死しても貴女のもの

 午前9時58分、テーマパークの入口付近に美華は居た。携帯の画面を見れば、大きく現在の時刻が映し出される。それは、あと僅かで集合の時間である事を表していた。そして、勇気を出して誘った相手は、まだ来ない。――やっぱり駄目だったかなあ、つい誘っちゃったけど。そんな思いが美華の気分を落ち込ませた。しかし、そんな彼女の耳に届く、そんな声音がその場に響いたのである。


「――空野?」

 美華がふと顔を上げれば、そこには夜天が居た。恐る恐ると言った様な声だったが、彼女の表情を見た途端、彼はほっとした様に僅かながら頬を緩めたのである。彼は紺のシンプルなVネックにシースルーの白いカーディガンを羽織り、七分のカーキ色のズボンに黒のスリッポンを合わせていた。素材が良いと、何を合わせても良く見えるのだろうか。こう言った系統のこの人を見た事がなかったから、どうにも緊張して仕方がない。


「……お、はよ」
「なにびっくりしてんの?」
「え、いや、アイドルといるんだあ、って思って」
「今更アイドル扱いしないでよ、気持ち悪い」
「べ、別にそう言う訳じゃないもん。かっこいいって言ってるの!」

 予想よりも幾分か近いその距離に、瞬きを繰り返しながら美華はゆっくりと唇を動かす。そんな彼女の様子に、同じ様に瞬きを繰り返す夜天は何時も通りである。しかし、その後の彼女の発言に唇を尖らせていたと思えば、ゆるりと口角を上げた。そして、彼女が肩から提げているショルダーバッグを掴み、身体をこちらに傾けさせたのである。


「……空野もいつもとちがう雰囲気で良いんじゃない?」
「へ…?」
「可愛い、って言ってるの」
「――お、おこるよ!」

 唐突に近付いた夜天との距離と囁かれた言葉に、美華は一瞬、時の経過を忘れたようである。ゆるりと深まった笑みに胸をときめかせながらも、彼女は僅かに眉を吊り上げつつ赤く熟れた顔を彼に向けたのだ。そんな表情を見てはくつくつ、と喉を震わせる彼は、とても悔しいけれどすごくかっこよかった。――ああでも!そんないじわるな顔でからかわないでよ!




「買い物、付き合ってくれてありがとう!奢ってもくれて」
「お前が何度も強請ったんだろ…まあ良いけど。その代わり、最後に僕が行きたいところ、付き合ってね」
「行きたいところ……?」

 午後6時7分、ライトアップされた門を潜り、美華は嬉しそうにリズミカルに駆けていた。そんな姿を見ている夜天の心中は、一体どの様なものなのだろうか。夜空を見上げ、様々な色、大きさの星々を視界に入れている彼女には、一生分からないだろう。――夜天に「ここ」と示され、歩幅を合わせて着いた先は、スリーライツが頻繁に利用していると言うライブハウスだった。
 中に入ってみると煩いくらいに音楽が鳴り響いており、それに合わせてスポットライトが動いて行く。そんな中、彼は一直線にとあるテーブルへと近付いて行った。そこには、うさぎと星野、そして大気が談笑する姿が広がっているのである。


「う、うさぎ!?」
「美華こそ何で…あ、夜天くんとデート?」
「止めてよそんなの…炎上しちゃうじゃん……」
「唐突に来るネガティブ思考止めない?」

 暗い空間に一つ、やけに明るい髪色が目立っている。――うさぎである。その存在に疑問を抱いていたが、隣に居た星野の存在により、事情を理解する事となった。相変わらず仲良いなあ、と茶化しを入れようとするが、逆に彼女のにやけ面を見る羽目となったのである。――デートだったらどんなに良いか、などと言う美華の気持ちがうさぎに伝わる訳もなく。そんな欲求がない訳ではないが、遠く見えない星の輝きを感じるだけではない、近くに居て、触れられる今がしあわせで仕方がないのだ。そんな気持ちが、表に出ていなければ良いけれど。


「お前らも遊びに来たのか?」
「うん。――大気、いつもの部屋のカードキー、ある?」
「…暴れないで下さいね」

 うさぎの後ろから、ひょこ、と星野が顔を出す。オーバーサイズの服はシンプルな作りである筈なのに、彼の表情を酷く煌めかせている気がした。そんな彼をちらりと一瞥し、大気に手を差し出した夜天はカードキーを手に取り、すぐさま歩を進めて行く。「空野」と名前を呼ばれた美華は、後ろに居るうさぎらに対して手を振り、夜天の背中を追う事になった。しかし、タイミングが遅かったらしく、夜天の背と美華の鼻先がぶつかり合い、夜天は眉を顰めている。――その時に僅かながら視界に映った眼鏡に、うさぎは見覚えがあった。


