4:線路の遥か向こう






寒波が薩南の地を襲っている。
五十年振りとも六十年振りとも言われた大雪が城下を白く染めると、黒を初めとして様々な色を基調とした服に身を包んだ集団が一段とはっきり浮き上がった。
寒さは厳しく、薄着で屋外にいるのは正直身に堪えたけれど、それも大したこと無い様な感覚があった。


道之進が迎えに来たあの日。
要之助が幸吉に促されて桐野の前に出た時には、彼は既に泥も汗も不精髭も落とし、城下に立つべく馬の準備をさせていた。
田夫姿の桐野利秋は何処にもいない。
そこにいたのは戦闘者の顔をしたひとりの薩摩隼人だった。

「良かった、出発にはギリギリ間に合ったで。ほら」
とんっと幸吉に押し出されたのだが、雰囲気の全く変わった桐野を目の前にした今、要之助に出来たのは深く深く頭を下げる事だけだった。

「…あ、あんなぁ…」
その様子に幸吉が「言いたい事もあるんとちゃうの」と呆気に取られたように呟いた。
だが桐野はそんな様子の要之助を叱するでもなく苦笑するでもなく、諸手で頭を掴んでわしわしと掻き混ぜたのだった。

「…楽しかったな」
「………」
「ん?」

目を細めて首を傾げてくる。

「ハイ」

そう答えると頭上の男の顔に笑みが広がったのが気配で分かった。顔を上げる。
…この顔は知っている。
穏やかないつもの顔だ。

「…はい」
「よし」

だからそれに答えるように一緒になって微笑んだ。
そしてそれが桐野と吉田で過ごした日々の、最後の出来事になった。


冷え切った手を擦り合せながら、要之助は隊列が眼前を過ぎていくのを見つめる。
そんな中でも桐野はすぐに見つけることが出来た。騎乗していたからということもある。
だがそれを差し引いても真っ白い雪が町の色彩を減らしていく中で彼の姿は酷く目立っていた。
見たことがある。そう思う姿だった。

(…きらきらじゃ)

初めて桐野を知った日のように、そこにだけ光が差している様に見えた。
以前のように桐野が単なる憧れの対象というだけの存在であったなら、きっと今この場面でも背中を見送るだけで終ったのだろうと思う。
しかし今は違う。
何ヶ月かを共に過ごすことで、桐野利秋がどんな人間であるのか、その片鱗を知ったではないか。
彼もまた父や兄と同じく自分の力を恃みながら同じ世界で生きている、一個の男子であるということを。

「き、…気張ってくいやんせーー!!」
そう思うと、知らず大声が出た。

その声が響き渡ると辺りはしーんと水を打った様に静まり返ったが、やがてどっと笑い声が起こり類似の激励が方々から隊伍を組む男達へと飛んだ。

すると気付いた。
桐野がこちらを見ていた。この人海の中から要之助を探し出してくれた。
いかにも可笑しいといった風情で笑いながら、こちらに向って軽く片手を上げるとそのまま馬を進めていく。
それだけだ。たったそれだけ。
あっけないほど簡単な別れを馬上で済ますと、桐野はそのまま一瞥することも無く遠ざかってしまった。






戦況は必ずしも思わしいものではない。

薩軍が進発して二ヶ月の間に西郷大将の最愛の弟西郷小兵衛が戦死し、軍の一翼を担う篠原国幹が戦死した。
御船では永山弥一郎を喪い、緒戦の終盤とも言える段階で薩軍の雲行きには既に暗いものがあった。
付き纏うのは人的喪失だけではない。
武器弾薬は常に不足していたし、天候の悪さがその歯車の噛み合いの悪さに拍車をかけていた。

ツキがないといえば、真実ツキがないのだ。
近代的な電信設備の不備が取り返しのつかぬ誤報を招き、薩軍は幾度かここぞという戦機を掴み損ねていた。

状況は思わしくない。
…いや、国元にいて戦の詳細が分からないから、そう感じるだけだ…
慰めのような自分への一言であったが、逆に細かな戦況が掴めないからこそ却って大局が見えている事に要之助は気がついていなかった。

多くの者が ― 周りの大人達が ― 薩摩軍は疑い無く最強の部隊だと信じていたし、その我が軍に相対するのが百姓を寄せ集めた鎮台なのだ。
勝負など決まっている。
敗ける訳がないではないか ――

