友人と誘い合ったり、断り切れずに行った習い事やサロンがいくつかあった。
忙しくなって、面倒になって、興味がなくなってフェイドアウトしていったものが多いのは、その辺の社会人と何ら変わらない。
でも今になって行っておいて良かったと思えるものがふたつあった。
ひとつは料理教室。
家庭の味系のいわゆる料理の基礎コースで、それが終わると勧められるまま初歩的なお菓子やパンのコースにも行った。
元々料理は苦手じゃなかったから必要ないよと気が進まなかったけど、どうしてもと友人に頼み込まれてのお付き合いだった。でも行けば行ったで楽しくて、また知らない事もたくさん教えてもらえた。
合わせ調味料やタレ、ドレッシングの類、ジャムや果実酒や果実酢など、買うのが当然だったそれらは簡単に作れるものが思いの他多くて、それが明治時代で暮らすようになってからかなり役に立ってる。
台所で隣に立つ志麻には不思議な味付けですねなんて手元を覗き込まれる事が多かったのだけど、その時着物を捲り上げた腕を見て、
「さつきさん、腕触ってもいいですか?」
「ん?」
「前から思ってたんですけど……きれいですよね。すべすべ……手も指も……どうやったらこうなるんですか?」
「…………お金で科学の力を買ったのよ……」
「毛がない!」
身も蓋もない!
やって良かったと思ったもうひとつは、圧倒的な時間とお金を費やした全身脱毛だった。
(いやだってタイムスリップ?神隠し?そんなの起こると思わないし!プロポーズ?嘘でしょ!?)
三年付き合った元彼とだってそこまで行かなかったのに、明治に来て半年程度でまさかそんな事になるなんて思ってなかった。
桐野が好きだし桐野もそれを知っているし、櫛をもらう前から際どい接触はあったから、寝る場所を移した時点でもう桐野とセッ……そういう事になるだろうと思っていた。
の、だけど。
同じ布団で寝ても、抱きしめられてキスまで。
我慢の鬼なんて言ったけど、そこで止められる事には素直に感心してしまう。
元彼の浮気が原因で、男なんてどーせ下半身は別物でしょって頭のどこかで思っていたから余計にびっくりしたし、大事にされてると思えて嬉しかった。
それでも思う。
同じ部屋で寝ると決めた時点で覚悟は決めていた。それに現代には帰れないのだ。
だから、もういいのに、と。
以前桐野は我慢してると言っていたけど、我慢してるのは桐野だけじゃない。
こっちだって好きな人を目の前にしている……どころか抱きしめられて寝ている心身ともに健全な大人の女なのだ。
盛っている訳ではないけれど、女だってムラムラくらいするって分かってほしい。
ぶっちゃけるともういい加減抱かれたい。
ただこういう熟年夫婦みたいな状態が暫く続くと少し冷静になって、ふと思った。
桐野はもてる、らしい。
分かる。地位も名誉もあって高収入、そしてこの男振り。そりゃもてるだろ。
桐野が出るお座敷には芸者が挙って押しかけてくるという話は、お屋敷に来た誰かから聞いた。
なんであいつばっかりもてるって、同僚の人からやっかまれてるのも聞いた。
このお屋敷にも女の人が度々出入りしていた話だって聞いてたし、さつきがここに来た当初、桐野が結構夜遊びしていた事だって覚えている。
(……こ、これはどー考えても……)
お盛んというか。
でも桐野は雪緒が来る少し前くらいから一緒に夕食をとる事が多くなっていたし、その後出掛けている形跡もなかったから……
多分、その頃から誰とも寝てない、ハズ。
(……え、きぃさん、もしかしてそんな前から?)
こっちが桐野の事なんて全く気にしていなかった頃から気にされてた?
