eighteen



 気分転換に、とカフェの手伝いを申し出ると兄は少し渋い顔をした。夏を制す者は受験を制すと言われるこの夏に、カフェの手伝いをさせるのが兄としては快諾出来ないらしい。それでも、勉強ばかりで発狂しそうと頼み込めば、1日だけ手伝いをさせてくれる許可をしてくれた。
 結果から言うと、非常に有意義な時間だった。忙しくて余計なことを考えなくてすむし、お店の手伝いが終わってからやった勉強はいつもより捗った。それが良かったのか、ある日兄が私に頼み事をしてきた。

「悪いんだけど、この日途中までカフェにでてくれないか?」

 そう言って兄が指定した日付は、花火大会が行われる日だった。規模こそ有名なお祭りと比べれば大きくないものの、ここら辺では打ち上げ数もそれなりで、屋台だって見渡すせるほど並ぶのその日は、毎年多くの人で賑わっていた。カフェは屋台の通りからは離れるものの、近くに花火観覧の隠れスポットがあるとのことで、この日はお客さんも多いのを覚えている。

「うん。良いけど」
 
 受験生ということもあって私自身はお祭りに誘われてないし、誰かを誘うつもりもないし、勉強以外の予定は何もなかった。この前久しぶりにお店に出たら楽しかったし、せっかくならと兄の頼み事を快諾する。
 本当は浴衣を着て、仲の良い友達やはたまた好きな人なんかと出掛けられたら最高に幸せなんだろうけど、それは夢のまた夢だ。

 そして、花火大会当日がやってきた。
 予想通り、来店するお客様は普段より多くて私は店内を所狭しと駆け回ることになったのだ。この日はイベントだからという理由でカフェのスタッフは浴衣を着ることに決まって、私も数時間とは言え去年買った浴衣を押し入れから出してきて着付けしてもらった。普段しない格好に動きにくさは感じるものの、今年は浴衣を着ることもないだろうと思っていたからこれはちょっと嬉しかった。
 花火の打ち上げは夜の8時30分からだ。時計の針が8時を過ぎた頃バイトの大学生の人が予定が終わったとのことでやって来てくれた。バトンタッチをするように、その人と交代した私は浴衣のままお店を出る。よく晴れた夜空。お盆をすぎ、ゆっくりと秋へ移行しようとしている空気はそれでもまだ生暖かい。大通りに面しているとは言え、人通りも普段より多い。マンションは裏手だけど、気の緩みなのか、それとも滅多に着ない浴衣のせいなのか、よろけた私は通行人にぶつかってしまった。

「う、わっ。す、すみません⋯⋯」
「いえ、大丈夫ですか?」

 テノールの声が届く。
 こんな日に、こんな人がいるのに、こんな時間なのに、どうしてぶつかったのはこの人なんだろう。

「北くん⋯⋯」
「名字さんやん」

 学生服でも私服でもない北くんは部活のジャージー着ていて、きっと部活帰りだったんだろう。非日常を感じさせる今日という日に、北くんはいたって普段と変わらぬ様子だ。

「お祭り行ってきたん?」

 北くんは私の浴衣姿を見て言った。

「え? あ、これは違うの。今日お祭りだからカフェが忙しくてどうしてもってことで手伝いしてたのカフェのスタッフも浴衣だといいんじゃないかってことで私も浴衣で接客することになって」

 慌てて、浮かれてないですってことをアピールするように言う。だけど、こんなことになるなら化粧だってなおしたし、着崩れだってないか確認したし、髪型だってもっと可愛いやつにしたのに。

「似合うとるな」
「え?」
「浴衣かわええね」
「本当に⋯⋯?」

 それが例え浴衣の柄や色を褒めたのだとしても。私にとってはこの上ない喜びで。

「き、北くんは花火行かないの? もう少しで始まるよ」
「さすがに1人じゃ行けんわ。それに人混みも苦手やしな。名字さんは?」
「マンションの屋上からなら花火見えるんだけど、私も一人だし部屋で音だけ聞くことになるかな」

 同じやな、と北くんが笑う。

「やけど、せっかくそんな可愛らし格好しとるのにな」
「勉強もあるしね」
「そればっかりはしゃあないな」

 ああ、だけど、今日が本当に特別な日で、日頃頑張っているご褒美をもらえるのなら。神様。仏様。そしてお母さん。どうか、どうか。これからもっともっと勉強も頑張るから。ちゃんと受験生を勤めあげるから。

「⋯⋯北くんが、嫌じゃなければ、その、時間が大丈夫なら、い、一緒に屋上で花火、見ない?」

 生温い風がえりあしを撫でる。特別な空気に背を押されるように、振り絞って出した言葉は北くんに届く。ごくり、と生唾を飲んで返答を待つ。ぐっと握りこぶしをつくって無意識に浴衣を握ってしまっていた。

「ええよ」

 だけどそれはすんなりと、柔らかい声色で降ってきた。その瞬間、私は神様に感謝したのだ。ありがとう、神様。ありがとう仏様。そして、ありがとうお母さん。きっと今日は浮かれちゃうけど、明日からちゃんと受験勉強頑張ります。

(18.09.18)
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