eleven



 関西が梅雨明けしたと言うニュースを今朝、朝の情報番組で知った。平年並みだそうだ。梅雨が明けた途端、手のひらを返したかのように一気に気温は高まり湿度が増す。
 セミの声が届くようになり、太陽の光がこれでもかと容赦なく襲ってくる。私はこの季節があまり好きではない。 制服の夏服でさえ暑苦しく感じる、こんな気が狂ってしまいそうな真夏日は、母が亡くなった日の事を思い出すのだ。

「名前、明日学校帰り買い物せえへん?」
「あ⋯⋯ごめん、今週はちょっと忙しくて」
「そうなん? せやったらしゃあないな。また今度一緒にセール行こうや」
「うん。誘ってくれてありがと」

 街中は夏のセールで盛り上がっている。悲しくても、寂しくても、忙しくても、楽しくても、笑って過ごしても、どんな日があっても、時間は進んで四季は巡るのだと私は痛感するようになった。
 それでも、もし今でもお母さんが生きてたら、私はどんな夏を過ごしていたんだろうと、考えない夏はなかった。

「なあ。あれ、北くんやない?」
「え?」
「なんや名前のこと呼んでるんちゃうん? めっちゃこっち見とるやん」
「そ、そう?」
「行ってみいや」

 北くんと目が合ったのは否定出来なかった。途端に促されて、私は教室のドアの所で私達のほうを見ている北くんのほうへ歩く。

「北くん。どうしたの? 1組にくるなんて珍しいね。誰か呼ぶ?」
「ええよ。名字さんに会いに来たやけやから」
「え、私?」
「おん。これ、うちのバァちゃんから」
「北くんのお婆さん⋯⋯が、私に?」

 珍しいことに予想外のことが加わって、私は北くんの差し出した紙袋を受け取ったまま眉を寄せるだけだった。

「前にウチにケーキ届けに来てくれたやろ? そん時、バァちゃん名字さんのことかわええ子やねって気に入っとってな。そんでバァちゃん趣味でたまに陶芸やるねんけど、これ良かったら名字さんに渡してくれ言うて。カフェも気に入っとったからまた今度行かしてもらうな言うとった。中、花瓶やねんけど、もし良かったら使こうてや」
「花瓶かぁ。せっかく頂いたからお兄ちゃんにも言ってカフェで使わせてもらおうかな。いろいろとありがとね。仕事でお邪魔したのに気に入ってもらえて、プレゼントまでもらっちゃって」

 紙袋は少し重くて、陶器が入っていると分かると帰り道は慎重に運ぼうと思った。後でちゃんとお礼もしなくちゃいけない。
 こんな夏がやってくることを、中学生の私は夢にも思っていなかった。自分が神戸に来ることも。お兄ちゃんがカフェを始めることも。目の前の男の子と出会うことも。花瓶をプレゼントされる日が来ることも。

「名字さん、もしかしてやけど、具合悪いん?」
「え?」
「いつもより元気ないな思たけど、大丈夫なん?」
「⋯⋯そ、うかな?」
「夏やし無理せんほうがええで」

 夏の暑い日が嫌いだ。セミの声がうるさく響く中、陽炎に連れていかれるように、お母さんは死んだ。私はまだ中学生で、お母さんがいなくなるなんて夢にも思っていなくて、それでもそれは事実で、私は今でも夏が来る度、お母さんが死んだ日のことを思い出す。あの夏をやり直せるのなら、と。

「へーき。全然大丈夫だよ」

 私は笑顔を作ってそう言った。
 北くんはそんな私の笑顔を見つめた後「なら、ええけど」と短く答えただけだった。


◇   ◆   ◇


『お前に会いにカフェに友達が来てるぞ』

 夜の9時を回った頃にきた連絡は兄からだった。今日は金曜日でカフェも延長営業をしているとは言え、こんな時間にやってくる友達なんて正直思い当たらなかったけれど、もしかして北くんじゃないだろうかと『男の子?』と兄に尋ねると笑った顔の絵文字が返ってくる。
 私は慌てて着替えて、表通りに面したカフェに行った。北くんがよく座っている場所の方に目を向けるとそこに居たのは予想通り、北くんだ。

「北くん?」
「名字さん、今日はおらんって⋯⋯」
「今お兄ちゃんから連絡あって。どうしたの? その、私に会いにって聞いたけど⋯⋯」
「名字さん、今日元気なかったやろ」
「え?」
「具合悪いの無理してるんちゃうかなって、よう知らんけど、一応元気になりそうなもん差し入れしとこおもて。あとで渡してもらお思たんやけど」

 そう言って北くんは鞄の中からガサガサと音を出して私にビニール袋を差し出した。中には飲み物とゼリーとあと、コンビニのスイーツが入っていた。

「これ⋯⋯」
「こんなん誕生のプレゼントのお礼にもならんのやけどな」
「や、全然そんな、お礼なんて⋯⋯」

 この時間だし、部活帰りだろう。わざわざこのために来てくれたんだろうか。日中の時から私のことを心配してくれたんだろうか。その歯痒さは、戸惑いにも似ていた。

(18.07.12)
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