あれは平行世界
監視官の槙島聖護と過ごしたのはそんなに長い期間ではなかったが、それでも彼自身について知ることはできた。会話によって得た情報、一緒に捜査をすることで気付いたこと、同僚たちからの評価、様々だった。槙島は常に冷静でどんな事件だろうと動じることは無かった。誰よりも早く執行対象を見つけ、誰にどの役割を宛がえばいいかを的確に裁量する能力を持っているのに、出世には興味が無い。いつだか佐々山から聞いた槙島の「僕はプレイヤーでありつづけたい」という言葉はまさしく彼の監視官としての姿勢を表しているのだろう。
「はぁ、はぁ…」
地下通路を抜けて外に出ると冷たい空気が一気に鼻腔から肺へと流れ込んでくる。常守から連絡を受けたときはまだ空は明るかったのに、今はすっかり夜の帳が降りていた。辺りを見回すと当初ららが入ってきた出入り口とはかなり離れた別の場所から出てきたらしく、少し先には繁華街が見える。ららはそちらに向かって息を整えながら歩く。ふと、頬に冷たい感触が舞い降りてきた。
「雪…」
空を見上げれば粉雪を降り始めていた。まだ傘をさす人は少ないが、みんなが傘をさしてしまったら見通しが悪くなってしまう。ららはホロ投影がない無個性なビルが建ち並んでいる路地を見回す。まだホロがなかった時代の建物は建築家の個性が現れていたというが、今となってはデータでどんな姿にも変えられてしまう。個性のない建物、データの言うとおりの姿に変えられてしまう建物たち。メンテナンスや維持費用という面では良いのだろうが、それは同時に一つの価値を失くしてしまったようにも思えた。そのとき、雪の白さに混じって白い人影が見えた。
「…!」
前方からこちらに向かって歩いてくる男。段々その姿がはっきり見えてくるにつれてららの表情は引きつった。間違いない、間違えるはずがない。あれほどまでに整った顔などららはこの世に一人しか知らない。大通りから一本入った路地で遠くで人々が奏でる雑音を聞きながらドミネーターをぎゅっと握りしめる。
「ん?」
男も自分をじっと見つめるららに気付く。そしてその手にドミネーターが握られているのに気付くとフッと笑った。
「ご苦労なことだ。ここまで追いかけてきたのか?たった一人で」
ららは汗ばむ手で握ったドミネーターを彼に向ける。
《犯罪係数・0 ・執行対象ではありません》
執行官をやっていてはじめて見る0という数字に目を瞠った。一瞬故障を疑ったが相手はその結果が分かりきっていたかのように何の抵抗もせず、ただららに視線を送っている。
「…そういうことだったんですね」
ららは納得した。この男は自分の犯罪係数が規定値未満であると知っている。どういうわけか知らないが槙島聖護という人間は犯罪係数が上がらない体質なのだろう。潜在犯の心理をいくら理解してもサイコ=パスに反映されないのなら、監視官の槙島がなぜセラピーも受けずに常にクリアカラーの色相を保てたのか説明がつく。ららはドミネーターを持つ手を降ろした。二人の距離は10メートル弱。あちらが銃でも持っていない限り、攻撃されることはない。それに彼がこの状況で攻撃をしてこないことは何となくわかっていた。
「私、槙島さんのことは他の一係のメンバーより知ってます。紙の本が好きなこととか、哲学者の言葉をよく引用することとか、本は初版のものを集めていることとか」
「…驚いたな。そんなことまでよく調べたものだ」
どこか探るような目で見られて、ああ、こんな目で槙島さんに見つめられるのははじめてだな、と心の中で苦笑する。その目は彼女の知るものよりずいぶんと冷たく感じられるものだった。
「調べたわけじゃありません。でも、だから不思議なんです。槙島さんはなんで罪を犯すんですか」
「魂の輝きを見るためさ」
「魂の、輝き…」
そう口にしてみて、そういえば以前もこんなことを呟いたな、とハッとした。前にも同じことを言われたじゃないか。あの時は魂の輝きが何なのか、どんなものなのか彼は教えてくれなかったが今日は違うらしい。ららは汗ばむ手のひらを握りしめてその答えを待った。
「人は自らの意思で行動してこそ価値がある。シビュラの神託のままに生きるのではなく、ね」
それを聞いてようやく合点がいった。やはり槙島はマキシマだったのだ。監視官の彼は公安局の職務をこなしつつ、シビュラの神託に背いた――魂に輝きがある――人々を見ていたのだ。だから捜査にも積極的だったし、執行官と話すのを好んだ。一方、目の前の彼はその輝きを見るためにシビュラそのものを壊そうとしている。そうすれば人は嫌でも自らの意思で行動しなければならなくなる…
「シビュラ社会を壊すために…」
「あんなシステム、無い方がいいだろう?君だって、シビュラが無ければ執行官などではなく、もっと自由に暮らせたはずだ」
「…でも、もしそうなってたら狡噛さんたちとは出会えなかった」
