これの続き。4章配信前にすべりこみ供養






 きょうだい招いての宴の直前、ジャミルから言われた言葉で、ようやく目が覚めた気がした。


 そうだと分かれば、やっぱりななしと話がしたい。今すぐにだって話しかけに行きたかったが、宴の最中はダメだ。歌え踊れで、ゆっくり話をするには到底向かない。だから、そうだな……今晩、会いに行こう。ジャミルに代わってもらった電話越しじゃなくて、昔みたいに隣に並んで話がしたい。


 いつものように妹に手を引かれながら、楽団の方へと向かっているななしが目に留まる。どうやらまた、歌をねだられているらしい。楽団の人間と何やら話している最中にも、彼女の歌を知る客たちが、歌え歌えと囃したてる。
 彼女が一礼すると、周囲の音が消えてなくなった。でもそれもつかの間のこと。演奏が始まれば、再び歓声が湧き上がる。
 いつもより少し着飾った、華やかな姿が美しかった。羽の髪飾りも、鮮やかに彩られた瞳も、布の合間から時おり覗く、あのとき贈った腕飾りも。オレンジの灯りに照らされた空間で、すべてが彼女の魅力を引き立てていた。



「やっぱりななしの歌は最高だな!」
「ありがとうございます」
「何、お前が頼んだから聞けたってことも知ってるぜ」

 ななしに言葉を送ったあと、妹に向かって片目をつぶってそういえば、どこか誇らしげな顔をされた。特段頼んだ訳ではなかったが、オレにとっては二重の意味でよくやったんだ、褒めてやらないとな。わしゃわしゃと頭を撫でて、すれ違いざまにななしに小声で告げる。

「今晩、お前んとこのバルコニーで待っててくれ」

 不思議そうな顔をされたのには、何も言わずに笑顔を返して、その場は立ち去る。弟たちがあくびをし始めたから、今日はそろそろお開きだ。






 あたりがひっそりと寝静まった頃、宴の余韻を残してか、どうにも落ち着かないままに、ななしのもとへ。寝る前だからだろう。宴の時とは打って変わったシンプルな装いで、手元の灯りで本を読んでいるようだった。

「ななし」

 声をかければ、迷わずこちらに視線を向けられる。絨毯で来ることはある程度予想していたようだ。しかし、いくらか視線をさ迷わせると、驚いたように目を丸くして口を開いた。

「ジャミルは一緒では…?」
「ジャミルはいないぞ!」
「ここにいらしたことは、ジャミルは知って…?」
「いや、知らない。だって、言ってないからな!」

 なるほど。待っててくれ、としか言わなかったからそうなるのか。ななし自身が、妹によく言って聞かせている言葉が思い返された。

「明日、ジャミルに叱られてしまいますよ?」
「なーに、秘密にしとけば大丈夫だって!」

 確かに、ジャミルには悪いことをしたと思いながらも、ニヤッと笑ってみせる。隠し事をしたい訳ではなかったが、なんとなく、後から言おうと思って、結局何も言わずに来てしまった。

「たまにはジャミル以外のやつとも、ゆっくり喋りたいと思ってさ」

 ななしは意外そうに、僅かばかり目を見開いたが、すぐに優しく表情を崩す。それから、まるで幼い子供にそうするように、軽くため息をついてから笑った。

「わかりました。それで、いつまで絨毯に乗っていらっしゃるのですか?」
「ん、何言ってんだ?」
「ここで夜風に当たりながらお話されるのでは?」

 今度はきょとんとした表情でそう問われる。それもそれで悪くはないが、もっと、とびきりいい場所があるじゃないか。

「夜風に当たりながらってのは合ってるけど、ここじゃない。絨毯の上でな!」

 満面の笑みでそういえば、ひどく驚いたように、目をまん丸にされた。それからすぐに、妹にして見せるように表情を引き締めて、少しばかり厳しい口調になる。

「夜に絨毯で空を……?そんな、危険です!そもそも、ここへいらしたことだって……」
「なーに、心配すんな!絨毯なら慣れてるし。それにお前、夜の景色は見たことないだろ?」
「それは……。確かに、おっしゃる通りですけど」

 こちらの問いかけには即答できないようで、少し考え込むようにしてから、ぽつりと肯定の言葉が返ってきた。もしかしたら、昔のことはあまり覚えてないのかもしれない。

「ほら、早く行こうぜ」

 沈みかけた気分を振り払うように、手を差し出す。ななしは、オレの手と顔を困ったように何度か見てから、仕方ありませんね、と笑ってくれた。だが、少し待つように言うと小走りで部屋へ引き返して、しばらくしてから、大きな布を腕に抱えて再び姿を見せた。

「お待たせいたしました」
「そうか、悪い。夜は寒いもんな。冷えないように気をつけろよ!」
「いえ、カリム様の分です。そんなに薄手のお召し物では、お風邪を召してしまわれますよ」

 戻ってきた彼女に再び手を差し出せば、今度は迷うことなく手が添えられて、慣れたように宙に浮かんだままの絨毯へと乗り込んでくる。それから、腰を落ち着かせる前に、膝の上に置いた布を手に取ると、オレの方に身を乗り出しふわりと腕を回して、包み込むようにして肩へとかけた。