(う、嘘でしょ……というか気になる女がいるから遊ばないとか、この時代でそういうのありなの?そういう貞操観念なさそうなんだけど)
嬉しい。
やばい、めちゃくちゃ嬉しい。
……と、そこまで思った所ではっとしたのだ。
そういう男を待たせているという事実に。
(いやいやいやいや、待たせている訳じゃないよ)
大人の事情でお互いに自制しているだけで、誰が悪いとかそういう事じゃない。
というか寧ろ桐野が勝手に、桐野が勝手に、我慢してるだけだ。
こちらはいつ抱かれるのかと思っている位なのだ。
(……でもでもきぃさんはっきり我慢してるって言ってた)
どちらのせいでもないって分かってて、そう言ってた。
(…………)
今まで見てきた桐野は強引な所はあっても、なんと言うか、大人だったのだ。
何があってもこれまで大人として余裕を持って接してくれていた。
それが口に出して我慢してるって。
……これってよっぽどなのでは。
それにイベントって先に延びるほど期待値が高まるものだと思う。
(う、うわあああ……)
変な風にドキドキしてきた。
女を抱き慣れてるだろう遊び人の期待値って、一体どの辺りなのか。
ハードルが高すぎる。
残念ながら処女じゃない。
ただ志麻とのガールズトークで得た情報によると、ここでは処女である事にあまり価値がないらしい。
女はハジメテよりも、エロに理解ある遊び慣れた感じが喜ばれる、らしい。素人より玄人かよ。
桐野は彼氏がいたことも知っているから処女じゃないのは分かってる筈で、ということはこちらにはある程度の経験値を期待している、のでは……ないか、なんて……
経 験 値……
(……ちょっと待ってちょっと待って、最後にしたのいつ……!?)
明治に来て半年くらい、その一年程前に彼氏と別れた。その彼とも最後の一年くらいは恋人らしい営みはなかったし、彼と別れた後も誰かとどうこうなんてことはなかった。
……から、二年半は確実にしてない。
(二年半)
思わずしゃがみ込んで顔を両手で覆ってしまった。
分かっているだけで二年半だ。もしかしたら三年に近いのかもしれない。
紛う事なきセカンドバージンだ。
しかもこういう状況が久しぶり過ぎて、その上この時代のイタシ方がどんな風かなんて知らない。
(こんな事なら勢いでやっちゃった方が良かった……!きぃさんが我慢とかするから……!!)
八つ当たりだ。
この期に及んでこんな事で悩むなんて思ってなかった。
(じゃ、じゃあ経験値以外にきぃさんの期待裏切らないものって何があるの)
相手の好みや空気に合わせた化粧や髪型はここではできない。というか桐野の好みなんて知らない。
その上デートどころか既に一緒に住んでるし、外で会うという状況がないから新鮮味とか意外感はまず出せない。
それにどうにかなるとしたら確実に桐野の部屋だろう。
透け感のあるレースの勝負下着、リッチな香りのする少し甘めのボディクリームだって勿論全部現代のマンションだ。
(…………)
何もない。
考えて分かったのは気分を盛って雰囲気で誤魔化すのはまず無理。
日常の延長上でしか起こらないだろうXデー(笑)に、素材で勝負するしかないという事だった。
(素材って、期待に応えられるような素材って……うう……)
――そして志麻との会話に戻る。
「前から思ってたんですけど……きれいですよね。すべすべ……手も指も……どうやったらこうなるんですか?」
「…………お金で科学の力を買ったのよ……」
「毛がない!」
志麻の叫びに苦笑い。
意外だけど、ここでも女子のムダ毛事情は似たり寄ったりらしく腕や足に使う除毛クリームがあると教えてくれた。
その上、
「それでね、銭湯には毛切り石っていうのがあって、それをこう………」
「ま、マジか」
「マジですー」
ナチュラルボーンなアンダーヘアはアウトとかいうまさかの事実。
この時代で!というか江戸時代から!?驚いて半ば茫然としていたら、
「でも御前喜ばれそうですね〜」
「え?」
「え、だって、きれいなからd」
あー!分かった分かった!
ここでもそーゆー所にも価値があるって分かった!
(でも全身脱毛がまさかここで役に立とうとは……)
別に彼氏の為にやっていた訳じゃない。
あんなお金と時間のかけ方、完全に自己満足じゃなきゃできなかった。
でも素材で勝負するしかないという事実を突きつけられた今、行って良かったとものすごく思っている。
それに持ってるものが素材しかないのだから、これは最大限に磨いておくべき……
(で、ですよね……!)
初っ端で躓きたくない。
「……志麻ちゃん、教えて欲しいんだけど」
今更だけど、ここでのボディケアってどうしてるの?
「えっとですねえ……」
聞いてる目的が不純過ぎて、にこにこ笑いながら教えてくれる未成年に罪悪感が湧いてしまう。
志麻ちゃんごめん。ホントごめん。でも頼れるのはあなたしかいない。
抱かれたくてムラムラしてた筈なのに、そうなるのが少し怖くなってしまった。
hush-hush:まさに内緒話。舞台裏。笑
memo&re;(2019/11/12)にこの話のメモ。興味がある方はどうぞ。2019111220191101