年はあっという間に明けた。初売りに行く気分にもなれなくて犬と戯れるだけの帰省は文字通り寝正月となるだけだった。
翌日に仕事初めを控えて東京駅から大阪へ向かう。数えきれないお土産の種類の中、美味しそうなお菓子を選んで新幹線に乗り込めば景色は直ぐに移ろいでいく。
(治さんへのお土産は買ったけど⋯⋯)
どんな顔をして会えば良いのか私はまだわからないままだ。私は今でもあの瞬間のことを鮮明に思い出すことが出来るけれど、治さんはあの時何を思っていたのか。トンネルに入れば身体を揺さぶるような轟音が響く。窓に映る自分を見つめながら考える事に答えは出ない。
『治から連絡先聞いたで。実は今月大阪で試合あるんやけど治と一緒に観に来うへん?』
長いトンネルを抜けてスマホに表示されたメッセージは侑さんからのものだった。
『いいんですか? ぜひ行きたいです!!』
『治にチケット渡しとくで受け取ってや』
『わかりました。ありがとうございます!』
会いたいと会いたくないが混ざり合う。会えばきっと私だけがあの日のことを意識するんだろう。普通に話そうとして、それくらいのこともう大人だから出来てしまうけれど、私は絶対にあの日をなかったことにはしたくない。
新幹線は着実に目的地へ向かって進んでいく。
私と治さんの距離が縮んでいく。
△ ▲ ▼ △
わかってはいたけれど年明けの仕事しんどい。
そんな感情を繰り返しながら仕事初めを終えれば、私の足は無意識におにぎり宮に向かっていた。年末年始の休暇の間に溜まった仕事をこなし、あがれる頃には疲れで治さんへの気まずさなんてすっかり忘れてしまっていた。ドアに手をかけたところでハッとする。
(いやそうだ。そうだった。未遂事件あったんだった。次来るときはもっとこう⋯⋯気合いを入れて来るつもりだったのに⋯⋯)
そうは思っても今さら引けないわけで。化粧が崩れているのが気になったけれど私はかけた手をそのままに、ドアを横にスライドした。
「こ、こんばんは」
すぐにカウンターの中にいる治さんと目が合う。1週間ぶりだった。1週間なんて特別長いわけでもないし、それこそ1ヶ月近く来られなかった日だってあるのに会えなかったこの1週間は異様に長く感じてしまう。
「えっと、明けましておめでとうございます」
「おめでとうございます⋯⋯なんや久しぶりな感じやな」
「ですね」
不必要な感情を振り切っていつもの定位置に座った。注文をせずとも治さんは私がいつも頼むおにぎり定食を作り始めてくれる。浮き足立つ感覚。多分、私は治さんに期待しているのだ。
「帰省どうやった?」
「犬とずっと遊んでました」
「モフモフ?」
「モフモフです」
「ええなあ」
治さんが笑う。あ、うん。それだ。その笑顔。私の好きな笑顔。今まで通りに話せることが嬉しいのか、物足りないのか分からなくなる。ほらやっぱり治さんと話すと「なんかもうそれもそれでいいかな」って気分になってしまう。
「侑から連絡あった?」
「ありました! バレーの試合の」
「予定空いとる?」
「空けます! めちゃくちゃ行きたいので。治さんはどうですか?」
「名前ちゃん行くのに俺が行かないわけないやん。もちろん行くで」
「それは物凄く心強いです」
力強く言えば治さんは声を出して笑った。大晦日にあったことが嘘のようにも思えてしまう。
目の前にお盆が置かれて、久しぶりに治さんの作った料理の香りを嗅ぐ。疲れた身体に染み渡るような香り。実家のご飯も美味しかったけれど、私は治さんのご飯もたまらなく好き。
いただきますと手を合わせて言えば、治さんは慈しむような顔付きで私を見つめていた。
「あの?」
「ああ、すまん。ほんまに名前ちゃんはご飯目の前にしたら幸せそうな顔する思てな」
「⋯⋯なんかそれ私が食いしん坊みたいじゃないですか? 食べる量は普通ですからね。て言うか治さんのご飯だから幸せになるのであって食べ物なら何でも良いってわけじゃないですよ」
少し噛み付くように言えば治さんはまた笑顔を見せた。
「最強の誉め言葉やな」
「だって治さんのご飯は最強ですから」
私と治さんを結ぶものは多分、この味だ。この場所の光と、外にも香るあの匂い。
どうしたって私は治さんのことが好きなわけで、ほんの少しの事でも期待してしまうわけで。もう泣いたりなんてしないけれど、それでも治さんが与えてくれる幸福感は私の心臓をどうしようもないくらいに優しく締め付けるのだ。
(20.10.27)