Birthday



 梅雨が明けない。
 洗濯物が乾きにくい。お気に入りの靴が履けない。湿気で髪の毛がうねる。連日降り続く雨は私を悩ませるばかりだった。
 それでも出来るだけテンションを上げようと先週買ったばかりのレインシューズと傘を身に付けて、駅ビルまで来たのには大きな理由がある。
 北くんの誕生日が来週に差し迫っているのだ。欲しいものを聞いてみても特にないという北くんにあげるためのプレゼントをもうかれこれ2週間も迷っている。

(北くん意外と強情なとこあるけど無欲なんだよね⋯⋯)

 洋服、財布、ネクタイ、時計、キーケスースに鞄。思い当たるお店を覗いてみたけれどピンと来るものはなかった。これはもう家電にも範囲を広げるしかないかと家電量販店へ向かおうとした私の目にあるアイテムが目入る。
 足を止めて見る先にあるのはボールペン。もちろん値段はピンきりで、普段は安いものを使っている私にとって有名ブランドのハイランクのボールペンは見た目からして醸し出す雰囲気が違っていた。

(これ⋯⋯良いかもしれない)

 この値段ならば自分ではまず買わないだろうし、ずっと使えるはずだ。
 シャーペンも迷うけれど、種類の豊富さと社会人になってからはボールペンのほうが使う機会が多いですよという店員さんのアドバイスに照準をボールペンへ合わせる。
 店員さんに用途を告げいくつか見繕ってもらい、候補のボールペンたちを目の前に並べ比べた。作りも保証もしっかりしているし、好みはあるけれど書き心地も悪くない。あとは北くん好みのデザインを選ぶだけ。

「今こちらのブランドでしたら、ペアで購入していただくと無料で名入れが出来るキャンペーンもおこなっておりますよ」
「ペア⋯⋯名入れ⋯⋯」

 つまり名前入りのお揃いのボールペンを持てるということ。正直、値段的に2人分買うのはかなり財布にダメージを負うけれど、一生ものに近いアイテムで北くんとお揃いのものを持てるということは私にとって同じくらい魅力的なことだった。
 バイトを増やして外食を減らしたらなんとかなる、と私は清水の舞台から飛び降りる勢いで店員さんにペアのボールペンをお願いした。ローマ字とは言え名前はさすがに恥ずかしいので名入れはイニシャルで。

 それが先週の出来事。昨日店舗まで受け取ったイニシャル入りのお揃いのボールペンは色違いで、北くんに渡す箱にのみラッピングがされている。
 大学の授業が終わった後にカフェに寄ると言った北くんを待って早3時間。あと1時間もすれば私のバイトも終わって自由になる。

「こんにちは」
「いらっしゃ⋯⋯って、えっ! 早い!」
「最後の授業、休講になってん。連絡したんやけど見とらん?」
「ごめんね。見てなかった。私あと1時間あって」
「ええよ。ここで待たせてもらお思て来たんやし」

 が、私に自由がやって来る前に北くんがお店にやってきた。スマホはロッカーに入れっぱなしだったと北くんに謝りながら奥の席へ案内すると、鞄から教科書を取り出して勉強を始めようとしたので、ついつい文具に目が行ってしまう。
 使っているのはボールペンではなくてシャーペンだ。私の買ったボールペンは北くんにとって需要はあるだろうか。やっぱりシャーペンのほうが良かっただろうか。そもそも自分の分も買ったりしないでボールペンとシャーペンのセットにすれば良かっただろうか。
 今更どうしようもないことばかりを考えてしまうけれど、きっと私が何を贈っても北くんは喜んで受け取ってくれるのだろう。彼はそういう人だ。
 悩んで1時間を過ごすくらいなら。とこの時間帯、人も少ないから大丈夫だろうとお兄ちゃんに許可を得て、ロッカーからプレゼントを持ってきて北くんの目の前に掲げる。

「北くん、お誕生日おめでとう。プレゼント!」
「受け取ってええの?」
「もちろんだよ」

 渡すということは昨日言っていた。中身がなにかは北くんはまだ知らない。緊張する。センスないとか思われたくないし。ゆったりとしたBGMに耳を傾け心を落ち着かせる。
 丁寧にラッピングをはがした北くんは箱の中に納まるボールペンを見て「あっ」と小声で一言だけ発した。もしかして持っているとか? それとも最近ボールペン買ったとか? 不安に苛まれて北くんを見つめるけれどそれは杞憂に終わった。

「ちょっとええボールペン買おう思っててん。しかもこれちょっとやなくてめっちゃええやつやん」 
「本当? よ、よかった⋯⋯。あっデザインとか、書いた感じとか大丈夫?」

 焦るように聞くと試し書きをした北くんがペンを持ったまま私に笑いかける。

「完璧や」

 北くんの笑った顔好きだなあと改めて思いながら告げなければいけないことがあることを思い出す。

「その、それ実は私も色違いで買って⋯⋯あとイニシャル入ってるんだけど」
「ほんまや。Sが書かれとる。名字さんは何色にしたん?」
「ボルドーっぽい深い赤のやつ。ボールペンならこれから先使う機会も多いと思うし、シャーペンとも迷ったんだけど」

 北くんはそれをまじまじと見つめる。色嫌だったかな? シャーペンのほうが良かったかな。ボールペンを人に贈ることなんて今までになかったから、不安に思うことのほうがやっぱり多い。

「なんかええな」
「え?」
「お揃い、ええな。嬉しいわ。使う度に名字さんのこと思い出すんやろな」

 でもやっぱり、それもまた杞憂になる。だって北くんはいつだって私の不安や心配を吹き飛ばしてくれるから。そういう人だから。
 きっと私も使う度に北くんのことを思い出すんだろう。

「ありがとう。一生大切にするわ」

 歳を重ねてまた1年、新しい思い出を北くんと作っていけるのが楽しみで仕方ない。そして来年もおめでとうの言葉を言いたい。特別はなくてもいい。普通の日常を北くんとなら多分、飽きることなく過ごせる。
 梅雨はきっと、もうすぐ明ける。雨上がりの雲間から光が差し込む7月の今日。私たちの未来は無限大だ。

(20.08.07)
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