15:鼓動






「残りもす。最後まで手伝わせてくいやんせ」

そう言葉を声に乗せると、医者は少し悲しそうに微笑した。
「今日は…ここはもうよか。明日からまたこき使うで自由に過ごせ」

押し出されるようにして病院を後にして、要之助は城山の中をそぞろに歩いた。

「桜島…」

桜島が見たい。
あれこれ考えた末そう思った。
雑踏を過ぎ、陣場を過ぎ、坂を登りきった所で、要之助は足を止めた。
城山に入ってから毎日見てきた桜島であったけれど、今のような落ち着いた心持ちで眺めるのは初めてかもしれない。
打ち込まれる大砲の音、人々のざわめき、そうした喧噪の中にはいるのだが、周囲の五月蝿さを余所に何故か静かに思考が回る。

「城を枕に討ち死に」という言葉は、要之助も幼い頃から物語で幾度となく耳にしてきた一節だった。
そんな状況の中に、まさか自分がいるとは中々認識しにくい。
しかしこのままいけば前途に転がっているのは間違いなく死で、自分の終焉地だった。
だが死ぬと言われても、実感はわかなかった。
死をそれほど身近で感じた事がないということもあったけれど、それほど要之助の今までが平凡で穏やかな日々であったからだとも言える。


大丈夫かなと思いつつ、近くに自生している木によじ登ると、もう少しだけ桜島に近付いた気がした。
視線を地上に移すと浅い高さから陣場を鳥瞰出来る。
「は、…」
普段と変わらない様子で人間が動いているのが見える。
いつもなら自分もその中にいるのだが、今はそこから離れて少しだけ違う世界にいるように錯覚した。


実方から城山に向かう際、「死ぬぞ」と父から釘を刺されたことを覚えている。
その時要之助は「はい」とだけ答えたが、

(あ、そうか…)
あれはもう二度と会う事はできないということだったのだと、改めて思った。

死ぬことに対しては不思議と恐怖心が無かった。
城山にいる面々には狂騒もなく普段通りの明るさがあったから、単に集団心理に呑まれているだけなのかもしれなかったが。
要之助は死を怖いとは思わなかったけれど、父や兄を初めとする家族にもう会えないことが寂しい。
それだけだ。
城山にいる大人たちは、要之助を本当に可愛がってくれた。
からかわれたり、もの笑いの種にされたりもしたが、それでも己の子供や弟を慈しむかのように。

(こん人たちと一緒に死ねるんか)
末席ではあれ死処を共にできる。
それは何故か、とても幸せなことのように思える。


城山に入った時、一番初めに便宜を図ってくれた辺見十郎太。
病床にいてもいつでも男らしく溌溂としていて、見ているとこちらの気持ちが晴れるようだった。
噂で聞いていた「鬼のような恐ろしさ」は、要之助と接している時は微塵もなく、寧ろよく笑いよく冗談を言ってくれた優しい人だった。

桐野の次に触れ合う機会が多かったのは同郷の先輩別府晋介だ。
互いに知らぬ仲でもなかった為か、どちらかというと城山の中でもかなり気安い兄のような存在だった。
接することが多かったため、実方にいた時よりも距離が近付いた気がする。
一番からかわれることが多かったが、実は穏やかな人で、色々な相談にも乗ってくれたありがたい人だった。

村田新八とは、先日初めて言葉を交わした。
月夜の晩だった。
外から聞こえてくる聞き慣れない音楽に誘われてふらふらと歩きながら、
「何の音楽じゃろ」
独りごちたところ、
「政府軍の軍楽隊じゃな」
要之助に暗闇から思わぬ答えを返してくれたのが村田だった。
村田も音楽に誘われて洞を出てきたらしく、戸惑い気味に視線をぶつけた要之助に苦笑いしていた。
適当な場所を見つけて座り、共に演奏を聴いて一言二言言葉を交わしただけであったが、柔らかな風が体内に流れたのを忘れられない。
老成した雰囲気に不思議な安心感を覚え、「君子とはこういう人をいうのかもしれない」と感じた。

桐野との位置が近かった事もあったのだろう。
城山に入ってから、本当に多くの立場の人と出会った。
薩軍の幹部、ここまで連れて来てくれた兵卒、世話をしてくれている医者、病院で顔を合わせる兄とも父ともつかない人たち。
要之助が知らなくても向こうが要之助を知っている事が多く、その流れで単なる世話話も真面目な話も色々としたし、聞いた。

―― 多様な生き方がある。

多くの大人に接して知り得たそれは、とても新鮮な感覚だった。
身近な人々との関係が全てであった実方にいた時には知らぬことであったし、実方にいては知らぬままであったかもしれない。
多様な生き方、そして多様な価値観。多様な想い、多様な考え方。
その奥で、表面にも言葉にも出さないが、今はみんながひとつのことを考えているように思える。

何の為に戦うのか。
何の為に生き、何の為に死ぬのか。

薩摩の為?
西郷先生の為?
それとも自分自身の為?

「………」

ふと、思う。
ここにいる大人たちはそのどれかに、どれもに、当てはまるのかもしれない。
――――でも…


では、自分自身は一体何の為に……?


ぶわっと強い風が足元から吹き上げた。
「うわっ!」
幹にしがみ付く。足元は不安定だ。大きく風が吹けばぐらつくような。
「あ…」

何かの衝撃が加われば、ぐらつくような不安定な足元(こころ)

ぎゅうっと目を瞑る。
(城を枕に討ち死に…… な、何の為に?)

死ぬことは怖くない。
そう思った筈なのに、「自分は何の為に?」
一度その疑念を持つと足元が震えてくるのをどうしようもなかった。


何の為に戦うのか。
何の為に生き、何の為に死ぬのか。


どっく、どっく、どっく、どっくと、耳の奥、早い律動で血液が流れているのが聞こえる。

何の為に?

その自問に整然とした自分の答えが出せるほど要之助はまだ生きてはいない。

それでも。
桐野利秋という人を識ること、そして人の助けになること、力になること。
自分が今、城山で生きている意味は、少なくともそこにあると思う。
それが合っているのかは分からないが。

(……あまり深く考えまい)

要之助は頭を振ると、強引に思考を遮った。

固く閉じていた瞳を開くと、もう一度桜島を網膜に写す。
小さな頃から見慣れた、変わることのない存在にほっと息を吐いた。
この風景だけはきっと何があっても変わらないし、今までも変わらずに来たのだろう。
その桜島の前で生きるの死ぬのとうじうじ考えるのが、とても些細なことのように思えて、笑った。
笑えた。

桐野も、要之助が今まで見てきた姿から推測すると、最早そんな次元の事を考えてはいないだろうと思う。
この人も、出会った頃から変わらない。
乱れない。
彼が自分自身の芯に沿い、常に一定した鼓動で動いているのが、今となれば要之助にも分かる。
そしてその芯が恐ろしい程の厳しさと透明感をもって桐野を律しているように見えて、

(そこも、きらきらじゃ)

朧げながら要之助はそう思う。
そこに桐野の生き方の美質がある気がする。

城山で死ぬ事は、そんな人と最期の瞬間まで共にいられるという事だ。

(ちっと怖か事あるけんど、桐野さあと、ここの人たちと一緒に死ねる)

それで充分じゃないか。

そう思い、故意に新しく拓けそうになった道は頭の片隅へと追いやった。



20201202改訂再掲/080718(6/24-6/26)
鼓動(パルス)。9月22日。

戦うために城山に来たのではない少年と、戦うために籠城している周囲とのギャップが今になって出てきちゃいました。 色々な意味で鼓動が速くなります。ドキドキ。



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