5:閑話〜明日からまた始まる戦いに備えて






「実方の?…おお、よう知っちょるわ」
へらりと笑いながら、
「桐野ん(あにょ)事わっぜ好いちょる長稚児じゃろ」
別府晋介は杯の縁を舐めた。

どういった流れであったのか酒を飲みながらふとそうした話になった。
別府は桐野と同じ吉野実方の出、共に酒杯をあおる辺見十郎太は城下、荒田の出だ。
三十代前半、二十代後半と年の頃は近い。
共に勇猛果敢で実質薩軍を支える中堅の将として貴重な人材であった。

とはいえ現在別府は負傷している為兵を率いて前線に出ることが出来ず、西郷の側で副官じみた事をしている。
辺見は戦況の報告がてら本営に戻りそのまま自陣に引き帰そうとしたのだが、別府の姿を認め一言文句でも言ってやろうとその後姿に声を掛けたのだった。


敗色が日々濃くなっても辺見が率いる雷撃隊は士気が高く、彼が前線にいるというだけで兵士は奮い立った。
長躯長刀で馬を駆る姿だけでも様になっていたが、うっすらと顔を覆う赤みを帯びた髭面で大声で軍を叱咤する驍将振りが、古の燕人張飛もかくやという頼もしい印象を周囲に与えていた。

薩軍中枢にいる人間が、辺見や河野主一郎を始めとする若手の挫けない鮮やかな軌跡をどれほどのありがたさを持って見ていたか。
桐野がたまに顔を見せる雷撃隊所属の実方出身の友人に「万一の事がないように辺見をよく見ていてくれ」と事々に言っていたのを、別府は何度か目にしていた。
なるほど、今辺見を失うのは痛い。

「…あん人いけんかしてくいやい」
四六時中監視が付いているようで動きにくい…

片手で別府を拝みながら、上目遣いで簡潔に苦情とも言えぬ愚痴をこぼす辺見に別府は苦笑いを返すしかなかった。
距離を置いて見ているとよく分かるのだ。
意識はしていないのだろうが、どれだけ止めてもこの男は自分から死地に近い場所へ飛び込んでいこうとする。
生と死の狭間をぎりぎりの所ですり抜ける遊びを楽しむかのように。
まるで弾丸の中に生命を曝すことが生きていることと同等だとでも言うように。

それは勇敢と呼ぶには余りにも危なっかしく、無謀と言うに相応しいと思われることがままあった。
辺見は己が持っている価値を知らなさ過ぎる。

だが彼の、生命を弾丸の的にする剽悍さに薩軍が何度も救われているのも確かなのだ。
なんという二律背反だろう。
だから桐野の立場も辺見の気持ちも分かる別府には、苦笑するしか術がなかったのだった。


桐野に請われて、どこの隊からか引っ張られてきた辺見の”お目付け役”を別府は知っていた。
彼は同じ実方出身で、桐野の友人だ。
加納道之進という。
別府自身よく知っている同郷の先輩であり、別府の実兄の九郎とは年も近く昵懇の仲でもあった。
それだけに何故桐野が辺見に彼を付けたのか、別府には分かる気がする。

「辺見」
「なんじゃ」
「諦めろ」
「やっぱいか〜…あー…桐野さぁの声掛りちゅだけでん、そげん気はしちょったんじゃがな」

ややつっけんどんに返答した別府に向かい、無理だとは思っていたけれどもと辺見は大袈裟に息を吐いて、「飲むぞ」と酒を別府に突きつけたのだった。


お互い知りすぎるほど分かっているので戦況の話は出ない。
里心が付きそうだ等と言いながら話題に上るのは、目の奥に鮮やかに浮かぶふるさとの山河だ。
出師の頃に見収めた鹿児島は一面雪に覆われていた。

その後ふたりは募兵の為に帰鹿したが、勿論故郷を楽しむ余裕など無く慌しく戦場へと戻り、今に至っている。
鹿児島から北上した後、薩軍に組する者の家は政府軍によって焼かれたらしいことも風の便りに聞いていた。
次に帰る時は自分達が知っている鹿児島とはやや様相が異なっているのかもしれない。

