11:列車






夏陰口から城山に入り落ち着くと、要之助は酷い睡魔に襲われた。
寝てはいけないとは思うのだが、気を抜くとかっくんと首が落ちるのを自分ではどうしようもなかった。
腿をつねっても会話が無くなり口を閉じると意識が飛ぶ。

「おい、起きちょっか」
「…………はい…」

呼びかけには答えながらも、かっくん、と。
頭上から柔らかな笑いが落ちて来たのと、背負われたのは同時だった気がする。
ああどこかに移動するのだなと思ったが、意識はそのまま暗い淵へと落ちていった。



目が覚めたのが畳の上で、要之助は驚いて跳ね起きた。
自分のいる室内を見渡すと、片腕を白布で吊ったり腕脚頭などに包帯を捲いている人が多い。
知らぬ男ばかりだ。

「どこ」

ここ、と小さく言葉を吐くと、病院じゃ、と傍にいた男が教えてくれた。
「汝を連れて来た者どま、辺見さぁの所へ行っちょっど」
その親切に礼を言って要之助は席を立った。

庭先に出て褌ひとつになり着物の砂埃をバサバサと払う。
井戸を借りて口を漱ぎ、顔を洗い手に付いた水で髪を撫でつけた。
兄の道之進から預かった手紙は腹に晒で巻きつけていたから幸いにも汚れてはいなかったが、縦横に皺が寄っている。

辺見に会ったら何を言わなければならないのだろう。
頭がよく回らない。
辺見は背が高く髪の色もほのかに赤が混じっているといい、戦っている時の彼の形相はそれは恐ろしく鬼のようだと聞いた。噂で。

(…怖すぎる)
そう思ったが、まずは会わなければ。
手紙の皺を心中の怖じ気を熨すように丁寧に伸ばした。


「あ」
「「お」」
「あ?」

辺見がいると教えられた部屋を覗くと、ここまで連れてきてくれた兵卒ふたりが彼と談笑していた。
ひとりが「こん長稚児ごわす」と要之助を紹介すると、今まで自分か兄の話がされていたのか、辺見は知己に会ったかの如く笑った。

とりあえず挨拶をと思い、一通り考えた口上を述べて預かってきた手紙を渡す。
辺見がそれに目を落としている間に周囲にいた大人たちが口々に話しかけてきた。
この部屋には雷撃隊に所属していた人間も多く寝ているらしい。
兄に「世話になった」とか「危ない所を助けられた」とか、そんな内容が多かったように思う。
兄が実方に辿り着き再会が叶ったことを彼らは喜んでくれた。
そんな中で辺見が視線を上げた。

「桐野さあには会うたか」
「遠くから姿はお見かけしもした」

会ってはいない。
婉曲にそう告げると、辺見は会いに行けばあの人は喜ぶと思うぞ、と言外に何故かを辺見は問うてきた。

当然だろう。
桐野が過ごしている洞穴は病院の目の前だったのだから。
すぐにでも会いに行ける距離だ。

「折を見て、挨拶にあがるつもりでおりもす」

嘘だった。挨拶にあがるつもりはない。
それが言葉の歯切れ悪さに出たのか、辺見は首を傾げたのだが、手紙をとんとんとんと指先で叩きながら 、

「汝の兄さあが好きにさせいち言うちょる事じゃ。思う所があるなら好きにすっが良か」

特に気にするそぶりを見せずに受け止めてくれた。

「兄がそげな事を?」
「汝をこき使ってくれとも、書いちょるな」
はっは!と大きく笑いながら辺見は、
「何か困った事があったら…桐野さあに遠慮があるなら俺に何でん言え」
と言い添えてくれた。

兄の気遣いも、辺見の言葉もありがたかった。聞いていた噂とは違う辺見の姿も、ありがたかった。


とはいえタダ飯を食う事は出来ない。
せめてここで出来る事をと思い、周囲を見渡して要之助は一番手が足りていなさそうな病院を手伝う事にした。
「俺はウィリス先生仕込みじゃぞ」
誇らしげに語る若い医者が、あの場で大体の事情を聞いていたらしく快く引き受けてくれた。

手伝うとは言っても実際には彼の後ろについて歩く位しか要之助には出来ないのだけれど、見よう見真似で助手を務めると、医者からも患者からも随所で手厳しい声が飛んでくる。それでも「気張れ」と大概は笑って励まされた。
一両日程で殆どの患者が要之助の素性と事情を聞き知ったようで、多くが我が弟かのように可愛がってくれた。
その為か、

「桐野先生には会うたんか」
「戦中ち事もある。こげな時の“明日”は分からんもんじゃ。余り日延べせん方がよかぞ」

そういう言葉も多くかけられた。
要之助は返事をする代わりに曖昧に笑ったが、彼らから余りに親身に、それこそ兄ならきっと言ったであろう言葉を幾度となくかけられて、胸が何度も熱くなった。



とはいえ要之助は桐野を訪うつもりではいたのだ。そのつもりでここまで来たのだから。
しかし城山に入ってすぐのこと、辺見の前に挨拶に出る直前、廊下を歩いている時に偶然桐野の姿が目に入った。
(桐野さあじゃ)
と暫く様子を見ていて、驚いたのだ。自分のいる病院は桐野の居場所の傍だった。
「き、…」
しかし要之助は上げようとした声を飲み込んだ。

