sixteen



 つまり、私は白旗を挙げたのだ。降参。無理です。どうやらこれ以上は見てみぬふりは出来ないようです、と。
 とは言え、じゃあ私に何が出来ますかと言えば何もないわけで。好きですアピールしますって、恥ずかしくて出来るわけないし。木っ端微塵にフラれるくらいなら今のままで良いし。そうやってなにかと理由をつけて、結局北くんとの仲は何も変わらないまま、夏休みが過ぎていこうとしていた。

「なあ、このあと体育館でバレー練習試合あるらしいんやけど、見に行かん?」

 学校でおこなわれる夏期講習が終わった後、駆け寄ってきた友人が瞳を輝かせながら言う。夏休みなのに、なんていう同級生の小言がちらほらと耳に入ってくるのを受け流しながら私は答えた。

「自習室で勉強しようと思ってて」
「ええの? 北くんおるよ?」
「ちょ、ちょっと! 名前は出さないで」
「ごめんごめん。誰も聞いてへんって。なぁ、見に行こおや。午前中からずーっと勉強やろ? たまには休憩も必要やん? 試合見てから勉強しよ? あたしも癒されたいねん」
「宮兄弟?」
「他に誰がおんねん」

 夏休みなのに、受験生なのに、3年生である北くんがまだ部活をするのは、高校バレーボールには春高という大会があって、それは来年の1月に行われて、3年生が出られる最後の試合だからである、というのを知ったのはつい最近のことだ。
 見に行きたくないわけじゃないけれど、見に行ってしまったらその後北くんのことしか考えられなくなるのが怖い。ああ、かっこよかったなぁ。なんて思いながら黙々と勉強が出来るだろうか。

「⋯⋯ちょっとだけなら」

 ただ、たからと言って自制できるほど私は出来た人間じゃないし、欲望に素直だし、恋だって楽しみたい。模試だって今のところギリギリなんとかなる感じだしいいよね。と、私は友達の誘いを受けて練習試合がおこなわれる体育館へと赴いた。


◇   ◆   ◇


 意外と冷静なものだな、と数学の教科書を広げながら思った。練習試合が終わって自習室に向かった私は先ほどの試合を思い出しながら受験生モードへと移行しようとする。
 体育館のギャラリーには人はまばらにしかいなくて、試合はある意味淡々と行われていた。まあ、高校生の練習試合なんだからそんなものだとは思うんだけど。北くん、私が居ることに気がつくかななんて淡い感情を抱いて、試合に集中する北くんに念を送る。気付け、気付け、気付け。
 とは言え、どれだけ念を送ろうともちろんそんな奇跡なんて起きるはずもなくて。試合は勝利で幕を閉じたけれど、その間1度も北くんがギャラリーのほうへ目を向けることはなかった。そんなの当たり前なことなのに、残念だと思ってしまう自分が悔しい。
 なんというか、言葉にしたとたんに図々しくなった気がする。

「名字さんも残っとったん?」

 その声が聞こえたのは、練習試合のことをすっかり忘れた頃だった。そろそろ自習室の利用可能時間の終わりがやってくると広げていた教科書たちを片付けていた時だ。
 聞き慣れた声色が私の耳に届く。

「あっ、北くん」
「おつかれさん」
「おつかれさま」
「帰るん?」
「うん。もう時間だし」
「ほなら、一緒に帰ろか」
「えっ」
「最寄り駅同じやろ?」
「まあ、確かに」
「遅いし、家まで送るわ」
「いいよいいよ、北くんも試合で疲れてるだろうし」
「知っとったん?」
「実は勉強始める前に体育館で試合見てて」

 それでもやはり、本人を前にすると緊張はするらしい。いそいそと片付けをして小声で話ながらも、予測不可能な北くんの言葉に私はいちいち考え込んでしまう。例えば、北くんって遅い時間だったら女の子は誰でも送ってあげるのか、とか。もしくは私だから、とか。そういう都合の良いことさえも。
 だけどたまたま、私が女の子で遅い時間で同じ最寄り駅だったっていうだけなのかもしれない。北くんにとってはこんなことなんの意味もないのかもしれない。

「来とったん?」
「最初の練習試合だけしか見られなかったんだけどね」

 そう言うと北くんは何か考えるようなしぐさをして、視線を横に向けた。次に何かを言うわけではないまま私は北くん誘いに乗り、結果的に同じ帰路を辿ることになったのである。
 もう一度その話題に触れたのは私の家に着く手前のことで、もうこの時間も終わってしまうのかという名残惜しさが私の口を動かした。

「ねえ、北くん」
「おん?」
「また、試合見に行ってもいいかな」
「⋯⋯ええけど」
「ありがと。たくさん人がいて声は届かないかもしれないけど、またいっぱい応援するね」

 すると北くんは先ほどと同じようにまた考えるようなしぐさを見せて、今度はおもむろに私の名前を呼んだのだ。夏の夜に溶けるような北くんの声はいつもと変わらないままに。

「名字さん、前に聞いたやろ。好きな子おるんかって」
「う、うん。聞いたけど⋯⋯」
「あんときおらん言うたけど訂正するわ」
「え?」
「気になる子おるねん」
「えっ⋯⋯」
「それだけや。ほな、またな」
「えっ!」

 私の驚きをよそに、北くんはそう言うと自宅のあるほうへ背を向けて遠ざかっていった。マンションの前に1人残された私は捨て台詞のように呟かれた北くんの言葉の意味を考えることで精一杯だ。
 まさかの失恋決定? と意気消沈する私を慰めてくれる人は誰もいない。もし、もしだけどそれが私だとして本人にそう言うこと言うかな? 言わないよね。だとしたらやっぱり相手は私じゃないよね。じゃあ誰! 

「なんでこのタイミング⋯⋯」

 私の声も夏の夜に溶けて誰にも届かぬままだった。

(18.09.10)
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