そしてその故郷には家族がおり、幾人かの娘が父の帰りを待っていたのだった。
顔を見ては笑いかけてくれるという可愛い盛りで…
上手く戦火を逃れているだろうが、心配の種といえばそれだけが頭の片隅にあった。
そこまで思い浮かぶと、ふ、と別府は杯を満たしてくる辺見の顔を見つめた。
目の前の男にもまだ年端の行かない娘がいたはずだ。

今この男を死なせることはできない。
薩軍のためにも、…父を待つ娘のためにも。

そう思う。
「気持ち悪かぞ。いけんしたか」
悪態をつきながら酒を注ぐ辺見はしかし、そんな別府の…周囲の思惑などまったく何処吹く風だ。
これでは桐野の兄の気苦労も絶えないだろうと、別府は人事の如く笑った。


「お目付け役な、俺もよう知っちょる。わっぜか人ぞ」
弾丸に当たった事もないだろう?

そう尋ねられると、辺見は暫く宙を見て考えた後、
「ああ、そうじゃな」
そう肯定した。思い当たる節がいくつかある。


「辺見、一歩後ろへ」

前線に出て刀を振るうのに足を踏み出そうとして、辺見は”お目付け役”の男に幾度か出鼻を挫かれた事があった。
その度に鼻白む思いだったが、腕を引かれて無理やり後ろに下がらされると、決まって眼前をすれすれの距離で弾丸が通過するのだった。
今から思えば、その時下がらずにいたら弾は横面に命中していただろう。
そうなるといかに強気の辺見であっても黙らざるを得ないではないか。
そして似たような事が二度三度と続くと、辺見ももはや何も言わず素直に従うようになった。

「隊長は弾に当たらん」
あれだけ先頭切って戦っているのに弾丸に当たらない。
その一事が雷撃隊の士気をいよいよ高いものにした。

「弾の方が俺を避くるっとじゃ」
何故かと理由を尋ねてくる部下には笑ってそう返していたが、幾度か袖を引かれると大体の理由が辺見にも飲み込めてきた。
疲れてくると頭がよく働かないのか、前線にいても無防備に体を晒す瞬間が必ずある。
それは本当にちょっとした時なのだが、そこに狙い定めたように弾が飛んでくることが多かった。
そしてそういう時に限って「後ろへ」と声が掛かるのだ。

「お前さぁ、周りをよう見ておいやっとじゃなァ」
礼を述べる代わりにそんな言葉を投げると、
「…何となく分かるだけじゃ」
取り立てて礼を言う程でもない、と彼は無造作に返すのが常だった。



「…あ…ー…」
そこまで思い出すと、嫌がる辺見に何故桐野が
「汝にはあの男を付ける。こいは命令じゃ」
と執拗な程に繰り返したのか、その理由が分かった気がした。
(あの御仁は俺の弾避け守りか)

「別府、あん人何者じゃ。桐野さぁの友人ちゅだけか?」
「否、戊辰の時にもな、不思議と弾が飛んで来る方向が分かるちゅうて色んな隊に付いちょった。吉田の桐野の兄の所に長稚児がおったじゃろう。あの兄じゃ」

これには辺見も驚いて、ぶほっと酒に咽てしまった。

「あ、…兄?」
どう見ても親子程に年が違う。
「弟の方は後妻の子じゃ。じゃっどん…あん兄さぁは親代わりみたいなもんかもしれんな」

その彼が弟のひ弱さが心配で堪らなく、数ヶ月間桐野の元に預けたという事迄は別府も知っていた。
恩といえば、桐野はあの兄弟に恩を掛けた事になるのだろう。
本人はそんな事を寸毫も思ってはいないだろうが。

彼が桐野から雷撃隊付きを是非にと頼まれた時、
「俺は辺見に付いて行ける程若くはなかど」
と苦笑しながら承諾したのは、もしかしたらその返礼であったのかもしれなかった。

そして考えてみると、辺見にも弟と相通じる所を感じたのかもしれない。
もっとも辺見の場合はひ弱さではなく、見ていて大丈夫かと思う危なっかしさであったが。
だから辺見から彼との話を聞いていて、別府は声を上げて笑ってしまったのだった。


