「きーさん……あの、周りの人に何か言った……?」
さつきがそう言い出したのは、山下翁の訪問からすぐの事だった。
桐野からは特段何も言ってはいない。
ただ手を打とうとした矢先に訪ねてきた翁に「さつきに惚れている」と告げただけだ。
しかしそこは黙っておいた。
「えー、じゃあなんで……?最近親切にしてくれる人増えてちょっと怖いんだよね……あんなに塩対応だったのに。私何かしたのかな……」
塩対応とは何だろうと思いながら、本当に困惑した表情でこちらを見てくるさつきに桐野は小さく噴いてしまった。そこは怖がる所ではないだろうとは思うものの、さつきからすると掌返しのようなものだろう。分からんでもない。
それに”何か”はしているのだ、確かに。
「……なんで笑うの」
む、としたさつきの頬をなぞる。
周囲の変化については心配する必要はない。
しかし……
「悪いな」
ここまで来ても嫌な思いをさせて悪いと思う気持ちは強い。
それに桐野の現段階での立場上さつきの事がどうしても後手に回ってしまう事が多かった。
「あー、それはきぃさんが……」
「ん?」
「きぃさんが抱きしめて、声に出して好きって言ってくれたら大丈夫」
「そげんこっでよかか」
「そんな事って……大事な事ですよ……」
夜具の上ではいつもの事だろうに。
というか抱きしめて好きでは終わらず、いつもあれやこれやとなるのだが。
「だからそれが大事なんですってば」
怠らないで下さい、とくすくす笑って抱きついて来たから抱き返してやれば。
「そうだ、私明日か明後日位に体調悪くなります」
「は?」
「今日みたいにあれこれ動くのしんどいと思う。蹲ったりすると思うけど気にしないで」
理由を聞けば月のものだと。
「これからもある事だから先に言っとくね。でも病気じゃないから」
内心大袈裟なと思った事は否定しない。それに東京ではそんな様子はなかった筈だ。
「それは偶々きぃさんが見てなかったって言うか……色々あったから止まってた時もあったし。飲んでた薬ももうないから、ちょっと心配なんだけど」
そう言う割には次の日は少し顔色が悪いかと感じる程度だったのだ。
だから、大丈夫そうか、やはり大袈裟だったのだなと思っている内に動きが緩慢になり、見ている間に顔色がどんどん悪くなって宣言通りぶっ倒れた。
もう我慢できない、と一言吐いて。
「えっ、えっ、ちょっとさつきさん!?」
驚いたのは桐野だけでなく幸吉も同じで、
「あー……だいじょうぶ、しばらくねてればだいじょうぶ……」
「嘘ばっかり!どこが大丈夫なん!?」
言葉とは裏腹に指先が冷たく貧血で顔は真っ青、脂汗を流しながら、よろよろと日当たりのいい温かい軒先まで移動して膝を抱えるようにして蹲った。
「お、おい、さつき、大丈夫か」
声には少し動揺が混じった。
これで病気じゃないから気にするなとか言っていたのか。正気か。
桐野もこれには焦ってしまった。女の扱いには慣れていても女の体の事などまるで知らない。
「い、」
「うん?如何した」
「ぃいたいぃぃぃ……」
「幸吉っ馬!」
反射的に近くでおろおろしていた幸吉に言い捨てると、彼は跳ね上がるようにして馬小屋へと向かった。
毛布で包んださつきを抱え馬で城下にある鹿児島医学校兼病院へと急行する間、大丈夫かと様子を見れば彼女は桐野に頭を預けて眠ってしまっていた。
女連れで突然現れた要人に、何事かと集まった医学校兼病院の関係者は皆一様に目を瞠った。
「突然悪い、ウィリス先生はおられるか」
診てもらいたい人間がいると告げて診療室に通された所で、横抱きにされたままのさつきが目を覚ましたのだった。
「…………ここどこ」
「医学校じゃ。まだ痛むか」
「え、お、大袈裟だよ……」
「さつき」
「…………」
さっきよりはマシという言葉と少し赤みが戻ってきた頬にほっとしながら診療台に座らせ、目の前にいるウィリアム・ウィリス医師を紹介した。
「大丈夫ですか」
日本語で聞いてきた英人医師に、
「え、あー、はい……My menstrual cramps were so severe that I couldn't stand them and lightly lost consciousness.」(生理痛が酷くて、我慢できなくて少し意識が飛んでしまって)
さらさらと答え出した様子にウィリスと診療室にいた幾人の学生が目を瞠る。
"I explained it to him yesterday, but he was surprised because I was in so much pain. I am not sick. I'm sorry it became a big deal."
"How are you feeling now?"
"So-so.There's a big difference between when it hurts and when it doesn't."
"OK, I'll give you some mild painkillers. Then warm up and get a good sleep."
"I see"
"……I knew him in the past, but I never thought it would come to this. The swordsman, you know. You are so loved."
(昨日説明はしたんですけど、あまり痛がるからびっくりしたみたいで。病気じゃないんです。大袈裟な事になってしまってすいません)
(今の具合はどうかな)
(まあまあです。痛い時とそうじゃない時の差が激しくて)
(軽い鎮痛剤出しておこうか。あとは体を温めてよく寝ること)
(昔の彼を知っているけれどこうなるとは思っていなかったよ。あの剣豪がねえ。君はとても愛されてるね)
半ばおどけたウィリスの言葉に学生の視線が一斉に集まったけれど、勿論桐野は何を言われているか分からず。たださつきは少し照れたようにして笑っていた。
しばらく笑声を交えながら雑談を続けていたが、薬を手渡されたのち、
「きぃさん、軽い鎮痛剤出してもらいました。しばらく無理しないで身体温めてよく寝なさいって」
それでね、体調が良くなったらまたおいでって。
先生の話相手になってって。
「良いかな?」
ウィリス、桐野とのやり取りを呆気に取られて見ていた学生たちを余所にさつきはそう言った。
さつきが望むのなら桐野には否やはない。
そしてこの”話相手”がウィリスや医学校の人手不足時の事務手伝いとなり、また学生らの英会話の練習相手となったのはそれからすぐの事だった。
医学校兼学校にはそれなりの立場の人間も行き来しているという事を、さつきは知らない。
方言が分からないから学生と筆談や英語で意思疎通をしていたり、東京に行くのに困りそうだからと請われて嫌がりもせず山の手言葉でのやり取りにつきあってやったり。
そんな様子を見られている事を、さつきは知らない。
それに彼女は城下、上荒田の辺見や加治屋町の篠原の家にも顔を出していたので、そこで彼らと懇意の者たちにも自然とその存在は知られていったし、その上で桐野の関係者だと知られれば……
さつきについておかしな噂をする輩は次第に少数になっていった。
「聞いてー!医学校からアルバイト代頂いちゃった!」
帰ってくるなり飛びつくようにして抱きついて来たさつきの背中に手を回せば、胸板に頬が寄せられる。
さつきは人の目がなければ桐野によく甘えるようになっていた。
「いちゃつくんはふたりの時にしてください」
そんなことを言って最初は困った顔で、それでも気を遣って移動していた幸吉も、暫くすると慣れてしまって「またやってる」くらいにしか思わなくなり、眺めては今日も平和やなあと笑って済ますようになっていた。
そして、
「きぃさんと幸吉君に何かプレ……贈り物したいんだけど、何か欲しいものないかな?あまり高くないものでお願いします!」
腕の中で笑う女と噴き出した従僕に、こういう時間を過ごす幸せもあるのだと桐野は知ったのだった。
Years Memory:思い出の記
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