9:On the edge






色々な笑い声と笑い顔が瞼の裏で揺らめく。
要之助はぎゅっと腿を捻り、意識が飛びそうになるのを我慢した。
ふと思い立ち懐から油紙に包まれた手紙を出して、月に翳す。
家を出る時道之進から渡されたものだ。一通は辺見へ、もう一通は桐野宛てで、
「必ず会えよ」
直接会って渡せと。

「千万人といえども、吾往かん」

小さく声にしてみると、隣にいた兵卒がその背中を軽く叩いてきた。
「…さっきは心が動いた」
一緒に本営迄行こうな、と。


暫くすると探索に出たひとりが戻ってきた。
どうやら市街に散っていた薩兵はあらかた城山を中心とした一か所に集まっているらしい。
政府軍がどの程度の陣層かがよく分からないようだったが、灯りの散密具合で進む方向を彼らは決めた。

どこからであっても哨戒線を越えて、薩軍の陣地にさえ入ってしまえれば。
ただ黙ってふたりの後ろを遅れないように要之助は付いて行く。
月明かりを頼りに間道から間道を通り、家々の隙間を過ぎ、途中からは大きく道を迂回したように思う。
自分が一体どこを歩いているのかが分からなくなった。

やがて疎らな灯りと人影がちらつき始めると、城山を取り囲む状況がどのようなものか、要之助にも薄々ながら想像が付いてきた。
眼前には政府軍が陣取っている。どこの軍かは分からない。
民家を作業の拠点としているのか、家屋の傍やその路上に竹矢来、逆茂木等伐採された材木や竹材が無造作に積まれている。
暗闇に目を凝らすと、それらが柵状に築かれているのが見えた。

「…二、三日で閉鎖されるな」
「ああ」

深更だ。
作業は流石に中断されており立っている歩哨も少ない。
多勢に無勢の安心感からか、それともまだ明確な指令が下されていない為か、末端の緊張は多少緩慢になっている様子だった。
兵の配置も、堡塁や柵の構築作業もまだ緒に就いた段階らしく、城山へ向かう道は彼等にまだ大きく口を開けていた。

「物陰を伝って走り抜ける。こん様子なら恐らく行けっじゃろ」
「ひとりずつ行く。ヨカな、絶対に見つかるな。三人ではどうにもならん」
「はい」
ここさえ抜ける事が出来れば。
要之助は頷いた。

歩哨に立つ兵士が場所を移動する拍子に合わせ、ひとりが前方を駆け抜け、民屋の影に滑り込んだ。
ざっ!と、若干立った砂を蹴る音に歩哨が振り返り、銃剣を構え直す。

…見つかったか?

家の裏に近付く歩哨に対し、すらりと抜かれた白刃が暗闇の中煌めくのが見えた。
隣にいた兵卒が静かに刀を抜き、直ぐ飛び出せる態勢を作る。要之助も遅れじと刀を抜いた。
声でも上げられたら終わりだ。 即座に切り殺すしかない。
「………」
脂汗が滲んだ。

一歩近付く、二歩近付く、次で、飛び出す…


パーン …!

パンパンパンパン!!
タンタンタタタタン!!!

「………!!……………!!!!」


びくっ とその場にいた誰もが固まった。
遠くの空で銃声と叫び声が間断無く響く。
流石に歩哨はその場を離れて駆けて行った。本陣のある方向か。
しかしながら音は止まないどころか重層になってきている。何処かで交戦し始めているらしい。
方向から考えると、恐らく山の裏側だろう。

「走れ!早く!!」
「走れ!!」

ぐいと腕を引かれて一目散に走ると、民家の陰にいた兵卒が彼等を待たずに駆け出した。
直ぐに多数の兵士が出て来る筈だ。今から哨戒は目に見えて厳しくなるだろう。
囲まれたら逃げ場が無くなる。

「一気に行くぞッあそこ!暗か山がある、分かっか、夏陰口じゃ」
「っ…は、いッ!」

大した距離ではない。
五町あるか無いかだ。それなのにそれが酷く長く思える。酷く息が苦しい。
それでも要之助はただ一心不乱に足を動かした。

(なるようにしかならん。けど、なるようになる、きっと)

付いて行くのがやっとという余裕の無さの中で、不思議だが落ち着いたもうひとりの自分がいた。
白刃の縁を渡っている。
城山に向けて走っているのも、桐野に会いたくて走っているのも、きっとそれと似ている。

人生の道を決める方向に走るのも、きっとそれと似ている。
真っ直ぐに進めるのか、右に落ちるのか、左に落ちるのか。それは分からない。
だがよろよろと歩きながらも、「なるようになる」方に進む為に必要なのは自分の意志だ。



「わっ」

思う間に前を走る兵卒にぶつかり、要之助は後ろに倒れこんだ。
見上げると先頭を走っていた兵卒が堡塁を守る薩兵と何やら言い合いをしている。
何処の所属の某だ、と。
所属隊と氏名の確認だろう。
時間が掛かるのかと思いきや、顔見知りがいたようですんなりと通された。

引き上げられながら崖を攀じ登る。
(つ、着いてしもうた…)
気負った割には意外と呆気無かったように思う。
だが陣内に辿り着いた時には足が少し震えていた。疲れと緊張とで思わず座り込む。

「大丈夫か」
その様子を見ながら兵卒が笑って手を差し伸べてきた。
「…もっと体を鍛えもす…」
はあっと息と共に吐き出された少年の返事に哄笑が響いた。
だが、

「さっきの銃声は何じゃった?分かっか?」

その一言に周囲に集まった人間は皆一様に黙り込んだ。
「貴島さあが米倉に切り込んだ。如何なったかはまだ分からん」


後になってから驍将貴島清が少数で政府軍が陣取る米倉に乗り込み、壮絶な死を遂げたと聞いた。
あの時起きた銃声は、政府軍が貴島らを迎え撃った時のものだった。
助けられた。
それは確かだ。
しかしそうは思っても生かされたという実感も、ありがたみも感じなかった。
貨幣の表裏のように、あの銃声の下で生きる事を得た人間がいれば、死んだ人間もいる。
誰もがあまり語りたがらなかったが、襲撃に参加した人間の殆どは命を落としたのだろう。
ただ米倉に向かい手を合わせる事しか出来なかった。


20201114改訂再掲/080227(071228-080110)
On the edge.境界に立って。
ちょっとメモ
★The quest stands on the edge of a knife.というセリフが指輪物語にありました。Even the smallest person can change the course of the future. 小さき者でも未来を変える事が出来るのよというセリフも(ガラドリエル)。とても好きです



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