しかし田原坂、吉次峠の戦で死傷者が続出し、国許への後送者が増え、幾人かの将が戻っては手荒な手段で兵士の募集を為している事を耳にすると、そんな希望的観測も次第に揺るがざるを得なかったのだった。
そして雲行きの怪しさに輪をかけたのが政府軍の鹿児島上陸だ。
手薄…というよりはがら空きになった城下で、県令が勅使との同道を余儀なくされ鹿児島を去ったという。
私学校党に付く家は容赦無く打擲され、それはまるで、戦争が始まる以前の非私学校党が受けた仕打ちそのもののようであった。

この町で昨日まで権威の象徴であったものが、今日は弊履の如く打ち捨てられる。
この町で一昨日まで正しかったものが、今では賊徒の扱いだ。
歴史の波が生きる人間の想いや思惑を大きく越えて、彼等を容赦無く嘲笑い翻弄する様子を、城下の人々は図らずも目の当たりにしていたのかもしれない。

そんな烈しい動きの中で一体何が出来るというのだろう…?


「…父上、」
自分に出来ることは何かないのだろうか。そう問う要之助に、
「暗か顔ばしちょっても仕方(しょん)なか」
今はお前の出来る事を精一杯しなさい。分かるな、と念を押す老父に要之助は素直に点頭した。

父も要之助も十八から四十才と定められた従軍者の枠からはみ出していたので、戦地より遥か後方の鹿児島にいる。
道之進は言うまでもなく従軍していた。
後送されてきた者の話を聞くと、高瀬、田原坂へと転戦し、編制替えでどうやら雷撃隊に編入されたらしい。
そこで怪我を得たとも、病院に収容されたとも聞いたけれど、そこから先が杳として知れなかった。
生きているのか、死んでいるのか ―それすら。

「戦での名誉は一に戦死、二に負傷っちゅうんじゃ」

薩軍不利の状況がじわりじわりと伝わる中、道之進の音沙汰が余りに無いのを気に病んでいたのは外ならぬ父であったが、要之助には諭すようにそう言い聞かせていた。
戦が始まってからひと回り小さくなったような気がする父の背中を見ると、幸吉が最後に言った「守ったらなアカンねんで」という言葉が一際身に染みた。

とはいえ、今、母と嫂は親戚を頼って遠地へ疎開している。
初夏に吉野は一度戦場になっていたし、その後も城下を占める政府軍が去る気配が一向に見えなかったので、大事を取ってという父の判断だった。
汝も行けと言葉を尽くして説得されたが、要之助は父と共に残ると言って頑として首を振らなかった。

父は老いたとはいえまだ壮健であったから、政府軍を上手く避けながら誤魔化しながら、薩軍の後方の手伝いをしていた。
それもあって要之助は自分も何か出来ないかとは思うのだけれど、実戦には参加出来ないし、父の様に実務で何か手伝える訳でもなく足手纏いになるのが目に見えていた。
…ならば父が言うように出来る事を精一杯やるしかないではないか。

母がおらず嫂がおらず、普段から一番の恃みとしている兄がおらず、力仕事を始めとする家業の負担が要之助にものし掛かったが、それも大して辛いとは思わなかった。
今この時も兄や他の大勢の将兵は戦っている筈であるし、何よりあの桐野が一角の将として纏めの重責を負って戦地にいる。
家にいる人間が辛いなんて言っていられる状況でも無い。

それに桐野らと吉田で過ごした日々を思うと、そのような気持ちの重さは不思議と和らいだ。
桐野は大地を耕しながら何事も無いかの様にいつも陽気であったし、笑っていた。
考えてみれば要之助と起居を共にしていた頃が桐野の立場からすると一番きつい時期であった筈であるのに、彼はそれをおくびにも出さなかった。
あのようでありたい。

あんな男でありたい。

戦争の中の日常で、桐野の事を考えそう思うことは要之助の中では当然であったかもしれない。


20201028改訂再掲/071223(070930)
"後方"であった鹿児島の様子がいまいち分かりません。うーん。
「線路の遥か向こう」はお題「旅立ちの10題」から。 線路の遥か向こうだと思う程距離を隔てた所にいる人。



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