14:決然のとき






暫く見ない間に随分と成長したように思えた。
成長したというより、少し男の顔に近付いたように思う。
それが城山で要之助を見た時の第一印象。
桐野は己が出征していた数ヶ月の間に、要之助の周辺で何が起こったのかを知らない。
だがそれとなく彼の様子を見ていると、心身を鍛える何事かがあったのだろうという想像はついた。

城山に入り桐野のいる第五洞の前で起居しながら、要之助は己から会いには来なかった。
それなりに今の城山や桐野の状況を察したからだろう。
いくら勧めても第五洞には足を向けなかったと後から人に聞いて、桐野は知らず嬉しくなったのだ。
好意で手を引かれるままに歩くのではなく、自分の意志も通せるようになってきたのだな、と。
そう思って。

そしてその底にあるのは周辺を見て思いやれる思慮と、一時的ではあれ任された仕事を放擲出来ないと思う気持ち。
要之助は静かで目立たない少年だ。
だがその静けさの中に意外と硬骨なものが出来上がってきているように思う。

病院での要之助はよく働いた。
「ようやってくれちょる」
それは見ている周囲の人間が感心する程の熱心さで、要之助を引き請けていた医者が考えた末に、
「こげな時じゃが、きちんと勉強してみんか?」
と掛けた言葉に、要之助は大きく頷いたと聞いた。
しかし、
「本人にやる気があってん、ここではきちんと教えてやれる余裕も、教師もおらん」
そう口惜しそうに医者が嘆いていた事を、桐野は覚えている。

(…道があるとすれば、そこか)

桐野の拳を見つめてそっと伸ばしてきた手。
その手を未来に繋げてやるのは、大人の役目だろう。



そんな事をうつらうつらと考えていた中に、密やかな話し声が響いてくる。うっすらと瞼を上げた。

「…誰か、おるんか」
「晋介ごわす」
「河野ごわす」
「河野?」

前線にいる筈の河野主一郎が、目の前にいる。
何かあったかと体を起こした桐野に河野が話した内容は、この戦の義を訴える為に政府軍に使いをするという事であった。
「……」
桐野は目を瞑ったまま河野の言葉を聞いている。
(軍使、か)

「桐野さァの意見は、如何なもんでごわんそか」
「今更…」

(今更何をか言わんや)
皮肉に口元が歪む。

「は?」
「いや、それが過半の意見ち事か」
「桐野さァ、…?」
聞き取れぬ程の呟きに河野が首を傾げたが、
「…それは、西郷先生の意見を敲いた方がよかじゃろ」
桐野は同心も関心もしないと釘を刺した上で、河野を西郷の元に送り出したのだった。


「…晋介、…」
はぁ、と何時になく深い溜め息を吐く従兄に別府は少し眉を顰めた。
「如何したもんか、な」

この戦での薩軍の正義を法廷で訴える為に政府軍に使いを出す。
河野はそう言ったが、その内実は一体何なのだろう。その奥に何か核心が隠れている気がしてならない。
いや、隠れていなくても今の段階で軍使を出すという行為自体が…

「兄」
思考を別府が遮る。改めて視線をそちらに向けた。

「あまり考え過ぎますな。そげな姿、似合うちょりもはん」

いきなり遠慮無く否定してきた従弟に、思わず噴き出してしまった。

「似合わんか。は、はは!確かにな!」
「最近ひとりになっと、たま〜に考え込んじょりもすな。そうすっと、ここ…に、皺がぐぐ〜っと…」
ここ、と別府は己の眉間をとんとんとつつく。
「じゃっで知恵熱ば出たんじゃなかですか。あ?…知恵…知恵カタル?」
「知恵カタル!」
首を傾げた別府に、桐野はついに声を上げて笑った。

「軍使の事、先生の所に話がいくなら、そげんカッコ悪かちゅうこつにはならんち俺は思いもす」

「ん、そいならヨカが」
「…こげな時くらいしっかり休んでくいやんせ」
意外と深く考えこんでしまう様子の従兄を見て、別府が幸吉に言いつけようかと笑うので、
「そいは勘弁してくれ。敵わん」
桐野は寝床に体を横たえたのだった。


別府はまだ暫く居る積りなのか、枕頭で団扇をゆらゆらさせて桐野を煽いでいる。
「そう言や病院におる実方の、何やら大分様子が変わりもしたな」
「そうか」
この従弟もそう感じるのかと思う。

「医者どんの手伝い(かせ)で、役に立てる事が嬉しかち言うちょりもした。助けられてばかりの自分が、人を助けられると。後は…少し落ち着きましたな」
あれから何か話しましたか?

