18:黎明、そして光






要之助も桐野と別れて暫くしてから坂を下った。
言葉は交わせなくても、せめてここにいる人たちの顔は覚えておきたい。
そう思い、ふらふらとあちらへ顔を出し、こちらへ足を向け、そちらで共に謡い、気が付いたら別府晋介の洞の傍にいた。

随分遅い時間になっていたのだと思う。洞を覗いた時に目が合った別府は、
「横になれ。少し休んだ方がよか」
と言うだけで、要之助に場所を開けてくれた。
傍に人がいたが、言われるまま遠慮無く別府の近くで横になった。
うとうととしていたら、羽織か何かを掛けられたような気がする。
「…別府さあ…あいがとごわした」
遠くなっていく意識の中で、その言葉だけははっきりと口にできた。


時間にして半時程か、僅かな間眠ったように思う。
そろそろと揺すられて薄く瞳を開く。
まだ膜を張ったように薄ぼんやりと見える視界の向こうでは、蝋燭の灯が影をゆらゆらと揺らしていた。
薄暗い洞の中で、既に幾つかの背中が蠢いている。すっと眠気が引いた。

「お、おはようございますっ」
「はい、おはよう」

左右に軽く支えられて、単衣を着付けている別府が飛び起きた要之助に軽く視線を向けると緩く笑った。
「脚絆も今つけますか」
「ん。頼む。…ほら顔洗って来い」
「は、はいっ」
追いたてられるように要之助は洞を出た。

まだ深更と言ってもいい時間だろう。
ほの暗い中、篝火が焚かれ、またあちこちでほのかに灯りがともっている。
いつだったか同じような光景を見た気がする。
(…盆じゃ)
あの時は盆の送り火に何かの終焉を見た。あれは、

(この戦の終焉だったんじゃな)

終わりゆくひとつの歴史へ手向ける送り火。
ぽつ、ぽつ、と目に映るそれは酷く優しい色をしていた。


井戸を使い終った要之助が第六洞に戻った頃には、別府はすでにかっちりした姿に身を固めていた。
足の怪我により歩行が困難とはいえ、それを感じさせない程心気のすっきりした姿に要之助は思わず見惚れる。
恐れや迷いの見えない端正な横顔は、どことなく桐野と重なるものがあった。

――― カッコいいな、と思う。

「…俺の顔に何ぞ付いちょるか」
「いえッ」

じっと見つめてくる要之助に別府が声を掛けると、要之助はぶんぶんと首を左右した。
別府の口からは思わず笑い声が漏れる。
そういや桐野の兄が似たような話をしていたな、なんて思いながら。

「兄とは話したか?」
「はい。あの、別府さあ」
ありがとうございもした、と端坐しなおして頭を下げる様子には今更ながら好感が持てた。
「昨日も聞いたな、そん言葉」
「あ、昨日は…」

今まで、ここまでありがとう。
そう伝えたかったのだ。
それなのに昨日は何かのついでのように言ってしまった。

「こちらこそ。…楽しかったよ」
そう返してくれた別府に、ああちゃんと伝わっていたのだな要之助は思う。


別府は別府で、要之助の様子を見て桐野の言葉を納得したのだと分かった。
この子は大丈夫だ、何とかして生きる途を捜すだろう。
違う場所で生きるに足ると思える何かを探してくれる。

(――― 愛おしい……)

要之助の人の言を容れられる素直さと生きようとする力が愛おしい。
なんとかしてやりたいのだと、病床から己に話しかけてきた従兄を別府は今更ながら思い出した。
(兄も同じだったんじゃろうな)

愛おしい。

従兄の後ろについて歩こうとする純粋さが。
それは我が子に感じるのに似たかけがえのない愛おしさだ。
…失いたくない。
桐野もこの子には同じ思いで接していたのではないかと思う。


午前三時半。
城山は今日が最後の戦闘の日だとは思えない程静かであった。 普段と同じように夜の帳が落ちている。
ふっと、言葉が浮かんだ。
「黎明の朝じゃな」
「レイメイ?」
「汝にとって今日は黎明の朝じゃち思わんか」
少年は何を言われているのかがよく分からない様子で、軽く首を傾げた。
「ふふ、…分かりにくいか。汝は『今から』じゃっちゅう事じゃ」

(今から…)
今日は要之助にとっての黎明の時、今から何かが始まろうとする前にある静けさだと。
そう言った別府の姿が、『生きることを楽しめ』といった桐野と重なった。