彼の言うとおり、こんなシステムが無ければららはもっと自由で暮らせただろう。手首の端末で24時間365日監視されることもなく、好きなことをしていたはずだ。しかし、もしそうなっていたら年齢も趣味も性格もバラバラの一係のメンバーとは出会えていなかった。そう思えばシビュラも少しは有用性があったと思えてしまう。同時に出会うはずだった人と出会えなくなってしまったのかもしれないし、もしくは本来の出会い方ではないものになることだってあったかもしれない。ららは笑みを浮かべ、目の前のマキシマのその向こうに槙島聖護という監視官を思い浮かべた。
「槙島さん。あなたと狡噛さんて、少し似たところがあったんです。狡噛さんも本をたくさん読みますし、哲学にも詳しいです。きっと本の趣味なんかも合うんじゃないかな」
例えば、狡噛が絶版で手に入らないが読みたいのだと言っていた本。結局、狡噛より先にららのほうがその本の内容を知ることとなった。他にも槙島が勧めてくる本は狡噛の部屋の本棚で見かけたものばかりで、つくづく二人の思考はきっと似通っているのだろうと思った。
「二人が違う出会いかたをしてたら…槙島さんは孤独じゃなかったのかな…」
「まるで僕を孤独だと決めつけるような言い方だな」
マキシマの目が鋭く細められ、ららは一瞬怯んだがそれでもすぐに持ち直し、続けた。これを逃したらもう彼とは話せないような、そんな気がしたのだ。
「寂しさは紛らせても、孤独を埋めることはできない。でも、孤独によって人格は磨かれるんですよね」
「ニーチェか。それがどうしたって?」
「槙島さんも狡噛さんも…自分に厳しく、他人に優しいなって…そう思ったんです」
以前、槙島に言われた言葉の意味を理解したららはあえてそう言った。案の定、彼の眉間にシワが寄る。
「…君が僕の何を知ってるというんだ?」
「知らないことばかりです。でも何にも知らないわけじゃない。だから私は槙島さんと話したかった」
本当にららの知る槙島聖護と目の前のマキシマに共通点があるのか、知りたかった。結果はもうわかった。どちらも同じだった。ただ、小さな分岐点があっただけで。ららは槙島の目を真っ直ぐ見つめた。
「それで、君は僕と話してみてどうだったんだ?何か得られたのか?」
「はい。話せてよかったです。確かめたいことも確かめられました。…逮捕するつもりもありません。というか、できませんから。私には」
「ふうん」
ドミネーターが使えないのでは打つ手は何もない。きっと狡噛なら蹴るなり殴るなり、下手したら殺すのかもしれないがららにそんな力はない。だが不思議とドミネーターが使えないことに安堵していた。
「でも、死なないでください。何となくあなたが死ぬのは…見たくないから」
このまま公安局から逃げてほしいとは思わない。彼は人を殺している。けれど、ららは少しでも知ってしまった。槙島聖護という人間を。ららにとって彼は赤の他人でも亡霊でもなくなり、記憶の片隅で思い出の一つとして存在してしまった。
「ああ、そうだな。善処しようじゃないか。……お互いにね」
冷たい笑みを一つ浮かべるとマキシマはららの横を通り過ぎ、雑踏の中へと消えて行った。雪の降り始めた空の下を歩くマキシマはやはりどこか浮世離れしている。次に会うときはもうこんな風に会話なんてできないだろう。ららはその姿が見えなくなってもしばらく雑踏を見つめていた。
端末へ着信が入ってきたことでららはようやく視線を路地へと戻す。いつの間にか空が暗くなり、手もかなり冷えてしまっていた。
「はい」
『無事か?!紅月』
電話越しの必死な声にららは口元だけで笑う。何だかんだで彼女の飼い主は心配性なのだ。執行官のことを散々人格破綻者だの人間じゃないだのと言っておきながら危険な目に遭っていないか心配で、だから目の届く範囲に置きたがる。
「無事ですよ、宜野座さん」
『そうか…ドローンを向かわせる。すぐ着くはずだ。ドローンの先導に従って戻ってこい』
「はい」
『戻ったら、今回の行動について聞かせてもらうからな』
「はい。ご心配おかけしました」
珍しく怒鳴り散らさず、部下の安否を心配してきた宜野座に今回の事件がどういうものだったか察しがつく。ららは建物の壁に寄りかかって仲間の顔を思い浮かべた。狡噛はあれからちゃんと安静にしていただろうか。常守は大丈夫だったのだろうか。宜野座には心配を掛けてしまった。それでも自分の行動に後悔はしていない。確かめたいことを確かめられた。ここできっちりと区切りを付けられた。もう槙島という監視官はいない。彼とマキシマは似て非なる存在で、これからららが追うのは犯罪者マキシマだ。彼女に優しい笑みをくれた槙島はもういない。
路地の奥から音もなく滑るように赤い光がこちらへ向かってくる。ららは寄りかかっていた壁から背を離した。ドローンのアーム部分を見るとそこに何か布のようなものを持っていて、近づいてくるとそれが毛布なのだと分かった。ららはそれをありがたく頂戴するとジャケットに付いた雪を軽く払って肩にかける。
「さようなら。槙島さん」
二度と会うことは無いであろう飼い主へ呟いた言葉は冬の夜空へと溶けていった。
End.
ありがとうございました!完!
後書きと解説
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