それが好きって感情からやってきていることくらい、本当はちゃんと理解はしていた。何も知らない小学生じゃあるまいし、いい歳をした大人が自分の嫉妬に気が付かないわけがない。苦しいけれど、これは紛れもない恋だ。
 ダシのきいたお味噌汁を飲みながら自分の感情の正体と向き合う。そうだよ、好きだよ。むしろ好きにならない要素なんてある? だから仕方ないじゃん。悲しいって思うくらい、仕方ないじゃん。
 誰にするでもない言い訳を私は心の中で繰り返していた。あんな場面で気付かされたんだから、愚痴ってしまうくらいいいでしょ。誰にも言わないから。

「最近仕事大変なん?」
「⋯⋯少しだけ」
「俺が出来るん、うまい飯出すくらいやしなあ」
「今日も美味しすぎるくらいです。パワーチャージさせてもらってます」

 それは本当だ。お婆ちゃんと話をして、おじさんと治さんの会話を聞いて、時々目が合う治さんが笑いかけてくれる。それだけで充分だって思っていたはずなのに。

「あとはまあ聞くくらいは出来るか。やから弱音くらいいつでも吐いてええんやで」

 だけどその優しさは時々、私を容易に傷付ける。
 私の知らない誰かが愛している治さんを、私が好きになってはいけない。

「ありがとうございます」

 気付いた感情はさっさと捨ててしまおう。それほど長いこと持ち合わせていたわけではない。きっとすぐに忘れられる。何も知らない小学生じゃあるまいし、報われない恋の忘れ方くらい大人なら知っていて当然だ。
 ご飯粒1つ残すことなく、定食を平らげた私はお会計を済ませて外に出た。冬を運んでくる秋の終わりの風。商店街のほうからは人の往来を感じる。見上げた空はいつかのように星空で輝いていて、明日も明後日も続いていく日々を示唆しているかのようだ。

(あー⋯⋯失恋って辛いな)

 私が恋を失っても明日はくる。仕事には行くし、味覚が変わっておにぎりが嫌いになることもない。冬がやってきてこのコートでは物足りなくなって、除夜の鐘を聞きながら眠気に抗う日もすぐにやってくる。
 治さんのコートを肩にかけてもらったときに香った匂いもいつか忘れる。その重さも、あの日の横顔も。


△  ▼  ▲  ▽



 それからしばらく仕事が立て込み、おにぎり宮を訪問出来ない日々が続いた。実際仕事はハードでコンビニのお昼が続くこともあったけれど、失恋な悲しみを乗り越えるには最適の忙しさだった。
 それが一段落して、久しぶりに早く帰宅出来る日の帰り道、私はおにぎり宮の暖簾をくぐった。秋は冬になって、コートにマフラーを重ねるようになった年の瀬だった。

「こ、こんばんは」
「いらっしゃ⋯⋯」

 久しぶりの訪問に緊張しながら声をかけると、治さんが目を見開いて驚いた顔で私のほうを見た。

「お久しぶりです」
「久しぶりすぎてむっちゃ驚いたわ。元気やった? 最後に来てくれとった時しんどそうやったからずっと心配やったんやけど、大丈夫なん?」
「すみません⋯⋯あれから急に仕事がバタバタしてしまって⋯⋯」
「無理してへん?」
「んー⋯⋯しんどいって思うこともあったんですけど、今回の件で結構良い評価をしてもらって、だから結構今の私、大丈夫なんです」

 この香りも久しぶりだ。柔らかい色の電球も。冬季限定のメニューが壁に貼ってあって私はまた時の流れを感じる。
 私の言葉に安堵した様子を見せた治さんは思い出したように言う。

「あ。後で侑来るんやけどええ?」
「全然問題ないです。むしろ侑さんは私いて良いんですかね」
「アイツはそんなん気にせんからええで」

 私の目を見て話してくれて、心配してくれて。やっぱり素敵な人だなあと思う。こんな人に好きになってもらえるなんて最高の人生だろうなあって思うけれど、それが私ではないことはもう重々わかっているから置いてきた気持ちを拾うことはしない。

「あの冬季限定のメニュー! あれまだ大丈夫ですか?」
「いけるで」

 注文してしばらくすると柚子と味噌が香るおにぎりが運ばれた。いつもは味噌汁が入っているお椀には豚汁があって、だし巻きの上には大根おろしが添えられている。唐揚げはぶり大根に変更されていて、まさに冬季限定のメニューというラインナップだ。

「おお。冬って感じがします」
「せやろ? おっちゃんが考えてくれてん」
「今回の案は採用されたんですね」
「評判もええねん」

 口に運ぶそられはやっぱり美味しくて、私の最強ご飯だった。美味しくて、幸せ。それは例え失恋しても変わらない。

「ん〜、やっぱり治さんのご飯最高です。仕事頑張って良かったって心から思います」
「そんな幸せそうに食べてもらえるとこっちもほんま嬉しくなるわ」

 私にとっての暖かい場所は多分これからも変わらずにここなのだ。
 
(20.10.25)
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