「な⋯⋯なんなん、それ?」
「いや、ですから笑いすぎですって」

 私に歩調を合わせるように歩きながら「おにぎりが出てまう〜」と笑うことをやめない侑さんに先程私が思ったことを言う。

「いやあ、それはどうやろ。そんなんちゃうと思うけどな」
「だって治さんにあんな意味ありげに呼び止められたの初めてですよ」
「んーまあ、あれはなあ。なんちゅうかなあ」

 私とは反対に侑さんは楽しそうに言う。双子だから言葉にしなくてもわかるものがあるんだろうか。

「なので、私は侑さんのこと襲ったりしないので大丈夫です。安心してください」
「どっちかっちゅうと俺の台詞やん? それ」

 隣に並ぶ侑さんを見上げる。同じ顔なのに、どうして侑さんには治さんに感じるような感情を持たないんだろう。侑さんだって一緒に話してて面白い人だなと思うのに、恋にはならない。例えどれだけ侑さんがかっこよくても優しくてもあの時私が治さんに感じた、心が傾く感覚はやってこない。

「それにサムは名前ちゃんのこと気に入っとるからなあ。指1本でも触れたらむっちゃ怒ってしばらくおにぎり作ってもらえへんかもしれん⋯⋯」
「気に入ってる? ああ、そう言えば前に妹みたいって言われました」
「は? そんなこと言うたん?」
「はい」

 平然と言う私の隣で侑さんは「ほんまかー⋯⋯」と独り言のように呟いた。
 まあ別に私は恋がしたいわけではないし。たまたま治さんに恋をしてしまっただけだし。そしてそれがたまたま報われないものだったっていうだけだし。

「名前ちゃんは?」
「何がですか?」
「サムの事どう思てんの?」
「どうって⋯⋯いい人だなあ、とかですか?」
「好きやないの?」

 その一言に驚いて侑さんを見上げた。白く舞い上がる息。侑さんの耳は少しだけ赤く染まっていて寒そうだ。どんどん寒くなって、もしかしたら雪が降って、でもそれを笑いながら寄り添いあって過ごす相手は私じゃない。
 侑さんが言う言葉を噛み締める。だってそれはもう昔に置いてきたんだから。「うん」だなんて言えるわけない。

「や、て言うか治さん彼女いますよね?」
「え」
「え? だって見ましたよ、前に。駅前で」

 あの小柄で可愛らしい女性のことを思い浮かべる。寒い日に寒いと言い合うのも、イルミネーションを綺麗と言い合うのも、きっとあの人だ。あの人だけの特権。

「ほんまに?」

 驚いたのは侑さんのほうだった。男の兄弟ってそういう事話したりはしないんだろうか。

「可愛い方でしたよ。小柄で、ふわっとした雰囲気の」
「小柄でふわっと⋯⋯」

 侑さんは何かを考えているのか、途端に言葉数が少なくなった。この話題を続けるのはあまり好ましくないと思い違う話題を探す。あ、そうだ。バレーの事を教えてもらおうと侑さんの名前を呼ぶと考え事が終わったのか、侑さんは会話を続けた。

「多分なんやけど」
「え?」
「多分、その人彼女やのうて、従姉」
「⋯⋯はい?」
「肩くらいの長さの茶髪でパーマかかっとらんかった?」
「あー⋯⋯でしたでした」
「そんでそばに5歳くらいの子供おらんかった?」
「子供ですか? それはちょっと見てないですね⋯⋯あ、でも人出が多かったので気が付かなかっただけかもしれないんですけど」
「3週間前くらいに旦那さんの出張に合わせてこっち遊び行くからサムと会うんやって連絡もろてたんやけど。見たんそれやないかなあ」

 確かに私が遭遇した日も3週間近く前の事だ。
 侑さんの言うことが本当だったのなら。私が目撃したのが従姉の方ならば。
 私は治さんのことを好きでいて良いんだろうか。

「まあこの歳んなってお互いの恋愛とかわざわざ喋らんけど、俺はサムは彼女おらへんと思うわ」
「⋯⋯そうなんですかね」
「やなかったらさっき呼び止めへんて」
「どういう意味ですか?」
「嫉妬や嫉妬。俺と名前ちゃんが仲良う喋っとったから嫉妬でもしたんやろ。ほんま男の嫉妬は醜いで」

 空を仰いで侑さんは言った。嫉妬。そんなことあるのかな。彼女じゃなかったとしても、私は良いとこ「妹みたいな常連さん」だし。
 ああでも。そんな難しいこと考えられないくらい私はほっとした。治さんの優しい声に耳を傾けても良いんだ。合った視線をそらさなくても良いんだ。そして何より、好きだと思った感情に蓋をしなくても良いんだ。

「⋯⋯治さんは嫉妬とか、してないと思うんですけど、でも私⋯⋯私は」

 侑さんは私の言葉を待つ。

「治さんが優しいところとか、気にかけてくれるところとか、あと最高に美味しいおにぎりを握れるところとか、魔法みたいに思えて、なんか好きだなって思います」

 私の言葉もまた、白い吐息となって冬の夜空に消えていく。

「だから今、侑さんの話を聞いてほっとしたって言うのはここだけの話にしてくれると助かります」
 
(20.10.25)
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