私は別にまだ閉店時間じゃないし居ても大丈夫だよね、と時間を確認しながらおにぎりを食べ続けていた。咀嚼を繰り返して、長く味わいたいからとゆっくりと食べ進める。

「治ちゃん、俺も帰るわ! 持ち帰りにおにぎり何でもええから4つ作ってや。明日の朝おかんと食べんねん」
「ほなら冷めても美味しいやつ作るわ」

 治さんとおじさんの会話。私がおにぎりを食べる音と調理器具のぶつかる音。しっとりとした空気が流れて、夜はどこまでも続いていきそうな気がした。

「おっちゃんラッキーやな。それで今日の白米最後や」
「ほんまか! 明日もええ日やな」

 その会話は星空みたいに光っていて、穏やかな心地が身体中を巡る。
 私が食べている間にお持ち帰り用のおにぎりを受け取ったおじさんは治さんに見送られてお店を後にした。おじさんを見送った後に入口の暖簾を持って戻ってきた治さんを見て慌ててからあげを口に運ぶ。

(もしや⋯⋯今日はもう閉店?)

 そうだ。最後の白米って言っていたし私が最後のお客さんだ。私が食べ終わればお店は終わる。つまり、私が食べ終わらないとお店が閉めれない。

「あ、ゆっくりでええですからね」
「え」
「新しくお客さん入らんように暖簾入れただけで、はよ帰ってください言うてるわけやないんで」

 やばいという思いが顔に出ていたのだろうか、私と目があった治さんはすぐにそういって笑いかける。その笑顔がまた疲れた心に染みると思いながら私はからあげを口に含んだまま頭を上下に動かした。

「⋯⋯いつもこれくらいには終わるんですか?」
「んー、今日は早いほうやで。金曜日は持ち帰り多いねん」

 食器類を片付けながら治さんは言う。
 ゆっくりと食べ進めていたおにぎり定食も玉子焼きを残すところだし、この前の件について話を出すなら今しかないと私は最後の玉子焼きを口に入れた。少し甘くてダシの効いたその味を堪能して、温くなったほうじ茶を飲むと私はその背中に話しかける。

「あ、あの」
「うん?」
「この間はありがとうございました」

 振り向いた治さんに、座りながら軽く頭を下げる。間を置いてから頭を上げれば食器を片付けていた手を止めてこちらを見る治さんと目が合う。

「お礼なんか言われるようなことやないですよ」

 うっすらと思っていたけれど、この人は人と会話をする時ちゃんと目を見て話してくれる人だ。今はそれが少し、恥ずかしくもあるのだけど私も同じように治さんの顔を見て言葉を紡ぐ。

「私にとってはお礼を言いたいくらい、何て言うのかその⋯⋯幸せな出来事だったなって」
「幸せ⋯⋯」
「ご飯が美味しかったこととか、話を聞いてもらえたこととか、メニューにないものを出してくれたこととかありがとうの言葉じゃ足りないって言うか、その、本当に私にとってあの日は素敵な日だったんです」
「なんや⋯⋯そこまで言ってもらえると照れるなあ」
「だって、美味しいご飯食べて幸せになれるって最強じゃないですか?」

 そう言えば治さんは少しだけ目を見開いて、驚いたような顔をした。その顔を見て、自分の言ったことが大袈裟すぎて引かれたのではないかと慌てた。

「あっ、いや、なんか私今ちょっと気持ち悪かったですよね! ごめんなさい、2回しかご飯食べてないのに図々しいって言うか⋯⋯で、でも美味しくて幸せって言うのは本当で、また仕事頑張れるなって思うのも本当で、だからええっと、前回も今回もありがとうございます」

 お礼を言いたかっただけなのに逆に墓穴を掘っている気がすると自己嫌悪に陥りそうになる。

「あー⋯⋯なんちゅうか、気持ち悪いとか2回目とかそんなん関係なくて、ドストレートに感想聞かしてもろて普通に嬉しいです」
「そう、ですか」
「けど、まあ、照れますね」
「す、すみません⋯⋯」
「や、嬉しいんで。謝らんでください」

 お互いが羞恥心を感じるというちょっと気まずい雰囲気。けれどそれを嫌だと感じないのは多分、治さんもつ優しい印象のおかげなのかもしれない。
 おにぎりも食べ終わってお礼も言えて長居するわけにもいかないしとお会計をお願いする。今日はちゃんとお支払をして、治さんに見送られて外に出るとあの時と同じように目映く光る星空が目に入った。

「⋯⋯実はここ数日お店の前で入る機会をうかがっていて」
「え?」
「情けない話なんですけど泣いたの恥ずかしかったし、忘れられてたらとかそういうの色々考えてしまって」
「いや、忘れへんですよ」
「泣いたのは忘れてくれるとありがたいんですけど⋯⋯でも今日ちゃんとお話し出来てもっと早く来ていれば良かったなって思いました」

 見上げると治さんと目が合う。
 夜に溶かしたい感情を抱いて私は頭を下げた。

「また来ます」
「お待ちしてます」
 
 きらきら光る幸せは私を明日へと導く。

(20.10.21)
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