(これのあとあたり)
閉ざされていた大きな扉を開け放つと、目的の人物が玉座に腰かけていた。ミルダが部屋に体を滑り込ませ、重い扉が再び閉ざされたとき、ようやく屋敷の主が視線を上げる。緩やかな動作で脚を組み替え、肘をかけて手の甲に頬を乗せ、赤く染められた爪先で顔にかかった髪を耳にかける。たったそれだけの仕草が、どれも恐ろしいほどに洗練されていて、長い睫毛の奥で鈍く燃える赤と、首を彩る青のコントラストがあまりに美しくて、まるで絵画のようだった。
まだ遠く離れていて、目を細めなければ表情も見えないほどの距離にも関わらず、圧倒的なオーラに膝を折りそうになる。このプレッシャーこそが、他人を従えるべく生まれた人間の持つカリスマ性なのだと、ミルダには持ち合わせない生まれながらの才気なのだと、一瞬で理解する。襲いかかる凶悪な威圧感を首を振って払うミルダを見て、その行動の理由を理解したらしいベルトランが青白い頬とは対照的な赤い唇で言葉を紡ぐ。
「こんなみすぼらしい人間をここまで通すなんて、執事もメイドも使えないね。ねえ、減給か解雇か、どっちがいいと思う?」
「もう、ここからいなくなってほしいであります」
「ふうん、じゃあ解雇か」
「あなたもでありますよ」
一歩、また一歩と近づくたびに、脳が警鐘を鳴らす。彼に近寄ってはいけない、彼と関わってはいけない、彼と敵対してはいけない。頭が必死に体を止めようとするが、足は震えながらもそれに逆った。月子とマリアが彼の手下を相手している間に、自分が決着をつけなくてはならない。ユオを脅かす吸血鬼を、自らの手で葬らなければならない。
「吸血鬼は夜にこそ相応しい存在だよ」
「相応しかろうと、必要ないであります」
「必要かどうかなんて誰が決めた? 僕は僕のために生きているのに他人の許可なんて必要?」
きっと自分の欲しい答えは得られない。たとえ、自分が正しいと思うことをどんなに根気強く論じようとも。王座の前に立ち、拳銃を突きつける。眉間に銃口がそえられたにも関わらず、彼は表情も姿勢も変えないまま、むしろどこか楽しそうに薄い唇を釣り上げた。ミルダに視線を向けたまま、赤い爪が黒い銃をなぞる。爪先のマニキュアが少しだけ剥がれて、銃口を彩った。死を恐れることのない行動に、少しだけ指先がぶれる。死ぬことがないという確信あっての行動か、はたまたミルダに引き金に指をかける勇気がないと思っての傲慢か、理由はなんであれ、人並みに死に対する恐怖を持ち合わせているミルダにとっては不可解なことでしかなかった。
「あんただってそうでしょ、自分が信じる正義を振りかざしているだけ。それなのに僕と何が違うの? 法? 道徳? それとも周りの目?」
「……あるとするなら正義の定義でありましょうね」
「そうだろうね。でも、他人が作り出した物差しで僕をはかることは許さない」
平行線を辿るだけの議論に呆れたように赤い瞳がそっぽを向く。無駄な肉のない頬が手の甲に強く押し付けられ、黒い前髪が右目を覆い隠す。興味が失せた、口にせずとも伝わった。次にどのような行動を見せるか。軍で調べた情報から背丈もリーチの長さも癖も知っているし、月子たちから武器も聞いている。その状態で惨敗にはならないはず。ミルダは唇を引き結んで、ベルトランを見据えた。しかし、ベルトランは気怠そうに再びこちらに視線を移すと、先ほどよりも不機嫌そうな表情をする。
「……ねえ、いつまでそんなものを僕に向けるつもり?」
この部屋に足を踏み入れた瞬間よりもずっと重く、ずっとどす黒い何かがミルダを襲って、思わず銃を落とす。ただの問いかけが、まるで神に咎められたかのようで、落とした銃をもう一度拾う気が起きないほどにミルダは動揺していた。鼓膜を震わせた瞬間には手先の力が抜け、その言葉の意味を脳が導き出した瞬間にはベルトランの赤から目が逸らせなくなっていた。
「僕と互角だなんて、思い上がりも甚だしいよ」