6:poco a poco






今夏は新盆を迎える家が多かった。
新仏を迎え送る蝋燭に火が燈され町中に火群(ほむら)が広がると、その異常なまでの数多さに、要之助は驚愕せざるを得なかった。
炎が揺らめく様子は幽玄で美しかったが、そこには一種名状しがたい物悲しさを感じた。

耳には薩軍に関する威勢の良い話ばかりが入ってくるが、そのどこ迄が本当なのだろう。
そんな疑問を持つのはこんな時だ。
盆の送り火は夏の終わりを告げる静かな風物詩であったが、何か違うものの終焉をも告げているのではないか。
一刻一夜で消えてゆく炎の群れを見て、何とはなしにそう思った。

(兄さぁはまだ生きておいやっとじゃろか)

桐野や実方から出征した男たちも無事なのだろうか。生きているのだろうか。
…きっとまだ生きている。
何の便りも無いのは元気であるからだと言うではないか。だからきっと大丈夫。

口には出さねど、そう祈るような気持ちで九月の声を聞いた。





西郷大将以下の消息が宮崎の長井村からぱったりと分からなくなり、既に何日もが経過している。
詳細が全く分からない。
情報網を持たない一般のレベルではそう言っても良かったのだろう。

不正確な情報が多く流れたことから薩軍はその内延岡に、いや長崎に現れるのだといった流言蜚語が方々で飛んだが、いずれも出所が曖昧な噂に過ぎなかった。
そんな中で薩軍は忽然と姿を現した。

だが、それは目が覚める程突然であったかというとそうでも無く、ちらほらとではあるが、前触れはあったのだった。
御城下では新しい県令の命令で県運営の為の書類が持ち出されたという。昨日の話だ。
また錦江湾を遊弋する軍艦や連絡船の動き、兵士や警官の陸揚、政府軍が八月末から鹿児島郊外の要地へと兵を進めているという話を伝え聞くと……
年端の行かぬ要之助であっても、今、何が起こっているのかの想像は容易に付いた。

薩軍は鹿児島へ向かっている。
故地へ帰ろうとしているのだと。

そうとは言っても、要之助は己が住む地で再び、こんなに急に戦闘が起こるとは思いもしなかった。



政府軍が鹿児島市街地を立ったのが九月一日の午前五時。
軍をふたつに分け、一隊(新選旅団)を韃靼冬冬(たんたとう)・実方経由で吉野へ、もう一隊(第二旅団)を内の丸・門上経由で川上村へと派遣して、市街地に入る主街道を封鎖、寡兵である内に薩軍を迎撃しようとしていたのだった。
そうであったから、そんな事情を知らぬ要之助が朝一番に雨戸を開けようとした時に、
(鳥の声がちっとも聞こえん)
と、不審を覚えたのは無理も無かった。

朝特有の爽やかな騒がしさが少しも無い。
かといって降雨の気配も無い。
いつもと同じ朝であるのにと、雨戸の隙間から何気なく外を見遣ると、見慣れぬ黒服の塊が付近を通り過ぎて行くのが見えた。

銃器をがしゃらがしゃらと鳴らしながら、規則正しく進んでいく集団。
彼らが薩軍で無いのは明らかだった。
静かに、音を立てない細心さでそっと雨戸を閉める。
どく、どく、どく、と心臓が波立つ音が耳の奥で聞こえたが、それを何とか抑えて父の元に急行した。

「ああそうか」

しかし要之助の話を聞いても特に騒ぐでも無く、そうとだけ答えた父は流石に年の功があった。
ひと回り小さくなったと感じたとはいえ、そこは流石に”父”だった。
急ぐ様子も見せずゆったりと腰を上げて、家宝や金品は床下に、窓には板で目張りを、戸には心張棒をして、後はもういつも通りにとテキパキと指示すると、そのまま奥に引っ込んでしまった。

