nine



「⋯⋯なんで名字さんがうちにおるん?」
「実はカフェの配達頼まれて、名前聞いてもしかしてと思ったけど⋯⋯まさか本当に北くんのお家だったなんて」
「配達?」
「えっとそれは⋯⋯」

 ケーキです、と言って良いのだろうか。これまでの会話から察するにあのケーキは北くんの誕生日ケーキだろうし。あ、いや、分からないか。北くんに兄弟がいるかもしれない。

「信ちゃんのな、お誕生日ケーキ届けに来てくれたんよ」
「俺の?」
「配達普段してないんだけど、今日雨だからってことで私が任命されてね。濡れちゃったからタオル借りてたの。今ちょうど帰ろうとしてたところで」

 そう言うと北くんは私の顔と手に持っているタオルを交互に見つめた。

「信ちゃん、お友達なん?」
「え? ああ、おん。そうなんよ。同じ学校の子やねん」
「あらあら。そうやったんやね」
「名字、です。北く⋯⋯信介くんにはいつもお世話になってます」

 こう言う時の挨拶ってどう言えば正解なのか全然わからない。当たり障りのない、よくあるような言葉を選んで言う。

「名字さん帰るん?」
「うん。仕事も終わったし。長く居たら悪いから」
「ほんなら送ってく」
「えっ。いや、いいよ大丈夫。もう遅いし暗くなってきたから北くんが危ないよ」
「やからやろ。遅いし暗くなってきたから送るんやろ。こんな時間に女の子1人で帰らすほうが男としておかしいやろ」

 照れもせず放たれた北くんの言葉はあまりにも男らしくて私はつい、言葉を見失った。まるで当然の如くそう言ったけれど、送られる側としてはそういうのちょっと、少女漫画みたいでドキッとする。って言うか、誕生日の人に送ってもらうとかどうなんだ。

「荷物置いてくるから待っとってな」
「う、うん」

 急ぎ足に靴を脱いで玄関から見える階段を駆け上がる北くんの背中を呆然と見つめるだけだった。

「信ちゃんの彼女やないんかね」
「⋯⋯えっ!?」

 私たちのやり取りを見守っていたお婆さんが、北くんが居なくなってからそう問いかけてきた。突然のことに私は一瞬呆けて、言葉を理解すると同時に驚きの声を上げた。お婆さんは微笑みを浮かべたままだ。

「信ちゃんが女の子と仲良うお話しとるん初めて見よったから」
「いえ、いえいえそれは違います! 北くん、うちのカフェに時々来てくれててそれで仲良いだけなんです! 私なんかが北くんの彼女だなんてそんな⋯⋯」

 恐れ多い。北くんにはもっと女子力の高いキラキラした女の子が似合ってる気がするとお婆さんの言葉を否定する。

「なんやそれは残念やねぇ。信ちゃんの結婚式楽しみにしとるんよ。どんなかわええ子があの子のお嫁さんなってくれるかなあてな」
「お婆さんは北く⋯⋯信介くんのこと、大好きなんですね」
「目に入れても痛ないなぁ」

 なるほどなるほど。こんな風に大切にされていたら、北くんもお婆さんのこと大切にしたくなるのも分かる。クリスマスプレゼントの件を思い出して、今更ながらにほっこりとした。

「きっと優しくて可愛くて素敵なお嫁さんと結婚すると思います。だって、信介くんが素敵な人だから。だから同じように素敵な人と家族を作るんじゃないかなって思います」

 高校生の私たちは結婚なんて先のこと、夢のまた夢みたいな話だけど。だけど北くんのお婆さんにとってはそう遠くない未来の話なんだろう。
 ちょうど話が一段落つくと、荷物を部屋に置いてきた北くんが階段から降りてきた。

「バァちゃん、俺名字さんのこと送ってくるな。遅ならんよう急いで帰って来るから。母さんにも言っとって」
「気ぃつけてな」
「おん。ほな行こか、名字さん」
「あ、えっと、じゃあおじゃましました。ありがとうございます」

 北くんに促されて私は慌ててお婆さんに頭を下げた。小さな体で手を降ってくれるお婆さんに、同じように返しながら家の外にでる。
 先程より一層暗くなった空に、北くんは同じような色の傘を差していた。私はビビッドカラーの傘を広げ、北くんの隣に並ぶ。

「何話してたん?」
「北くんのこと」
「俺?」
「うん」

 雨音に負けないよう、お互いいつもより声を張っている。

「なんなんそれ。気になるわ」
「お婆さんは北くんが大好きで、北くんもお婆さんのこと大好きなんだなぁって話」
「そんな話しとったん?」

 顔は見えないけれど、北くんは楽しそうに言った気がする。さすがに北くんの結婚のお話もしました、なんて言えるわけもなくて私はそこには触れないように上手いこと誤魔化した。

「あれ、もしかして雨止んできたかな?」

 傘の奏でる雨の音がやけに遅くなったと思い周りを確認すると、傘を差す人と差さない人がそれぞれ半数ほどいた。頭上の傘を畳んでみると、もうほとんど降ってこない雨に私は傘のボタンをしめた。

「ほんまやね」

 倣うようにして傘を閉じた北くんと視線が交わる。夜の帳が落ちた頃、月の明かりと街頭に照らされる北くんの顔が整っているなぁと思う夜だった。
 それはえもいわれぬ気分を連れてきて、私はこの短くも長い夜の散歩に、いつもとは違う何かを感じていた。

(18.07.05)
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