twentyfour


 
 久しぶりに訪れると、図書館独特の静かな雰囲気にのまれそうになる。気づかれないように頭をあげて目の前に座るその人を見る。前髪が額に影を落として、付した眼は真っ直ぐに参考書に向かっていた。
 夏休みにこうやって、好きな人と勉強が出来るなんて考えてもみなかった。会話をしなくてもただ同じ空間にいるだけで込み上げる感情に私はまだ、上手くついていけていない。期待してしまいそうになる感情を抑えて、北くんと同じように勉強を続けた。
 冷房の効いた室内は馴れてくると少し肌寒い。小さく腕を擦りながら、せめて羽織れるカーディガンなんかを持ってくれば良かったと少しだけ後悔していると小声で北くんが私の名前を呼んだ。

「寒いん?」
「あ、うん。少しだけ」
「そろそろ帰ろか? 風邪引いたらあかんやろ」
「大丈夫だよ。もう少し勉強したいなって思ってて。あっでも北くんが帰りたかったら私に気を使わないで先に帰ってもいいからね」
 
 名字さん一人にして帰らんよ、と言った北くんはおもむろにバッグから部活ジャージの上着を取り出した。

「これ。今日、使ってへんから臭わんと思うし。嫌やなかったら」

 丁寧に折り畳まれたそれは洗濯物を取り込んだ直後のようで、まるで部活用のバッグに入っていたとは思えないくらいだった。少し迷って、ちょっと下心みたいなものも作用して、私は差し出されたジャージを素直に受け取った。

「あ、ありがとう」

 周りの目が気にならないとは言えないけれど、腕を通すとそれは当たり前に大きくて、北くんの優しい香りがして、煩悩が私を襲ってくるみたいに一瞬、どうしようもなく気持ちが高まった。
 集中力は時折途切れてしまったりもしたけれど、気が付くと夏なのにもう外がかなり暗くなっていて、いつの間にか遅くまで勉強していたのだと思った時にタイミング良く閉館のアナウンスが響いた。

「結局最後までおったな」
「最後の方すごく集中して時間確認するの忘れちゃってたよ。ジャージもありがとう。暖かかった!」 
「外暗なってしもたけど、名字さん時間大丈夫なん?」
「うん。今日は遅くなるつもりで来たから。でも帰りはバスにするかな。その方が家まで近いし」
「せやったら俺もバスで帰るわ」
「えっいいの?」
「ええよ」

 北くんはそう言って嫌な顔ひとつせず私が乗る番号のバスに一緒に乗った。幸いなことに、このバスでも北くんの家のある程度近くまでは行けるらしい。後ろ側の二人掛けの席に並んで座ったけれど、バスだから椅子は狭くて北くんとの距離が驚くほど縮まる。

「狭ない?」
「大丈夫。全然、大丈夫」

 ゆらゆらと揺られる。夏休みの話とか、部活の話とか、そんな他愛もない話をいくつかして、ふと会話が途切れたときに肩に重みを感じた。驚いて視線を北くんの方に向けて納得する。浅い寝息。疲れてたんだろうか、私の肩に頭を乗せて北くんは眠っていた。今までで一番近い距離に、覚えたことが全部消えていってしまいそうだと思った。
 私の首をくすぐる北くんの髪の毛。ああ、もう。私はどうすればいいんだろう。キャパシティがオーバーしそうになる手前、ゆらゆらと揺れるバスに北くんの身体の重心がゆっくりと前に移動して勢いよく私の肩から北くんの頭が離れた。

「だ、大丈夫?」
「⋯⋯おん。今、寝とった?」
「うん。少しだけ」
「すまん。重かったやろ」  
「いいの、大丈夫。それより疲れてたのに勉強付き合ってもらって良かったのかなって」
「誘ったのは俺からやし、それはええねん」

 むしろ重かったとかそんなことを考える余裕なんてなかったけれど。

「ええねんけど、うたた寝したなんてむっちゃ恥ずかしいやん」

 北くんがそんな風に恥ずかしがるなんて思ってもいなかった私はその言葉に思わず可愛いという感情が沸き上がって、つい心のままに返事をしてしまった。

「ぜ、全然! むしろ可愛いよ」

 ぽかんとした顔の北くんが私を見つめて、耐えきれないと言うように笑った。

「かわええなんてばぁちゃん以外に言われたの初めてやわ」
「ご、ごめん。可愛いは失礼だったよね」
「ええよ。おもろかった」

 喉を鳴らすように笑う北くんに今度は私が恥ずかしいと思いながら、私の最寄りバス停を告げるアナウンスに慌ててストップボタンを押した。

「名字さんと居るとおもろいからあっちゅう間やな。近いゆうても家まで気いつけて帰りいや」
「う、うん」

 もっと何か話せることがあればいいのに。別れ間際、そんなことを思っても思い浮かぶものはない。

「あの、今日本当にありがとう」

 また、会えない夏休みが続く。好きの気持ちが勝手に育って。

「名字さん」
「うん?」
「ほな、またな」
「⋯⋯うん」

 その一言で私がどんなに嬉しくなるか北くんは知らないでしょ。名残惜しい気持ちを押さえ付けてバスを降りる。窓越しに見える北くんに手を降って、遠ざかるバスを見えなくなるまで私は見つめ続けていた。

(20.03.20)
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