「…おだんご?」
「あの眼鏡…」
「眼鏡、が、どうかしましたか?」
「――んーん!あの二人、本当に仲良いなあ、って!」




 夜天に案内されたのは、定員が二人にしてはかなり大きい談話室の様な部屋だ。扉の横の壁には電話が備え付けられており、それを使って注文する事が出来るらしい。彼は無難にアイスティーを二つ注文し、持っていたクラッチバッグをソファへと雑に置いた。そして、暫く放置していた自身のベースを手に取り、音を出す準備を始めたのである。一方、部屋をぐるりと見渡す美華からは、こう言った場に慣れていない事が窺えた。


「この部屋広いね。いつもここなの?」
「うん。色々と楽器が揃ってるから」
「スリーライツは楽器もするんだよね。すごいなあ……」
「……触ってみる?」
「えっ」

 常にメンテナンスをされているらしいドラムの塗装に、美華は指を滑らせる。つるり、と熟れた赤のそれに触れると、こつりと音が鳴った。そんな小さな音にぴくりと肩を跳ねさせつつそれを上から見下ろす。――そんな美華の様子に思わずくつりと喉を震わせては、夜天は立て掛けてあったギターを彼女に渡した。戸惑いがちに触れる彼女の指は僅かに震え、珍しいものでも見ているようだ。ポロン、と弦を一本ずつ、軽く弾くと透き通った音が響き渡る。その瞬間、ぱちり、と二人の視線が絡み合った。――翡翠と灰が絡まり合い、視線が逸らせなくなる。
 しかしその直後、この場からまた一つ、星の輝きが失われる感覚に襲われたのである。また、残念な事に二人が腰を上げるタイミングさえ重なるのだ。しかし、夜天は美華の手首を掴み、僅かにこちらに引き寄せた。


「…どこ行こうとしてんの」
「…嫌な予感が、して」
「…大丈夫だから。心配しないで、ここにいて」
「けど…っ」

 僅かに強まった星の輝きの気配は一階から感じている。――そこにはうさぎが居る、星野が居るからまだ安心は出来るが。もしかして、を考えると震えが止まらない。身体の冷えも止まらない。夜天の真剣な顔を見ると、泣きたくなるのはなぜなのだろうか。――震え、止まってよ。けれど夜天の顔は酷く真剣で、まるでわたしの事を真剣に考えているようで。話し始めようとする美華の唇を、彼はそっと指先で塞いでみせた。


「――いて」
「……ちゃんと、帰って来て、ね」
「…うん。約束するから、待ってな」

 そんな顔されたら、そんな、視線を向けられたら、何も言えないじゃん。悔しい、悲しい、嫌だ。――美華は夜天の人差し指をきゅっと軽く摘み、そっと彼の顔色を窺った。長い銀の前髪が邪魔で彼の顔が見えない。目を伏せた時、額からこつん、と軽快な音がする。恐る恐る目を開けると、額同士がくっ付いていた。道理であったかいと思った、――じゃなくて。顔、近い。やっぱり顔綺麗だなあ、改めてアイドルなんだと見せ付けられた感じがする。そんな距離感で発せられた夜天くんの声は変に優しくて、切なくて、わたしはどうすれば良いのか分からなくなったのだ。

 けれど、なぜ強くなろうとしたのか、その理由を改めて確認できた気がする。




 ドラムの上に置かれていたドラムスティックを手に取り、美華は先程まで夜天と共に居た部屋を留守にした。送り込まれたあの人の手下が一人であるとは限らないため、美華の足取りはひどく臆病だ。しかし、今はまだ力を使えない。この場で敵に鉢合わせてみろ、一瞬でお陀仏だ。――考えただけで背筋に悪寒が走る。そんな悪寒を抑える様にぐ、と軽く歯を食い縛り、再び歩を進めた。金属製の階段は重心を動かすだけでギイ、と嫌な音がする。――ああどうかバレませんように!そんな願いさえ、きっと形だけだ。そして、きっと願うのが遅すぎた。一階の大広間に視線を向けると、それと同時に「あの人」と視線が絡み合う。久し振りに視界に入れたその姿は、懐かしさすら消え失せていた。