軽快に、しかし少しからかう様な口調で、別府は言った。

何日か前に少年と桐野の事について話したこと。
別府は時を置かずそれを桐野に伝えていた。
しかも少年の抱いていた”桐野像”を聞いた後に桐野本人を見て、この従弟は失礼なことに顔を見るなり笑いだしたのだった。
それ故桐野は何事かと首を傾げたのだが。

「いや、兄ば見た稚児や二才はみな同じような事思うんじゃち思いもして。俺にも覚えがありもす」
どうもそんな事を言っていた。


「まあ、少しは話した。アレを見ちょっと…なんだ、助けてやりたいとは、思うな」
真っ直ぐ策を弄せずに向かってくるから、こちらも同じように返してやりたいと桐野は思う。
自身にも覚えがあるのか、別府も静かに微笑う。その様子を見て桐野は少しの間考えたが、
「…晋介、ちっとよかな?相談じゃ」
半身を起し、床に胡坐をかいた。





軍使を政府軍へ遣わす事が薩軍の総意として纏められ、河野主一郎と山野田一輔と連れだって山を下ったのが二十一日の昼頃。
それに伴い翌二十二日、西郷大将から全軍に向けてふたりが下山した趣旨に関する檄文が飛ばされている。


……全く味方の決死を知らしめ且つ義挙の趣旨を以て大義名分を貫徹し法庭に於て死するの(つもり)に候間 今一層奮発し後世に恥辱を残さゞる様此城を枕として決戦致さるべき儀肝要之事に候也……





この数日は何やら慌ただしかった。
病院から眺めていても、空気の流れ方が普段と若干違う。要之助はそう感じていた。
砲弾が一日間断なく落ちてきていても、城山の雰囲気は相変わらず明るい。
笑い声も三味線の音さえ響く事があるのも、最早日常的な様子であったが、ここニ、三日はそこにぴりぴりした緊張感が混ざっている事を感じる。

何かが動いている、…気がする。
しかし要之助はそのような事を上の人間に直接聞くことの出来る立場でもないし、相変わらず人手不足気味の病院を手伝っていて、中々そちらまで意識が飛ばせないというのも現実としてある。
数日前から忙しさが増した為、余計だった。

それは突然のことだった。
その下で働かせてくれている医者が「医学の勉強でんしてみっか」と、要之助に言葉を掛けてきたのだ。

「え?」

あまりに唐突で、その時器材の煮沸消毒をしていた要之助は、思わず医者の顔を振り返ってしまった。
「初めから医者を志しちょるように汝はやってくれっで、そげん気持ちはなかかち思うてな」
「あ、あの」
「こげん時じゃが、きちんと勉強してみんか?」

要之助は迷うことも無く、大きく頷いた。
城山に入り、好意に甘えてただそこにいるだけという状況を要之助は許せなかった。
そこで何か力になれる事はないかと思って病院に飛び込んだのだが、今や思った以上のやり甲斐をそこに見つけている自分がいる。
医者の様に働く事は正直な所殆ど出来ないが、助手としての役割、医者が動くための下準備や入院している人々への対応、やろうと思えば無限にできる事がある。
何よりも兄を初め周囲の人間に助けられてばかりいた自分が、人を助けられる。

人の命を助ける力になれる。

新しい事、今まで全く知らずにいた世界を覗けること。
それは新鮮な喜びであった。
だが目に見える形で人の力になれるという事は、また違う思いを要之助に抱かせたのも確かだった。

医学……
今まで考えたことのない道が広がっているのを意識し始めた時に掛けられた医者の言葉だったのだ。
返事をするのに躊躇う必要も迷う必要も無く、それから少しばかり内容の詰まった日々を、少年は送っている。


「…先生、その、何ぞありもしたか?」
日常の繁忙に取り紛れていても、やはり今の雰囲気は尋常ではない気がする。
聞かずにはおれなかった。
少年が隣で作業をしている医者に尋ねると、ひらり、と一枚の奉書紙を渡された。

<――― 後世に恥辱を残さぬよう、城山を枕にして決戦する心積りで…>

「……」
「こいは西郷先生が先程出された檄文の写しじゃ」
これで軍全体の方向が定まった。
医者の目はそう言っていた。
「…汝はどうするか、っちゅうても、な。ここまで来てしまうと…」
―― 逃がしてやることも、できん。
医者は続く言葉を飲み込んだが、少年は破顔した。

「残りもす。最後まで手伝わせてくいやんせ」



20201128改訂再掲/080710(6/21-6/24)
ちょっとメモ
20〜22日ごろの様子。決然とは「心をきっぱりと定める」ということ。色んな人の心が定まっていくという意味を込めて。



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