「………」

あは、と。
呆気に取られるというより、いつもと全く変わらないその態度に要之助は思わず笑った。
あまり意識した事の無い、父の男としての姿を目の当たりにした。
そんな気もした。

そして少しだけ息を抜くと不思議な事だったが、周りをゆっくりと見、考える心の余裕が生まれた。
政府軍が傍を通過しているからと言って、何が出来る訳でも無く、今更どこに行ける訳でも無い。
そうであれば可能な限りの用心をして、いつも通りの時間を過ごすだけだ。
恐らく父も同じ事を考えているのだろう。

(…あ)
そこで忘れていた事を思い出した。
そう言えば。

(桐野さあじゃったら)
桐野ならこんな時どうするのだろう。
(きっと慌てんし、騒がん。落ち着いて、そいから出来っ事ば考えて)
今の己に出来る事を、考えて。

「俺の出来っ事…」

薩軍に参加する事か?
否。
今のこの状態で戦闘に参加できる訳でも無い。第一敵味方がどこにいるかも分らないのに。
そこで、ふっと幸吉の言葉が頭に浮かんだ。

―― そや。せやから要之助さんは、家に帰って母上を守ったらなあかんねんで

「…うん」

しかし母はこの場にいない。
だから今、自分に出来る事、しなければならない事は…
きっと、父を守る事だ。
父と、家を守る事だ。
こんなにも非力な自分にそう思われている事を知ると、父はきっと不本意だろうが。
そう思うと少しだけ笑いが漏れた。

しかしその反面、そんな事ができるだろうか。自分の力で。
そうも思う。それでも。

(心を定めると、人は強くなれる)

例えそれがどんな些細なことでも、覚悟を定めて目的を持つと人は少し強くなれる。
それは桐野から学んだことだ。
桐野の、後ろ姿から学んだことだ。
自分の為に誂えられた刀を抜き、そこから放たれる光を見つめると、要之助は暗がりの中でひとり頷いた。




しかしそれでもニ、三時間は何事も起こらずにいたのだった。
その為やや拍子抜けすると同時に固まっていた緊張感が段々と解れていくのを感じたのだが…

耳を澄ますと、微かではあるが銃声や吶喊の声が風に乗って流れてくるのが分かった。
それが次第に大きく、はっきりと聞こえてくる。
来た、と思うや戦場が実方に迄広がるのに大した時間は掛からなかった。

空気を裂く銃声が大きく天空に響き、その流れ弾がばつっ、ばつっと鈍い音を立てて家の壁に当たるのが分かる。
怒声、猿叫、号令、悲鳴、敵への罵詈雑言、断末魔の絶叫、刀と銃剣が切り結ぶ耳障りな高音。
戦場で起こるあらゆる音に囲まれたかのようだった。
人の群れが移動するのに合わせて木造の家が緩急つけて振動し、日中は間断なく続いていたその動きがやや収まったのは、もう日が落ちようとする頃だった。

周辺が静まりはしたが、戦闘はどうなったのだろう。
風に揺れる木々のざわめきの合間合間から人声が飛んでくる。思い出した頃に纏まった銃声も聞こえた。
「ここは城下に入る街道の喉元に当たる所じゃっで、両軍そう簡単には引くまい」と父は言う。

この辺りは恐らくまだ暫く戦場であり続けるのだろう。
今日は何事もなく済んだが、明日は?
明後日は…?

そう思うとやはり些か不安はあったが、心は不思議と落ち着いていた。


20201104改訂再掲/080111(071215)
poco a poco.ちょっとずつ、ちょっとずつ。
ちょこっとメモ
★韃靼冬冬の読み方がよく分かりません。漢字表記がこれで合っているのかも分かりません。「たんたとう」(血涙史)なのか、「たたんとう」(自衛隊)なのか、「たんたと」(河井主一郎)なのか、「たんたど」(バス停)なのか(笑)一応たんたとうとルビを打ってみました。地名は難しい。



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