『――その顔、久し振りに見たぞ。謀反者よ』
「……あなたの知る『わたし』ではないと思うけれど」
『関係ない。力は同じだろう。そして、私を心底理解できぬ、と言ったその顔もまるで同じだ』
「…そう言うつもりじゃない」
「空野逃げなさい!」
『――黙れ!』

 美華の言う「あの人」――ギャラクシア――が声を張り上げた瞬間、美華に向かって衝撃波が放たれた。その攻撃はそのまま美華を襲い、この場に柱がなければ飛ばされていた事だろう。歯を食い縛り、瞳を細めると高圧的にこちらを見下ろすギャラクシアの姿がそこにはあった。僅かに黒く澱んだその攻撃は、既に宇宙の気は消えていたのである。


『――貴様は何をしにここへ来た?』
「……やり残した事を、果たすため」
『…奇遇だな。私もやり残した事があるのだ』
「え…?」
『――貴様のスターシードを奪い、澱みを加えて私の力にする』

 口角を歪めながら告げられたその言葉に、美華らは大きく瞳を見開かせた。無関係の人間を、なんて事を、そんな叫びがこの場に木霊する。――ギャラクシアはきっと、自身の澱みに気付いている。わたしの願いを、望みを踏み潰すつもりなんだ。思わず顔を歪めると、ヒーラーは美華の身体を支える腕の力を強めた。そして、それと同時にギャラクシアは込み上げて来た笑いを惜し気もなく響かせたのだ。


『貴様の清らかな願いなど成就させるものか』
「っ…あんたは、どこまでも…!」

 ――分かっていたつもりだった。前世の時点でギャラクシアと敵対していたわたしは、どれだけ言葉を取り繕ってもギャラクシアにとっては裏切り者なのだ。誰よりも孤独を恐れ、孤独を選んだギャラクシアをそんな風にしてしまったのはわたしであり、「スカイ」なのだから。だからこそ、泣きたくなった。でも、誰よりも泣きたいのはきっとギャラクシアなのだと思う。優柔不断なわたしは、恨めしそうにギャラクシアを睨み付けるヒーラーを止める事は出来ない。


『――覚えておけ。貴様は死してもなお私のものだ』

 いつまでも中途半端なわたしは、ただその言葉を受け入れる事しか出来ないの。




 外に出ると空は真っ暗で、地面には所々に小さな水溜まりが出来ていた。美華らがライブハウスに居る間に多量の雨が降っていた様である。月の光に照らされて、きらきらと光るそれが酷く神々しい。――夜天くんは、わたしが全てを知っている事を知らない。だからわたしは、ただわざとらしく明るくいる事にした。そうすれば、夜天くんも安心して、いつもの調子で喋ってくれるだろうから。そして、その予想は的中したのである。


「あー、楽しかった!」
「満足したの」
「そりゃあ、もう。付き合ってくれてありがとうね」

 くるりと降り向いて笑みを浮かべていた美華だったが、何かに気付いた様にふと、その表情を消す。何時もよりも幾分か近いその距離に、夜天は何度も瞬きを繰り返す事しか出来なかった。ぴと、彼女の細い指先は彼の艶やかな頬をそっとなぞる。その陶器の様な肌は、どうやら肌荒れとやらを知らないらしい。羨ましい反面、人間離れしたその感覚に畏怖さえ抱いた。


「――けが、してる」

 美華が指先を滑らせれば滑らせるほど、ぴりっとした僅かな痛みが夜天の神経を擽る。しかし、彼女はそれを絆創膏で覆い隠し、それの上から再び優しくなぞってみせたのだ。――くすぐったい。けど、どこか心地良い、なんて僕は馬鹿なのかな。そんな思いを掻き消す様に夜天は、目の前の美華の頬を意外に大きな手の平で包んでみせた。


「……夜天くん?」
「……余計なお世話」

 時が止まった様に、互いの視線が絡み合う。しかしその直後、美華の両頬は夜天の手によって思い切り叩かれる事となったのだ。――痛い、痛すぎる、これ絶対赤いんだけど。夜天の表情を見れば、楽しそうに笑みを浮かべている。夜天くんはわたしに対してだけ性格がちがいすぎるんだよ。あんな楽しそうな顔、美奈ちゃんから聞いた事もない。でもなぜだか、何とも言えない優越感がある事もうそではない。――僅かに赤く腫れた両頬を、手の平で押さえる。少しずつ落ち着く熱に、美華は思わず眉を下げた。時折視界に入る口角を緩めた夜天の姿に、彼女は唇を一文字に結ぶ。

 ああ、ごめんね夜天くん。たぶんずっと、あなたがすきです。