「サンキュー、ななし」

 やわらかな香りにつつまれる。安心できるのに、そわそわと落ち着かない心地になった。……何はともあれ、今日はゆっくり、安全運転で行かなくちゃな。






「夜の街並みも、美しいですね」
「だろ?特に今日は月が明るいからな」

 ゆったりと浮かぶ絨毯の上で、ななしは片手をつき、身を乗り出すようにして街並みを見下ろしていた。子供の頃の光景が思い出される。

「しっかし、お前と一緒に絨毯に乗るのも、随分久しぶりだなぁ」
「えぇ、昔はよく3人で乗りましたね」
「……なんだかんだ、二人で乗るのは初めてだな」
「そうですね」

 たぶん覚えていないだろう、と思いながらの言葉に、存外早く返事をされて、外していた視線を思わず戻した。ななしは、なんてことないような顔をしていて、なんとなく、再び視線をそらす。

「なんだ、それは覚えてたのか。さっきは考え込んでたから、あんまり覚えてないのかと思ったぜ」
「カリム様とお会いするときには、いつもジャミルが一緒でしたからね」
「なるほどな」

 彼女の言うとおり、ジャミルに連れられて遊びに来る子、それがななしだった。それでも、ジャミルほどではないにせよ、子供の頃の多くの時間を共に過ごしたことには変わりない。
 少しの間、互いに何も言わず、月明かりに照らされた街を眺めていた。満足したのか、身を乗り出すのをやめて、すっと姿勢を正した様子を見て、声をかける。

「なぁななし」
「はい、なんでしょう」
「今だけ、絨毯の上だけでいいからさ。昔みたいに話そう」

 彼女はしばし逡巡するように視線を伏せたあと、ふんわりと優しく笑って答えた。

「うん、そうだね」



 それから、とりとめのない話をした。電話越しに話したときとは違って、昔のように近い距離で。昔と違って二人きりで。

 楽しかった。話して、笑って。踊りはさすがに危ないと止められたけど、妹にせがまれて今日の宴で披露していた歌を、今はオレが独り占めにして。

 ななしの歌声が途切れる。間奏を口ずさむと、満月を反射する瞳がオレを捉えて、楽しげに優しげに細められた。曲に合わせて軽く手を揺らす、彼女も同じように、指先でリズムを感じている。

 すうっと大きく息を吸ったあと、再びその唇から美しい音が紡ぎ出されていった。




 ななしの歌声を聞きながら、宴の直前に、ジャミルに言われた言葉が頭の中で蘇る。

 ――いいか、カリム。確かにななしはお前との距離の置き方を変えたし、昔から望まれた通りに立ち回れる。でも、嘘つきじゃない。そうだろう?あいつを信じるなら、思うがままに動けばいい。

 ななしのことについて、ジャミルにもはっきりと言っていなかったこともあり、ここまで直接的に背中を押されたのは初めてだった。

 ――望まれた通りに立ち回るけど、嘘つきじゃない。

 ジャミルにそう言われて、ようやくストンと腹落ちした心地がした。思い返すまでもなく、昔からそうだった。おそらく、ななしとの距離が開いて、分からなくなっていただけだ。それならまた、もとの距離に戻ればいい。




 なのに。そう思った矢先だというのに、美しい歌が終わって、急に不安に襲われた。今、彼女がこうして楽しそうにしているのは、昔の距離に戻ったからではなくて、オレがそんな“場”を作ったからじゃないか。
 絨毯に背中をつけて横になる。彼女の顔を見ていられなくなって、月の明るさに隠れて星の少ない空を見上げた。彼女を信じきれていない自分が、ほとほと嫌になる。
 ななしは嘘つきじゃない。そんなの分かってる。あぁ、だめだ。何か言わないと。宴の時みたいに、歌を褒めればいい。今はオレのために歌ってくれたのに、まだお礼の一つも言えてない。言わなきゃ。言わないと。

「大丈夫だよ、カリム」

 オレは何も言わなかったのに、何を察してくれたんだろうか。もしかしたら、何も分かってはいないのかもしれない。
 それでも、投げ出したままの右手にそっと手を添えられて、泣きたくなるほどに優しい声でそう言われると、まるで砂嵐が去ったかのように、一気に落ち着きを取り戻した。
 視線をずらしてななしを見やる。ここからだと、月を背にしていて表情はあまり分からなかったが、視線が交わっていることは分かった。そうして、そのまま呼吸を3回。その間に、そっと添えられていた手は、彼女の元に戻ってしまった。
 ガバリと勢いよく起き上がって、いつものように笑えば、横顔を月に照らされたななしが、どこかほっとしたように微笑むのが見えた。

「やっぱりお前の歌は最高だな!ありがとう」

 あれほど喉につかえて出てこなかった言葉も、いつも通りすらすらと出てくる。宴のときとは変わって、どこか照れたようにも見えるその笑顔も、聞き惚れるような歌声も、さらりと揺れる艶やかな髪も、華奢な腕も、指先も、何もかも全部。余すことなく、ほしいと思った。


 





「ななし」

 彼女が絨毯を降りようとする直前、向き直って両手を取る。その拍子に、肩にかけられた厚意が腰元に落ちたが、気にせず、まっすぐに視線を絡めた。彼女の右目は月明かりに照らされていて、もう半分はオレの影に覆われていた。昔は同じくらいの大きさだったのに、今はオレより随分と小さい手は、夜の空気に晒されて、ひんやりと冷たい。

 大丈夫だ。言おう。


 抑えきれなくなった想いが、ようやく言葉となって溢れ落ちた。