Halloween



「北くん。はいこれ、どうぞ」

 10月31日。オレンジに彩られる世の中は今日で終わりだ。
 うちのお店も申し訳程度にジャックオランタンが飾られているけれど、彼らの役割も今宵をもって解任とされる。
 そんな日にやってきた北くんに手渡したのは、アイシングでデコレーションされたコウモリ型のクッキーだ。
 いつも注文するコーヒーの横に添えて出せば、北くんは目を丸くして私を見上げた。

「クッキー?」
「うん。今日ハロウィンでしょ? 来てくれたお客さんに配ってるの」

 元々、一部のドリンクを注文してくれた人には簡易的なアイシングが施されたクッキーが添えられているんだけど、今回はそれにより気合いをいれて作った代物だった。

「名字さんが作ったん?」
「お兄ちゃんと一緒にだけどね。あ、でも北くんに渡すのは私がアイシングしたやつだよ!」
「HappyHalloweenて書いてるやん」
「結構うまくいってると思うんだけどどうかな?」

 コウモリ、HappyHalloweenの上にちゃんと円らな瞳も書いて結構可愛いと思うんだけど。
 調理は基本お兄ちゃんがするから、私は私が出来るだけのことしかやっていない。でもこれは違う。北くんに渡すのだけは私がやった。だからこそ余計に愛着があって、もちろん北くんに渡すために作ったから良いんだけど私はちょっと我が子が巣立つような気分になっていた。いや、我が子なんていないんだけど。

「まだトリックオアトリート言ってへんけどええの?」

 いたずらっぽく笑って、北くんが言う。あ、そっか。そうだよね。その台詞もハロウィンの醍醐味だよね。じゃなかったとしても、北くんの口からトリックオアトリートって聞けただけで私には価値があるんだけど。

「忘れてた⋯⋯言われてないのにお菓子渡しちゃったよ」

 幸いお客さんも少ない時間帯だったから、私はこっそり北くんの隣に座ってわざとらしく項垂れた。

「名字さん」
「なに?」
「トリックオアトリート」
「えっ」
「いたずらとお菓子はどっちがええ?」

 北くん、心なしか楽しそうだ。ここはカフェだからお菓子なんていくらでも差し出せるんだけど、私の好奇心はいたずらへと偏る。

「いたずらはどんないたずらなの?」
「せやなぁ⋯⋯」

 つい言葉にして聞いてみれば、北くん自身も考えていなかったのか顎に手を当てて考え出す。何かを閃いた北くんは顔を明るくさせて言う。

「おでこパチンするとかやろか?」
「おでこパチン⋯⋯」

 なにその言い方可愛い。

「いや、痛いのはアカンな。いたずら考えるんも難いわ」

 そう言って北くんは笑った。ああ⋯⋯好き、と日々溢れる気持ちが今日も溢れてきた。仕事に戻りたくないなあ。このまま北くんの隣に座っていたいなあ。どうしようもない欲望が生まれて、自分の煩悩には本当に呆れてしまう。

「⋯⋯そろそろ仕事戻らないと」
「おん。終わるまで待っとるな」
「ありがとう」

 終わりまで1時間から2時間くらいのとき、北くんはこうやってここに座って勉強をしながら私を待ってくれる。その後に出掛けたり何かをするわけではないんだけど、何となくそんな風に待つのが私と北くんの間の決まり事になっていた。
 終わって外でちょっと話して、名残惜しいなあって思って家に戻る。そんな取り留めもない時間を繰り返して、移ろいゆく季節は気が付くともうここまで来ていた。
 北くんが勉強する後ろ姿を時折見つめながら真面目に仕事をこなす。終わる時計が時間を示せば私はすぐに着替えてもう一度北くんの隣に座った。

「北くん、終わったよ」
「お疲れさん」

 教科書から顔を上げて私を見る。大きなトートバックに勉強道具をしまった北くんはお会計を済ませて、エスコートするようにカフェのドアをあけた。

「行こか」
「うん」

 すっかりと暗くなった空に月が浮かぶ。寒いなあ。そう思いながら空を見上げていると、隣にいる北くんが呟く。

「寒いなあ」
「私も今同じこと考えてた」

 お互いに顔を見合わせて笑えばそんな寒さも忘れてしまうくらい幸せになれる。いつもよりも寄り添うように歩き出せば北くんが私の手を握った。

「名字さん」
「うん?」

 見上げた瞬間、北くんは少しだけ屈んで冷たい私の頬にキスをした。じんわりと暖かい熱が頬に伝わって、私はただ瞬きを繰り返すだけ。

「どや、驚いた?」

 北くんは得意気に笑った。子供みたいに無邪気な様子で。

「お、驚いた」
「いたずら成功やな」

 忘れていたトリックをしかけられて、私は言葉が見つからない。これっていたずらなのかな。唯一このいたずらに伴う痛みは北くんを想う胸の痛みだけ。触れられた頬の熱はひかないまま、ハロウィンの夜は終わろうとしていた。

(20.10.30)
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