その時は軍議か何かでもあったのか、彼の周囲には多くの人間が存在していた。
人の波に取り巻かれてあれこれと指示を出し、それが終わったかと思うや少年兵に囲まれて談笑をしたり、書きものをしたり。
その姿を見て思ってしまった。

ここまで来たのは、間違いだったのかもしれない。
ここまで来てしまったのは、浅はかだったのかもしれない。

自分の知らなかった桐野の姿…
そうだ。
ここにいるのは自分が知りたいと願った“知らない桐野”の一面、一将軍としての一面だった。
しかしその桐野は薩軍を預かる実質的な総大将で、とにかく忙しくて当り前では無いか。
共に吉田で過ごしていた時と今とでは、状況も立場も違いすぎる。
普通に考えれば分かる事だ。

会えればいい。
彼の時間を少しでいい自分に与えて欲しいなどという傲慢、今となれば何故そう思えたのかいっそ不思議だった。
城山に入る事は自分の我が儘だと、実方を出る時に考えた。
連れて行ってくれと頼んだ兵卒二人への我が儘、父と兄への我が儘。
しかしそこに桐野への我が儘も含まれているという事には気が付いていなかった。
桐野に迷惑が掛かるかもしれないと、そこまでは思い至らなかった。


―― 我が儘だ。本当に我が儘だ。

自分の姿は厭になるほど子供だった。
そしてそこまで思うと、要之助は自分から桐野に会いに行く事をすっぱりと諦めた。

会わなくてもいい。
遠くからでいい。
西郷大将を戴いて薩軍を統べる“桐野利秋”をしっかり見ておこう。
それだけでいいではないか。

朝夕桐野に親炙出来たこと自体が夢のような出来事だったのだから。




だからその日が来たのは本当に突然だったのだ。
「あ、幸吉どん」
名前を呼ばれて振り向くと、幸吉がいた。

「馬鹿ッ」

出し抜けにそう言われた時は流石に驚いたが、幸吉の目が少し潤んでいたので、ただ、

「えーと…来て、しまいもした。…」

少し笑いながら、要之助はそれだけしか言えなかった。

それに見上げた幸吉は相変わらずひょろりとしていたが、
(随分と痩せた)
ここまでの苦労の程が忍ばれるような気がして、言うべき言葉が見つからなかったというのもあった。
少年に向かうと立場を忘れてしまうらしく、くどくどと説教を始めた幸吉は痩せた…というより酷く窶れたように見える。

(………)

要之助は暫く瞬きを忘れたようにして幸吉を見つめた。

ここに来てから薩軍兵士の姿を何度となく目にしてきた。
誰がどう見ようと、もうこれは勝ち戦の軍の姿では無いだろう。
現に驍将とも今張飛とも呼ばれる辺見の病床の姿も見てしまっている。
桐野については遠くから姿を見る限りは相変わらずだった。
だが実際はどうなのだろう。

実際はどうなのだろう…

聞くのが、怖い。
矛盾している事は分かっていても、“知らない桐野”を知ることが、怖い。
それは何だかとても恐ろしいことのようで、体が小さく震えた。

「えー…、聞いとる?」
うわの空で右から左に話が抜けている要之助の様子に気が付き、
「も、ええわ。でもな水臭いやんか。ここまで来といて何で会いにこんの」
仕方ないといった風に苦笑いした幸吉。
それを見て要之助は観念した。


桐野は相変わらずだった。
別れた時と何一つ変わる様子がなく、拍子抜けする程だったのだ。
寧ろ最後に彼を見た時よりも総体的に精悍さが増しているような気がする。
先ほどまでの杞憂は何だったのだろう。
杞憂以前の問題だった。
その上桐野は要之助に何故城山に来たのかも聞かず、何故すぐに会いに来なかったのかも聞かず、ただ
「…よう来たな」
とだけ言って、笑って受け入れてくれた。

(来て、良かった…)

心にじんわりと広がったのは、受け入れられた嬉しさと安心だけでは無かった。
変わらない桐野の姿に、緩やかに心が波打つのを感じずにはいられなかった。
本当に、本当にこの人の何処を見て何か月も共に過ごしていたのだろう。
要之助はそう思う。

―― 一将軍としての一面…確かに桐野は薩軍の将だ。
それは桐野の、表面の、一面だ。
何故ここまで来た?
自分が知らない「桐野の表面」を知るためでは無かった筈だ。

桐野のもう少しだけ深い所に触れてみたい。

そう思って我が儘を通した筈なのに、それをすっかり忘れてしまっていた。

(本当に会いに来て良かった)

目の前にいる桐野は、抗いようのない力で要之助を本来の目的へと引き戻したのだった。


20201114改訂再掲/080622(3/14)
副題の「列車」は10のお題「旅立ち」より。 定まった方向に走り始める、という意味を込めて。◆ネガティブとポジティブの狭間を行き来しております(笑)会いたいけど、自分が望まない桐野の姿を知るのが怖い。
話中「ウィリス先生」はうちでは安定のウィリアム・ウィリス先生



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