seven



 アイスコーヒーを北くんの前に差し出したけれど、北くんは相変わらず店内の様子を見ているままだった。

「なんや知らん店に来たみたいやわ」
「閉店中のお店に入ることってなかなかないもんね。BGMもかかってないし静かでしょ」

 北くんに手伝ってもらった買い出しも、後はきちんとしまえば良いだけだ。アイスコーヒー用の豆を挽いたばかりのカウンターでは、コーヒーの薫りがまだ漂っている。

「北くんはずっとバレーやってるの?」
「せやね。スポーツはバレーしかやったことない」
「わ、凄いね。一途だ」
「別に凄かないよ。当たり前のことを当たり前にやってるやけやし」
「当たり前だって思えるくらいバレーしてるんでしょ? 凄いと思うけどなぁ」
「普通のことや」

 北くんのそれは謙遜ではなかった。息をして息を吐いて、瞬きをして、手足を動かして。それと同等であるかのように言う北くんの声色に、私は驚いた。

「それに、そっちのほうが楽やし」
「楽?」
「心地ええんよ。反復、継続、丁寧っちゅーもんは」

 それはつまり、毎日丁寧に同じことを繰り返し行うということだろうか。北くんは普通だと言うけれど、普通にそれをこなすのは結構難しいんじゃないかな。
 だけどそれは北くんを物語るというか、北くんを形取るというか、北くんが北くんたらしめるものなのだろうと私は思った。

「そっか。なるほど。うん」
「褒められたくてやっとるわけでも、喝采や称賛が欲しいわけでもないしな。凄かないんよ。それに俺は強いわけではあらへんしなぁ」

 アイスコーヒーを飲む北くんの喉仏が動くのを見つめながら彼の言葉に耳を傾ける。

「北くんにとっては当たり前のことでも、やっぱり私からしたら凄いなってなるよ。なんだろう。尊敬って感じかな。私には多分、なかなか出来ないことだし」
「尊敬? 面倒は言われたことあるけど尊敬する言われたのは初めてやわ」
「確かに、丁寧反復継続が苦手な人からしてみたら北くんは宇宙人みたいに思えちゃうかもね」

 北くんと真逆な人も世の中にはいるだろうとそう言うと、何が可笑しかったのか北くんは肩を震わせて顔を手で覆うように笑いを堪えていた。

「宇宙人言われたのも初めてやわ」
「え、ご、ごめん! ものの例えって言うか、言葉の綾っていうか⋯⋯」
「おもろいな、名字さん」
「本当にごめんなさい⋯⋯」
「ええって。怒っとるとかやないねん。ただ斬新やなって思っただけや。そんな謝らんといて」

 ひとしきり満足したのか、北くんはまたいつも通りの表情に戻ったかと思うと、何かを考えるような顔でじっと私を見つめてきた。突然どうしたのと私のほうが居たたまれなくなっていると北くんが口を開く。

「⋯⋯なんや名字さんは話しやすいなぁ」
「え?」
「こんなんやから女友達なんて今までおらんかったけど、名字さんはなんちゅーか⋯⋯」

 言葉尻を濁すようにして北くんはまじまじと私を観察しているようだった。その視線に耐えながらも、私も確かにとは思った。北くんが話しやすいのは何でだろう。

「カフェだからかな? 私は店員で、北くんはお客様で。始まりがそれだったから普通の同級生とはちょっと違く話せるんじゃないかな。北くん前にしたら失礼のないようにしなくちゃなぁってなんとなく思っちゃうし」
「そういうもんやろか」
「あ、でも、わからないけど私、北くんと友達になれるなら嬉しいなとは思うよ」
「せやな。それは確かにおもろそうやと思うわ」

 飲み干されたアイスコーヒーはもう氷が溶けている。窓の外はもうくっきりと夜の色を示していて、そろそろ兄が帰ってくるし、夜の開店の準備をしなくてはいけない。その事に北くんも気が付いているのか、隣の席に置いていた大きな鞄を背負うと今度は躊躇いもなく席から立ち上がった。

「そろそろ帰らな。長居してしもたな」
「私も色々話せて良かった。また来てね」
「おん。また勉強しに来るわ」

 扉の前まで見送り、家まで送らなくても良いかどうかを確認したけれど「なんでやねん」と一言言われただけだった。
 入れ違うように用事で出掛けていた兄が帰って来て、使われた形跡のある店内を見渡して兄は言った。

「買い出しありがとな。誰か来てた?」
「うん。買い物してたら同じ学校の子と会ってね。ここまで運ぶの手伝ってもらったからお礼に飲み物出したんだ」
「へぇ。友達?」
「うん。友達」

 私は得意気に微笑みながらそう言った。

(18.07.03)
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