かな空間が広がるだけであった、と思ったのだ。ふと聞こえる微かな音に聞き耳を立て、軽く上体を起こした。――それが間違いだったのだ。視界に広がるは、変な物体と戦っているスターライツとセーラームーンである。――全然気付かなかった。どれだけ夜天くんの言葉に傷付いたのだろう。視界の端にちらつく銀髪にどきりと心臓を掴まれる。わたしの事なんて、これっぽっちも視界に入れないで。隣にいれるムーンがひどく羨ましかった。
 しかし、残念な事に敵は美華の存在に気付いていたらしい。彼女が双眸を伏せたその瞬間を狙い、とある物を投げ付けた。標的を絞られた彼女が気付いた時には既に、自身の目前に迫るものがある。――指揮棒だ。それは先端が尖っており、触れれば血が出る事は明白であった。避けて、と酷く焦った様子で叫ぶ幼馴染みを視界に入れると同時に、それは美華の頬の肉を裂き、血を噴射させた。僅かな痛みを感じた筈なのに、美華の全身はとある暖かさで包まれていたのだ。


「……っのばか空野!」

 健康的でありつつも白さを保つ肌、それを覆うエナメル素材の衣服は最近ようやく見慣れて来たものだった。微かに肌に掛かる柔らかな銀髪は先程まで愛おしげに見つめていたもので、思わずと息を吐き出す。それと同時に、泣きそうになった。しかし、そんな美華に気付かぬヒーラーは美華の身体を地面に押し倒したまま、酷く声を荒げたのである。


「あんた何やってんの?ばかなの?見えてないの?」
「だ、だって…っ、からだ、動かなくて」
「……いつもなら、――ちがう、そうじゃなくて」
「…ひー、らー」
「ごめん。――間に合って良かった、ごめん」

 何時もの様な口論ではなかった。互いの声は震えていて、それぞれ、意味合いの違う恐怖に襲われたのだ。――いつもなら、自分から危ない目に遭いに行くくせに。そんな言葉を紡ごうと唇を開く。しかし、出来なかった。きゅっ、と震える手を何とか抑えようとヒーラーの二の腕を掴む美華を見てしまえば、出来なかった。――良く見れば、瞳が潤んでいる。ああ、嗚呼、ごめん。絞り出す様に何度も謝れば、美華も控えめにこちらに手を回した。きっと、泣いている。初めて見た美華の涙は、ひどく儚く、とても弱かった。
 掻き抱く様に、守る様に美華の小さな身体を抱き締める。ムーンが何かを言いたそうにこちらを見つめている、様な視線を感じた。けれど、今のヒーラーの手の中は美華だけでいっぱいだった。――落ち着いた美華の頭を軽く撫でたヒーラーを含むスターライツが漸く飛び立とうとすれば、それを引き止める様にムーンが声を上げたのである。


「――今日はちゃんとお礼を言わせて。助けてくれて、どうもありがとう。これからも一緒に戦ってくれるよね?」
「…どうする?」
「どうやら敵は同じようだし…」
「…足引っ張らないなら良いんじゃないの」
「そう言う事ね」

 ここ数回にも跨ぐ戦闘で巻き込まれる形だったとしても共に居た経験が、スターライツを悩ませた。そして、その間にも「信頼」が生まれつつあるのだ。気難しそうなヒーラーやメイカーが悩んでいるのだ、ムーンにも手ごたえはあった。それに見ている美華も嬉しかったのだ。言うなれば、仲が悪かった知り合い同士が仲良くなった感じである。――よろしく、とムーンとファイターが握手を交わす。その瞬間、明るく、そして熱い何かがムーン、スターライツと美華、と分裂させる様に迫って来たのだ。


「きゃっ!」
「何者!?」
「美華を離して消えろ、次は外さない。そいつらは太陽系の外から来た侵入者だ!そんなやつらは信用出来ない!――特に白髪、さっさと離れろ」
「…その口、縫い付けてやりましょうか」

 かなり大きいそれに思わず驚けば、それに気付いたヒーラーが美華の身体を背中に隠した。その温かな掌がひどく肌に馴染み、ひどく安堵したのはうそではない。――先程の攻撃はウラヌスのものらしく、スターライツ、特にヒーラーを敵視していた。ヒーラーもまた、ウラヌスを酷く嫌っている様で、空気は決して良いとは言えなかった。後ろに居る美華でさえも、ヒーラーの殺気を感じ取る事が出来たのだ。
 ムーンの言葉も虚しく、スターライツが仲間になる事は無かった。それどころか、変身を解いたはるかに怒られる始末である。そんなはるかを宥めてくれたみちるに手当てを施され、美華は顔を覗き込まれた。――強く抱き締められた時、耳元で囁かれた「無事で良かった」と言う言葉が脳内で繰り返される。忘れる事が出来ないあの声色は、決してあの人に向けられるものじゃなかった。みちるちゃん、どうか気付かないで。

 ――どうしよう。やっぱり好きなんだよ、わたし。