(これの続き)
わざとらしくワンピースの裾を掴み上げ、片足を引いこうべを垂れて地へと降り立つ天使に軽い苛立ちを覚えながら胸ポケットに潜ませたボールペン≠投げつける。しかしまるで天使を守るかのように床を突き破った太い蔦が、凶器の軌道を遮った。この天使は人智を超えた力の持ち主か、と舌打ちをすると、その返事と言わんばかりに天使から小さな笑いがこぼれた。
「舌打ちだなんて品がないですわ」
「……確かにロワール家の執事として、ベルトラン様に仕える人間として、あってはならない失態だ。このことがベルトラン様に伝わる前にお前を消すとしよう」
間合いを詰め、軽く握っていた手のひらを開き、押し出す。しかしその手が体を貫く寸前で羽ばたいた天使はすでに間合いから遠く離れていて、前に出した手は空を切った。天使は淡い桃色の髪を揺らしながら、口元に指を添え、優雅に微笑んだ。
「それ、ニホンについて記した本によって知っておりますの。手鉤というのでしょう?」
「天使様は人間の世界のことに関して随分と博識なことで」
「それほどでも」
甘い微笑みを浮かべた天使は、未遂に終わったものの一撃のお返しだと言わんばかりに俺の足元から蔦を生やす。鬱陶しく絡み付こうとするそれを、手鉤で根元から断ち切る。ああ、面倒だ。溜息を吐いて手鉤を外し、そのまま床に落とす。彼女はどうにも不意打ちで倒せるほど弱くはない。しっかりと勝利を見据えて戦わなければならないタイプの、そう、手間のかかる厄介な部類に入る者のようだ。勢いを失い、萎れてゆく蔦を見つめながら、足元に横たわる手鉤をなるべく遠くへ飛ぶように蹴り、自分の首元へ手を伸ばす。
「次は、そうね……ペンダント≠ゥしら」
「ご名答」
飼い犬の証である黒いリボンが取れてしまわないように、シャツの下からペンダント≠取り出す。首の後ろへと手をやり、髪を少しどかして、留め具を外す。鈍く光るそれを手のひらに収め、指先でくるりと回して見せた。天使は余裕の笑みを崩さなかったが、はたしていつまでそうしていられるか、と悪役じみたセリフを思い浮かべながら、床板を抉りながら現れた、人間の顔ほどの大きさで、毒々しい色をした花を見上げる。花弁から蜜が滴るたび、その蜜の落下点が音を立てて溶ける。
「ごめんなさいね、お高そうな絨毯ですのに」
「お前が入り浸っている部屋の主は三ヶ月に一度しか買えないだろうな」
鋭利なペンダントトップのついたそれは、留め具を持ち、チェーンを垂らすだけで十分すぎる武器になる。軽く回して、手に馴染むことを確認する。まずは様子を見ようとしたが、その花はすぐにこちらへと向かってくる。体を横にずらし、花本体は回避したが、花が吐き出した蜜が靴の先にかかる。すぐに振り落としたが、じわりと中の鉄板が見えた。それ以上その穴が広がらないことを確認し、勢い余って地面に埋まる花を踏んで、天使の近くへと着地する。チェーンを思い切り振り、ペンダントトップが天使の鼻先をかすりそうになるもすんでのところでかわされる。腹立たしい。一瞬でも擦ればすぐに全身に毒が回るというのに。とはいえ天使に毒が効くかは知らないが。
そのまま何度か振り回すが、背後でぱきりと音が鳴る。おそらく花がようやく床から顔を出したのだろう。距離を取っていて、まだ本体がこちらに到達するまでには時間があると考えたが、目の前の天使の笑みが少し深くなったことに気がつき、その場にしゃがむ。天使も即座に横に避けたことから、おそらくこの判断は間違いではない。
頭上を通り越してとんでゆく蜜を、チェーンを大きく回すことで、掬い上げる。背中を反って左手を床につき、その手を軸にしてぐるりと体を回し、蜜の着地点から離れる。ついさっきまで床が存在していた場所が溶けて無くなる様を尻目に、再びチェーンを振りかぶる。形が歪み、数秒後には存在すらなきなるであろうこれを未だに手放さないことに天使は怪訝そうにしていたが、相手の行動の意味を、理由を、そして結果を、一瞬で読めないことは、戦いの場において十分すぎるほどの隙を生むことを理解するといい。直後にはっとしたような表情を浮かべたが、もう遅い。徐々に細くなりつつあるチェーンやペンダントトップが溶けきるよりも、天使が次の行動に入るよりも、チェーンに乗った蜜が遠心力によって天使の方へと飛ばされる方が早かった。天使はとっさに羽根で体を覆って回避したが、真白い羽根に蜜の色が残り、汚れのない羽根を溶かす。ざまあみろ、と鼻で笑ってやると、ゆっくりと羽根が開く。その瞬間に、かすかに音がした。
「舌打ちだなんて品がないな」
「ふふ、そうですわね。それでは私に品がないことを知ってしまったあなたには全て忘れて頂きましょう」
勢いよく飛んでくる花の蜜を手に持っていた本の表紙で防ぐと、どろりと溶けてゆく。さて、天の使いを堕とすにはどうするか。