twentyseven



 それから2週間後、少し肌寒い球技大会の朝はやってきた。目が覚めてぼんやりと天井を見つめながら北くんから教わったことを反復するように思い出す。北くんのように出来なくても、せめて教えてもらえたことはきちんと活かしたい。
 さて、顔でも洗いに行こうかとようやく布団から身を乗り出した時、携帯が音を立てた。朝から誰だろうと画面を見て"北くん"と表示されたそれに思わず目を疑った。

『今日朝練ないんやけど、良かったら一緒に学校行かん?』
『行く! でも今起きたばかりで1時間後くらいでも大丈夫?』
『ええよ。せやったら7時30分に迎え行くわ』
『ありがとう。じゃあ待ってるね!』

 そうだ。球技大会の日ってたしか体育館が朝使えないんだった。でも朝練が無かったとしても北くんがこんな風に誘ってくれるなんて珍しい。何かあったんだろうか。
 疑問と喜びを感じながら、それでもいつもよりも念入りに朝の支度を行った。少し早めに家を出てカフェに寄ってからモーニングを食べる。約束の時間の少し前にお店を出て辺りを見渡すと北くんがこっちへ向かってくるのが見えた。

「おはよう、北くん!」
「おはよ。朝から会うの新鮮やな」
「だね」
「駅まで歩かへん?」
「うん」

 朝の澄んだ空気を肺に取り込む。いつもは何も思わない景色が、北くんがいるだけで違うものになったみたいだ。昼に会うときとも夜に会うときとも違う、一日の始まりの瞬間に好きな人に会えるってこんな気持ちだったんだ。

「少しずつ寒なってきたな」
「もう少しで10月になるんだもんね。なんかあっという間だなって思う。北くんは確か、来月推薦入試があるんだよね?」
「おん。一足先に受験してくるわ」

 軽やかな声色で言う。北くんが推薦入試を受けると知ったのはついこの間のことで、北くんの成績を考えると納得するんだけどこうやって言葉にすると私は少し寂しさを覚えた。この間バレーを教えてもらった時だって結局私のことをどう思ってるかなんて聞けなかったし。

「北くんなら⋯⋯って私が言うのは違うかもしれないけど、北くんなら大丈夫だと思う」
「いつも通りやるだけやから。推薦入試も、そん後の春高予選も」
「あっ、そっか。11月に予選があるんだもんね」
 
 それを言葉にした瞬間、ふいに心がざわめいた。そうだ。10月に入試をして、11月に予選があって、本選へ進む頃にはもう年が明けて。そうしたら今度は私の試験が続いて、合格発表がある頃には卒業だ。
 そうやってこれから先のことを考えたとき、私は残された時間のなさに愕然とした。私が北くんとこうやっていられる時間はもうほとんど無いんだ。

「名字さん?」
「⋯⋯あ、ごめんね!」
 
 前を歩く北くんに名前を呼ばれて足取りが遅くなっていたことに気がつく。慌てて北くんの隣に駆け寄って見上げた。

「大丈夫なん?」
「少しぼうっとしちゃってた」

 北くんはそれ以上追及することはしなかった。

「名字さんとゆっくり会えるんも、減ってくんやな」

 自分が考えていたことを北くんが口にして、私の心はまた一層痛みを覚えた。嫌だな。北くんと話せるのが少なくなるの。北くんと会えるのが減るの。私が彼女なら。そうだったなら、これから先もずっとこうしていられるのかな。
 気持ちが早まって、私のことどう思ってるの? と聞いてしまいそうになった。少しでも良く思ってくれているなら"好きだ"と口から勝手に出てきそうな勢いだった。

「せやけど全部終わったら、またゆっくり一緒にお喋りしよな」

 その勢いを止めたのは北くんの言葉だった。

「もしまたお店手伝い始めるんやったら教えてや。タイミング合わせて会いに行くわ」

 全部終わる頃。多分少しずつ春に近づいてる頃。
 北くんはきっと来月の試験も再来月の予選も、いつも通り行うんだろう。私みたいに緊張なんてしないで、ある意味淡々と自分の実力を出すんだと思う。それは北くんが毎日やるべきことをしっかりやっているからだ。私と会った日も電話をくれた日も家まで送ってくれた日も、花火を見た日も。変わらずに毎日のやるべきことをやっているからだ。
 だったら私も、今は私がやるべきことを頑張らないと北くんに何かを聞く資格なんてないんじゃないだろうか。ちゃんと勉強して試験を受けてしっかりやり遂げてからじゃないとダメなんじゃないだろうか。そうして全部終わってきちんとやるべきことを終わらせた私で、私は北くんの隣にいたい。

「私も、北くんとゆっくりお喋りしたい。頑張って試験受けて全部終わって、そしたらまたお店手伝うから、北くんに来てもらいたい」
「おん」
「今日も、頑張るね。北くんに教えてもらったから」
「無理はせんでな」
「うん。だから、応援してくれると嬉しい」
「当たり前やん。見に行くで」

 だからまだ聞けない。北くんが私をどう思っているか。でも今は束の間のご褒美ってことで一緒にいられることを堪能したい。優しいこの空気に抱き締められたい。そしたらまた、私は頑張るから。


◇   ◆   ◇


 そして10月、11月と月日は流れていった。北くんの言う通りゆっくり話ができたのもそれが最後で、今になって思えばもしかしたら北くんはそれをわかっていてあの日の朝、突然あんな連絡をしたのかもしれない。
 バレー部は無事に本選への出場を決め、北くんも推薦入試を事も無げに終わらせたようだった。私は相変わらず勉強付けの毎日で北くんと連絡をとることも少なくなってきた。日に日に寒さも増して陽気なイルミネーションが姿を見せ始めて街が一気に姿を変える。
 兵庫で過ごす3度目の冬がやってくる。

(20.04.20)
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