10:邂逅






城山から眺める桜島は何となく慕わしく、薩摩が故郷ではなくとも帰って来たという気になるから不思議だ。


いいから出て来い、少し休めと桐野が笑って追い出すので、幸吉は素直に外に出た。
桐野にだってひとりになりたい時も、ひとりで考えたい時もあるのだろう。
色々な事を考えながら幸吉は徒然に歩いている。

この度の戦が始まってから既に半年以上が立ち、転戦に転戦を重ねてここまで来た。
その結果を言葉にする必要も考える必要も幸吉には無い。それが良し悪しのどちらであっても構わない。
彼にとって大切なのは桐野の傍にいる事だ。
桐野が良いと言えば良いのだし、悪いと言えば悪い。
それでいい。
そう思うことにしている。

京で拾われてから今まで、幸吉はもう随分と長い間桐野利秋の後ろ姿を見てきたように思う。
『消沈する』、そんな言葉がこの世に存在するのかと思う程、桐野は暗さが似合わない男だった。
貴島の闘死を聞いた時は流石に平静では居られない様子だったが、暫くすると普段通り。
淡々としている。

何に対しても桐野は淡々としていた。
出会った初めはそれを情の薄さかとも、執着の無さかとも幸吉は思ったものだ。
しかし、どうもそうではない。
傍から見ていると桐野には人としての情の篤さや優しさが十二分に備わっている。

ただ、いつまでも悲嘆に浸れる性格ではないということがあるのだろう。
今は浸っていられる遑が無いというのが正確なのかもしれない。
しかしこんな ー他者から見れば紛れもなくー 悲劇かとも思える戦況の中で、悲哀の欠片も見せない桐野は、何かの喜劇に出てくる登場人物の様にも見えた。

だがその明るさがいい。
暗さがなくて、いい。
光の中を歩いているように見える。それがどんな道であっても。
それでこそ自分が好きな桐野だと幸吉は思う。


城山は三百五十人という戦士が籠城するには広いようで狭く、狭いようで広い。
その空間に犇めく様にして隼人達が次に起こる戦闘を待っていた。
幸吉は時折その合間を桐野の後について、また時に単独で歩く。

そんな中、あれ、と何か引っかかる事があったのだ。
直感で何か変だと思っただけなのだけれど。
いつ、どこでの事だかはっきりしない。ただここ二、三日の内だったと思う。

(どの辺りでやったかなあ…)
なぜかとても気になる。それを探しに。

「幸吉、如何した」
「今日は一人か」
「今日はお茶っぴきの暇潰しですねん」

桐野の従僕というだけで顔を覚え声を掛けてくれる人間も多い。
幸吉は彼らにいちいち会釈を返し、辺りを見渡しながらあっちへうろうろ、こっちへうろうろと。

「何ぞ探しもんか?」
「はぁ多分。なんやよう分からへんくて」
「なんじゃそりゃ」
「あは、は」

…本当に。
これでは本当に埒が明かない。曖昧に笑って踵を返そうとした時だった。

「あーーー!!」

「お?」
「ちょ、あ、あの子!いつ!いつからいてはりますのん!?」
「誰」

ほら今角曲がった長稚児どんどすと言うと「何日前にふらっと現れて病院で手伝いをしている」のだという。
医学の心得は無いようだが、色々と動いてくれるので重宝されている。とは言えあまり話をしないので分からないのだが、と。

「すんまへんっ、ちょっと失礼しまっ」

加納要之助だ。
あの、少年だ。
後ろ姿でも見間違える筈がない。
彼の兄は辺見の指示で実方に帰されたと聞いた。そうであるのに、何故その弟がここにいるのか。
いや此処までどうやって来たのだろう。
今現在、城山にいることがどういう事か分かっているのか。

それに此処まで来たのならば何故、――― 何故、桐野の所に来ないのか。

桐野の生き方を知りたいとその生活にまで飛び込んできたというのに。
今更それでは、あまりにも他人行儀だ。
桐野に対しても、…自分に対しても。
そうであるのに本当に久しぶりに会った彼ときたら、
「あ、幸吉どん」
と、何の感慨も無さそうに(昨日別れて今朝会ったかのように!)、 屈託なく笑うのだった。

