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「今日の手伝いはいいからこれ届けてきてくれないか?」

 先日、新しいバイトの人を雇ってから私のカフェの手伝う回数は減るようになった。受験生だし、もっと勉強に時間を割かなくてはならないのは分かっていたけれど少し物足りない気がする。
 久しぶりのカフェだと学校帰りにお店に行くと、兄は私の顔を見るなりそう言った。え、いつの間に配達なんて始めたの。と顔をしかめた私に兄は苦笑いしながら言った。さすが兄妹。考えていることは顔を見れば分かるらしい。

「誕生日ケーキの注文受けたんだよ。凄く美味しかったからどうしてもって。年配の方だからさ、雨も降ってきてるし配達しますってさっき電話で言っちゃったんだ。悪いけど家のマップ携帯に送るからよろしく頼む。代金は先に頂いてるから渡すだけで大丈夫だからな」
「まあ、別にいいけど⋯⋯」

 てっきり久しぶりにコーヒー淹れたり出来るかなって思っていたのに。私は私服のまま兄からケーキの入ったボックスを受け取った。ビニールの袋には入ってはいるけど、念のためにと少し大きめの傘を選んで、私はまた歩いて来たばかりの空の下へ戻った。
 雨は相変わらず降り続いているけれど、私よりケーキを守らなくてはいけないと選んだ傘は、私のためというよりケーキのためにその使命を全うさせるべく奮闘する。多少私が濡れるのは気にしてはいけない。
 そんな風に努力しながら携帯に送られてきた家の場所を確認しながら歩く。ここから歩いて少し時間がかかるけれど、保冷剤も入ってるしケーキは大丈夫だろう。7月にもなると19時でもそれなりに明るい。水溜まりに気を付けながらケーキを丁寧に運ぶ。

『言い忘れてた。お客様の名前、北さんって方だから。表札あるって言ってたから確認してからインターホン押すんだぞ』

 兄からの連絡に私は自分の目を疑った。北さんって北くんと同じ名字じゃん。まさか親戚の人だったりして。なんてね。こういう偶然もあるものだなぁと感心する。了解とだけ返事をし、それからおよそ30分後、私は目的地へとたどり着いた。表札に『北』と書かれてあることを確認してからインターホンを鳴らす。大丈夫、ケーキの入った箱も綺麗なままだ。雨に濡れた甲斐がある。

「すみません。ご注文頂いたケーキを届けにきたカフェの者です」

 配達なんて初めてだったら緊張する。今いきますね、と年配の方の声がしてからしばらくの後、玄関のドアが開いた。

「あらあら。こんな雨の日にほんますみませんねぇ」
「いえ、大丈夫です」

 優しい眼差しと、人の良さそうな笑顔を携えたお婆さんが目の前に現れて私はホッと胸を撫で下ろした。軒先で傘を畳んでケーキの入った袋を差し出す。

「ご注文のケーキです。濡れないように気を付けて来たので大丈夫です。あと中に保冷剤が入っているんですけど、カフェからここまで歩いて来るのに時間がかかってしまったのですぐに冷蔵庫に入れてください」
「わざわざすんませんね。⋯⋯あらあら、身体が濡れとるね。ちょっと待っとってな」
「え? あ、いや、私は大丈夫なので⋯⋯って行っちゃった⋯⋯」

 ケーキを受け取ったお婆さんは慌てるように家の中に戻っていくと、ケーキの代わりに手にタオルを持って玄関に戻ってきた。

「よう拭いていき。年頃の女の子が身体冷やしたらいかんよ」
「で、でも」
「ええからええから。年寄りの言うことは聞いておきなさい」

 笑顔で諭すように言われ、私はその手にあるタオルを受け取った。他人の家でこういう好意に甘えるのは、店員として正解なのかどうかわからない。それでも濡れていた服と髪を拭けるのは正直ありがたかった。

「若いのにお仕事頑張っとるの偉いねぇ」
「家族の経営するカフェなので、全然大変じゃないんです。どちらかと言えばお手伝いするの楽しいなって」
「ええ子やね。孫と同じくらいやろか」
「あ、そう言えばお誕生日のケーキでしたよね。お孫さんのですか?」
「そうなんよ。もうそろそろ帰って来る頃なんやけどね。部活忙しい言うてたからどうやろか」

 部活ってことは学生さんか。お孫さんが言うように私と同い年くらいなのだろう。まさか本当に北くんの家だったりして、なんて内心冗談めいて考えていたら背後にある玄関のドアが開いた。

「ただいま。バァちゃん、約束通り早めに帰ったで⋯⋯え?」
「あ⋯⋯こ、んばんは」
「お帰りなさい、信ちゃん」

 北くんは玄関にいる私を見てびっくりするし、私もまさかの予想が的中してびっくりしてるし、お婆さんだけが変わらずニコニコと北くんのことを見つめているだけだった。

(18.07.04)
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