部屋に通された人間は自分で最後らしく、他に待機していたのは三人の職員のみ。襲撃の処理で忙しいにしても、思ったより少ない。
「あ、あの……」
波由流の背後をしきりに気にしていた一人の職員が、たまらずと言った風に声を上げた。それに応えるように、波由流はすっと身をずらす。背丈がとんでもなく大きいので然程意味は無いかもしれないが、それが波由流の中のさりげない礼儀のひとつだった。
「焔さんは神様代表で今回の傍聴人になってくれるそうです」
「異存はあるまいな」
鋭い眼光でじろりと睨まれた職員は、たまらず震え上がってかくかくと必死に頷いた。実際のところ、焔自身はあくまで普通に見下ろしただけで、睨んだつもりは一切無いことを波由流は知っている。この神様、ちょっと其処に居るだけでダントツに圧が強いのだ。
それに、本当に
「焔さんが居ないと、おれも落ち着いて話せないんだよね。網代さんには色々酷いことされちゃったから」
飄々と被害者ぶってみせれば、一乃紀はぴくりと片眉を吊り上げた。なにも相手を煽るのに彼女のような直接的な力は必要無い。波由流は内心で舌を出した。
一度目の前で取り逃がしているからか、少々気が逸っていたのかもしれない。一乃紀が早速何か仕掛けようとして――――失敗した。波由流の後ろで焔が睨みを効かせているからだ。
波由流に掛けられた術は一乃紀自身のものではなく、彼女と縁結びしている八十神の力だと聞いている。一乃紀が何らかの方法で指示しているにしても、術を掛けるのはあくまで八十神による意志なのだ。神格の高い焔ならば容易に牽制出来るし、それを振り切るには大っぴらに動く必要がある。いくら彼女でも、この場でそんな暴挙には出ない筈だ。
そう。出ない、筈だ。
確証は無い。
一乃紀が小さく舌打ちした。
それ以上何かしてくる様子は無いのを見て、波由流はこっそりと安堵の息を吐いた。
震える指先は机の下に隠している。強気な姿勢を装っているものの、つい先日まで彼女の術に苛まれていたのだ。何ともないと言い切るには、少し傷が真新しすぎた。
「あー、えーっとですねえ……」
気の抜けるような間延びした声。先程の気弱そうな職員が、そろりと手を挙げた。
「千鳥さんが緊張するお気持ちも解りますが、どうかご安心下さいね?貴方がカンナガラを裏切っていないことは解っていますので……」
「は?どういう事ですか?彼の不審な点は何度も提示した筈ですが」
「あわわっ……そう睨まないでください、網代さん!根拠はちゃんとありますよ!」
「根拠?……焔様が共に居るからですか」
「いいえ。確かに一要素ではありますが、それだけでは足りないのです。アッ焔様を軽んじているとかそういう訳ではなくてですね!!」
あちらこちらから睨まれて悲鳴を上げる職員はしかし、切り替えるように穏やかに微笑んでみせると、まあまあひとまず掛けましょう、と椅子を指し示した。弱腰な姿勢に反し、なかなかどうして豪胆である。
「千鳥さん。貴方が身に付けているその翡翠の小刀は、龍の角ですね。藤様から下賜されたものでしょう。彼と同じ毛色の神気を感じます」
「うん、正確には預かってるだけだけど」
「充分です。少なくとも、三柱もの神が千鳥さんの味方に付いていることは解りますので」
職員は満足そうに頷いた。一人の人間を騙すのは簡単だが、三柱もの神から信頼を得るのはそれと比べ物にならないほど困難なのだ。とはいえ波由流の場合、翡翠の小刀は本人に無許可で晒しているし、青藍に至っては別に信頼されている訳でもないのだが。沈黙は金である。
「そうでなくても、此処は神々の集まる霊峰です。千鳥さんが反乱を企てていたとして、それに全く気付けないことなど有り得ませんよ。天網恢恢、疎にして漏らさず――――ことこの地においては、神の目から逃れようなど無謀に等しいですからね」
波由流の交友関係がいくら広かろうと、全ての神と仲が良い訳では無いし、波汲のように神としての在り方に限りなく忠実な神も居る。波由流が何事も無くカンナガラの門を潜れた時点で、最低限の身の潔白は証明されているようなものだった。
「ええと、その。そんな訳で現状、千鳥さんが思っているほど、千鳥さんは疑われていないんですよ」
つまり、この室内のすっからかんな人口密度も、そういうことらしかった。
「特に我が家の教えなどでも、随神――――神の御心のままに、という意識が根強いので、理屈以上に神の言動を重要視したくなると言いますか……それにしても、改めて見ると本当とんでもないですねえ。天の龍鳳を揃えた上に業火の神って。時代が時代なら地面に額擦り付けて気絶してますよ……」
「神格の高い神だからこそ、千鳥波由流が咬術の対象として目を付けていた可能性もあります。何よりそういった神々から一柱だけでも信頼を得られれば、今の貴方のように他の神や人からの心象も良くなるでしょう。そうして天の網目をひとつでも緩めるのが彼の狙いなんです」
「勿論、網代さんの意見も理解出来ますよ。信仰に目が眩んで思考を疎かにしては……ええ、足元を掬われますからね」
憂いを象るのは一瞬。職員はすぐに温和な笑みを浮かべて、しかし少しだけ真剣な光を帯びた眼差しを向ける。
「ですから、千鳥さん。改めて貴方のお話をお聞かせ下さい。神が情を、人が理を判断します。この話し合いの結末次第で、私は千鳥さんの処遇をどうすべきか判断しましょう」
職員に促されて、背中にひっついていた少女がそっと顔を覗かせた。長い前髪の隙間から、大きな瞳が此方をじっと見つめている。瞳の中で、宇宙が渦巻くかのような光が、ちらちらと浮かんでは消えていく。
「申し遅れました。私、
気弱な素振りなどすっかり消し去って、斎竹はにこりと微笑んだ。