辺見は夜眠らない。
いや、眠る時間が極度に少ないというのが正確であった。
懐中時計を離さず持っていて、夜半でも1時間か2時間置きに起きては哨戒に出ていた。
かといって不足した睡眠を日中に補えるかというと、戦闘指揮を執るためそれも出来るわけがなく。
辺見はいつ寝ているのか。
側にいる部下でさえ訝しがり、まるで鬼人のようだと噂したものだが、お目付け役とふたりきりになると彼だけは、
「そいでは無理じゃ」
と辺見を止めた。

「哨戒は俺がやっど。おはんは纏まった時間寝んといかん。…何?そいは無理?」
「……」
「……」

辺見はその後投げられた言葉を忘れはしない。
無理と相槌を打つや否や、彼は哀れむかのように蔑むかのようにすうっと目を細め、小声で、

「…寝ながら馬を進める事もできん若造が…」

偉そうに

恐らくそう続いたのだろう。
愚弄するかと辺見も流石に頭にきて「何じゃっち」と眼に怒りを漲らせたのだが、

「おぉ怒ったか。腹が立つちゅうならな辺見、議バ言わんとやってみせんか」

いつものように微笑んで、平然とそう言い放った相手の方が何枚か上手だった。



「………」
「あっは!はっははははっ!そいでおはん、いけんした」
すると辺見はぶすっとして、
「…売られた喧嘩じゃ。寝てみせるしかなかろうが」
別府は腰を折って笑い始めた。


とはいえ、あの時何故彼があんな言い方で己を怒らせたのか、辺見は後になって理解したのだ。
馬上ではあれ、僅かでも睡眠できる事でどれ程楽になるか。
後々の体の動き方が変わってくる。勿論頭の働き方も。

辺見を間近で見ていて、普通に勧告しても聞き入れないだろうと踏んだのだろう。
面白くはないが、彼のあの作戦は図に当たった。
彼が桐野から頼まれた事は、辺見に万一の事を起こさないことなのだ。…本人にどう思われようとも。
最近では辺見もその事に気が付き始めている。

「刹那の判断で動くんもよかち思うが…今やおはんは部下も多か、責任も重かで…周りば見て次の事を考えるんも、大切じゃち俺は思う」
明日も、明後日もまだこの戦は続くのだから。

何かの時にポロリと零されたその一言は、桐野から派遣された彼の本音だったのだろう。
自重、ではないが、ほんの少しの自愛と緩急の付け方を頭の隅に置いておけという。

「そうか。…そげな事言っておいやったか」
それは前線から一歩引いて辺見の姿を見ている別府にも強く共感できることであった。
本人も薄々分かってきているのだろうが、辺見の勇武は薩軍の士気にも関わっている。
そのこともある。だがそれ以上に…
開戦から戦い続けている同士として、故郷でもない土地でこの男を喪いたくないと別府は思うのだ。

戦っていたい。
共に、最後まで。

本音を洩らすなど、"お目付け役"の長上もきっと同じ事を思ったのだろう。

「辺見、気張れ」
「何じゃ急に」

だが辺見は周囲が己に持つ懸念など全く気に留めていないかのように笑った。
いっそ憎たらしい程に、からりと。

(じゃっどん、こいでこそ辺見じゃな)
その姿を見て、己から言うことは特に無いかと思う。

「明日の、次の戦いに備えて、―――」
ああだこうだと、彼は散々自隊で言われているのだろうから。
あの人をどうにかしてくれ、と泣き付いていられる内が花だと思うと、別府も思わず笑ってしまった。

「…まっこて今日のおはんなおかしかぞ」
「そうか?…さ、俺はもう寝るぞ。辺見ももう寝ろ」
そう言うと早々に不満を漏らす辺見の酒を取り上げた。

休める内に休まなければ。…休める内に休ませなければ。
数時間経てばまた朝日が昇る。
辺見も己もまだ戦わなければいけないのだから。
だから今日はもう休もう。

明日からまた始まる戦いに備えて。


20201031改訂再掲/080101(071027)
時期場所共に設定ありません。残っている辺見伝説と創作を程良く?ミックスしております。
辺見君を思いやる別府君の巻でした。



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