「別に…紹介状を貰ろうたからちゅうて医者にならんといかん事はなか。他にやりたい事があるなら、そいでよか。今は生きて、還れ」

「要之助、生きて還れよ」

本当に伝えたいのはそれだけだ。
それだけは桐野と同じだと別府は確信している。

「さ、汝にも他に支度があるじゃろ。ぐずぐずするな」
「はい」
「汝の兄さあにも宜しくな」
「…はい…っ」

今は笑って別れよう。



総攻撃の始まる時間があらかじめ分かっているためか、路上にもそろそろと人が集まりつつあった。
その輪から少し離れた所にいるのが少し寂しくもあったが、道が分かれてしまったのだからと、もうそれは思い切った。
生きろ。
桐野も別府もそう言い、要之助もそれを納得した。
…のだが。
(…どうやって…)
病院に戻るのが一番安全のような気がするのだが。いやそれよりも、…

「要之助さぁ」

呼ばれて振り返る。
奥静吉だった。桐野に言われて要之助を探しに来たのだという。
(あ、昨日の)
ほっとしたようなその表情に、大分探したのだろうと思った。

道々話を聞くと、大木の梢で体でも縛って二・三日程過ごせばいいと桐野に教えられたのだという。
「私はそいに従いもす」
あなたはどうしますかと尋ねられ、ふたつ返事で「是」と応じた。
大雑把で、桐野らしい見方だと思う。
だが考えた上であれこれと小細工するよりも、その方が却っていい気がした。

最低限の準備は必要だろう。水と、僅かでも食料も。
分けてもらえるだろうかと賄い所に行くと、岩崎谷にいる男たちに供するためにと、握り飯が用意されている最中だった。幾らでも持って行けと快く竹皮の包みを渡される。
それに安心したのも束の間、突然、三発の号砲が暗夜を切り裂いたのだった。

「……」
「……」

吶喊の声と発砲の音が風に乗って聞こえてくる。
思わず顔を見合わせた。
「急ぎもんそ」
要之助の点頭を合図に、静吉があらかじめ目星をつけていたという大木を目指して走った。
岩崎谷に置かれているのは本営であるため、ここがすぐに戦場になるという事はないだろう。
だが戦う人間の邪魔になっていはいけない。
要之助も静吉もそう思いながらひたすらに走った。

そして辿り着いた大木で、
「よかで、先に」
と渋る静吉を促して先に登らせると、要之助も傍に自生している木に足をかける。
「では、手筈通りに!」
そう掛かってきた声に大きく応答した。

枝に邪魔をされて既に互いの姿が見えない。
こんもりと繁った緑葉に、これなら簡単に見つかる事もないだろうとやや安堵した。
木の股になっている部分に腰を下ろし、肩から掛けていたズタ袋を適当な枝に引っ掛けると、少し落ち着いた。

互いに何かあっても助けにはいかない。
取り敢えずは自身が実方に辿り着けるよう、各々で注意を払うこと。
これが静吉と決めた約束だった。

別々の木に陣取っているので、何か起きても助けに入ることが実際には難しいということもある。
桐野と交わした約束と少し相違するかもしれない。
しかし互いに生きて帰る事が先決だと納得した。
ここではもう時間が経つのを待つ事しか出来ない。



散発していた銃撃の音、進軍のざわめき。
初めは遠くで聞こえていたそれらが段々と近く、大きくなっているのが分かる。
重なりあう葉の隙間から見えるのはごく僅かな光景だったが、赤みがかった閃光が暗がりで走っているのは容易に見てとれた。

彼我の銃声はひっきり無く、砲撃の音も絶え間ない。
それと重なるようにして、あちらこちらで怒号と、複数の人間が繁く行き来している足音が聞こえる。
破れた前線の人間が岩崎谷に戻りつつあるようだった。
有象無象の音が狭い谷に反響し、鼓膜だけでなく体をも震わせる。

砲撃音に慣れてきたとはいえ、流石にうるさかった。
枝に足を絡ませて耳を塞いだが、体を幹に縛りつける為に用意した縄を静吉に渡してしまった為不安定さが否めない。
(…何時頃じゃろ)
思わず溜め息を落としながら、考えた。
木に登ってから大した時間が経っていないようにも感じるし、大分時間が経過したようにも感じる。
頭上に視線を向けると、空からは薄暗さが抜け、白いような、白に近いような水色が見えていた。

(そろそろ夜が明ける)

辺りが白々としてくると、有るや無しやの彼我の均衡が一方的に崩れたような状態になった。
攻勢頻りで、着弾時に上がる硝煙や土煙りが酷い。
臭いもさる事ながら、舞いあがった煙や土埃が朝霧と混じって辺りを靄がけ、視界をかなり悪くしている。
手拭いを手にすると、それで鼻と口元を覆い目を瞑った。



20201213改訂再掲/080808(7/9-7/18)♪「ARIGATO」(B'z)



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