「馬鹿ッ」

と思わず自分の立場も忘れ、幾つかの意味の入り混じった罵声が出たのを誰が止められただろう。

「何で、ここにおんねんな」

幾つかの感情が入り混じり、視界がじんわり滲みそうになるのを、どうして止められただろう。

「えーと…来て、しまいもした。…ッでっ!」

はにかむように笑いながらかりかりと頭を掻く少年の足を、軽く踏みにじっておいた。

幸吉は引きずるようにして要之助を桐野の元へと連れて行った。
道すがら聞き出すと、兄道之進と入れ代わりに辺見隊の部下に引っ付いてここまで来たのだという。
なぜそこまでしてと思ったが、その理由は聞かなくても分かる気がした。
特別な理由があるのではなく彼は桐野に会いたくて来た。

会いたくて。

多分、それだけで。
そこには何の他意もない。他の男達が持つ薩摩という国への感懐も、恐らく少ない。
瀬戸際に立つ故郷の諸々に向けられるべき関心が桐野に向かっているのだろう。
別れた後の話やここまでの道のりをぽつりぽつりと話す彼の顔を見てふと思った。
(何てったかな、こういうん)

純心、純真、純良、純粋、純実、純然、純美、純精。
余計なものが無い純なキラキラとした何か。そんなもの。

きっと色々な言葉が当て嵌まる。

(…うーん、…純直? )

それは多分以前から。
しかし幸吉の記憶の中にいる加納要之助にはここまでの行動力は無かった気がする。
前別れた時は、思いを形にする勇気が少しだけ足りなかった。
(伸びたんは背丈だけや無かったみたいやな)


尻込みして中に入ろうとしない少年の背を軽く押す。ここまで来てしまったのに今更、と苦笑い。

「先生、今よろしおすか?」
「何じゃ改まって、…」

振り向いた桐野は流石に驚いた顔をした。

「来たんか」
「はい」

何故かとも聞かず何故かも言わず。桐野はただ黙ってふんわりと笑った。

「兄さあは如何じゃ?帰ったか」
「無事、とはとても言えもはんが」
「辺見には会うたか」
「はい」

和やかな会話だった。
幸吉はやや離れた所でそのやりとりを眺めていた。

吉田で新しい“空気”が入って来た時の、あの雰囲気を思い出す。
こんな状況にいても桐野はいつもと変わらぬ桐野であったし、それは幸吉も同じだ。
少年は少しだけ成長した。それを我が家族の事のように喜べることが嬉しい。
こんな時だからこそ余計に。
ここが吉田ではなく城山というだけで、幸吉には前と何ひとつ変わらないように思えた。

「あ!忘れちょりもした」
ごそごそと懐を探ると、少年は桐野に手紙を差し出した。
「手紙?」
「はいィ。兄から預かってきもした」
茶でも淹れようと準備をする幸吉を余所に、桐野はそれをぱらりと披き一瞥。
そしてじっと要之助の顔を見つめたのだった。

「如何されもしたか」
「……」
「先生?」
「…あっはははは!そうか、そいで、ここまで来たか」
「え?」
「そうか、ふ、は、ははは」
「ど、どないしはりましたん」
「??」
「いやヨカよか!何でんなか」

愉快そうに桐野が要之助の肩を叩く。

「…よう来たな」

そう透き通るような笑顔を桐野が向けると、「はい」と答えた要之助の緊張がふっとほぐれたのが分かった。
飯でも食っていけ、なんなら今日は泊っていくかという桐野の声に幸吉も同意したのだが、要之助は頭を左右した。

「泊るんは…今、病院ば手伝っちょりもんで」

そこから先は聞かなくても分かった。
病院とはいっても名ばかりのそれだ。どんな状況かは幸吉もよく知っている。
加療するにも、道具も消耗品も人手も足りてはいない。
それを医者と病院に宛がわれている家の者が取り仕切っているというのが実情だ。

恐らく文句も言わず黙々と働いているのであろう要之助の存在は、”病院”にしても助かっているのに違いない。
それは昼間に会った兵卒の話からもよく分かる。
桐野はその答えにそうかと満足そうに頷くと、

「幸吉、使いを頼む。飯はこちらで用意すると伝えて来い。九時には帰す。そいならヨカな?」
「「ハイっ」」

ふたつ返事で返ってきた声に、桐野は機嫌良さそうに笑った。


20201114改訂再掲/080608(0112-02/29)
邂逅。「かいこう」と「わくらば」どちらの読みでも。 「かいこう」なら「思いがけない出会い」、「わくらば」なら「たまたま偶然に」。どちらでも◆息抜き幸吉君視線。



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