7:選択肢、別れ道






だんだんだん!
だんだんだんだん!

強く戸を叩く音に跳ね起きた。既に夜半過ぎの様だ。
立ち上がると同時にぱさりと掛けれられていた着物が落ちる。いつの間に眠ってしまったのだろう。
隣の間で休んでいたらしい父も既に刀を取って外の様子を窺っていた。

「何者でごわんそか」
鞘から白刃を抜き放って携える。
「薩軍でなけりゃ刀の錆じゃ」
くっと父が笑った。

裏手はどうなっているのだろう。
ふとそう思い家の裏口に回ると、こちらからはいくらか声がした。
井戸を使う音に笑い声が混ざっている事から、戦場にいるのに随分と気楽な兵士がいたものだと呑気にも思った。
が、それも束の間、彼らは直ぐに裏戸を開けに掛かったのだった。
心張棒が張ってあるので容易には開かないのを持て余してか、がっがっと戸を蹴る音が聞こえる。

「よか。思い切りやれ」

(えっ?)
外から聞こえた声に疑問を持った時には、戸板が蹴り破られた。
思わず次の間に姿を隠し、刀を強く握りしめる。
家の中に入って来たのは…ふたりだ。

「誰もおりもはんな」
「その様じゃな」

息を潜めた時、耳に飛び込んで来たのはお国言葉。
そっと様子を覗き見ると、彼らはよれよれでドロドロの和装に身を包んでいる。
(…薩軍じゃ)
と、その時さっと差し込んだ月明かりにひとりの顔が照らされた。
「…ぁっ…」
取り落とした刀が、がらんっと大きな音を響かせて床に転がる。
それに驚き振り向いたひとりに思わず飛びついた。

「兄さあ!!」

道之進の思わぬ帰還だった。
頬がこけ、傷だらけで出陣時とは見る影もない姿。
片腕を白布で首から吊り、刀を杖に代え、兵卒の肩を借りながらここまで来たらしい。
鞘の先がささらの様になっていた。
大量に出血したのか、着物が脾腹の辺りから足元までどす黒く変色していた。



雷撃隊所属となってから、道之進は隊長の辺見十郎太とかなり近い距離で行動を共にしていたのだという。
弟から見た兄は頼りにはすれど底抜けの優しさを持つという所以外、良くも悪くも標準的な男に思えた。
桐野や別府晋介の様に秀でた剣技を持っているという訳でも無く、辺見の様に兵を率いる求心力を持っている訳でも無さそうに見える。

そんな兄が、なぜ桐野の推挙で辺見の傍にいたのだろう。

雷撃隊でも同じ様に感じた者が多く、初めの頃はそんな話が頻々と出たのだそうだ。
だが敗色が明らかになって後、和田越で戦い可愛嶽を越え、目前の政府軍を払いながら幾多の山道を共に踏破すると、誰もがそんな疑問を抱かなくなった。
どうにかしてくれと本営で別府に泣き付いた隊長の辺見でさえも。

道之進は周囲周辺をよく見、その変化によく気付いたし、よく進言もし意見もした。
激した辺見に殴られた兵士や伝令に寄り添い、遅れがちになる荷駄方の支援をし。
常に前線で戦う指揮官の手の回らない所の面倒をよく見たという。
「ほいそこ、弾来っどォ」
と声を掛けられ、或いは腕を引かれる事で救われた人間も多い。
最後には「何かあったらあん人に言え」、きっとなんとかしてくれる、と辺見なども笑っていたらしい。

負傷したのは踊・横川での戦闘だったと、兄を連れ帰ってくれた兵卒が述べた。
蒲生へと奔る途中、馬上で右へ左へと大きく揺れるので、誰もが「寝た」と思ったのだそうだ。
そうしたら見る間に馬から滑り落ちた。

脇腹からは被弾したらしく夥しい鮮血が流れ、腕があらぬ方向に曲がっている。
抱え上げられた時には意識が殆ど飛んでいた。
流石に辺見隊長もぎょっとしたらしい。

何故(ないごて)黙っちょった!!」

応急で己で捲いたのだろう赤く染まった晒を乱暴に剥ぎ取ると、辺見は烈火の如く吠え医術の心得のある者を呼んだ。
片袖を破り、傷口に押し当てる。
それでも生命が零れ落ちるかの様にとっとっとっとっと血が流れるのだった。

「へ、辺見」
「何じゃ」
「…置いて行け」

足手纏いだと。
その言葉に舌打ちすると、

「…絶っ対に死なさん。死にたかちゅうても死なさんぞ。置いても行かん。蒲生は目の前じゃ。鹿児島はすぐそこぞ」
おはんはいけんしても連れて帰っど、と地を這うような低音で辺見は言い捨てた。

多くの戦士の命を救った人間をこんな事で置いて行けるか。
ありがたくも兄に接した誰もがそう思ったのだという。

銃創の処置は奏功し、落馬時に折れた腕も添え木を当て何とか体を動かす事は出来たが、前軍の進軍ペースには付いて行けず途中から単身帰鹿することになった。
辺見は兄に気の利く兵卒二人を付けてくれ、別れ際彼らに、
「殺すなよ。弟に会わせてやれ」
と何度も言い含めた。

蒲生で軍と別れ、刀を杖にし肩を支えられ、隘路に入り側道を通って帰って来た故郷では既に戦陣の火蓋が切られていた。
吉野の中心地になる帯迫一帯には政府軍が屯しており通行が危ぶまれたが、それを迂回。
どうにか入った実方の地は夕刻からは薩軍によって制圧されていたため、驚く程すんなりと家に帰ってこれたのだと。


「………」

父は道之進と共に帰って来た兵卒ふたりに深く頭を下げた。
要之助も心から低頭した。
話を聞くだけでも薩軍の状況は悪い。どう贔屓目に見ても、悪い。
大怪我を得た人間はそのまま死んで当然、置いて行かれて、落伍して当然の状況だ。
それを…
言葉では言い知れない何かが心の奥から緩やかに浮かんでくるのを要之助は禁じえなかった。


怪我からくる発熱と強行軍の疲れ、家に辿り着いた事で緊張が一気に解けたのか、道之進は昏々と眠った。
兵卒ふたりも同じで、余りに眠りが深いので、もしや死んでいるのではと呼吸を確かめる程だった。
ここに帰って来るまでにどれ程の苦労を重ねてきたのだろう。
兄の額に浮かぶ汗を拭き取りながら、情報を幾らか仕入れてきた父の話を聞く。

九月一日。
辺見十郎太率いる先鋒隊が吉野を迂回、伊敷方面から市街地に入り、その後中軍後軍が続いた。
吉野一帯で起きていた戦闘は、その中軍と市街から進発していた政府軍の間で起こったもののようだった。
本営から各郷に檄が飛ばされ、後送され療養していた壮丁が駆け付けようとしているという話もすぐに伝わってきた。
この一、二日で市街に向けて兵士が集まっているのはどうやらその為か。

ただしかし薩軍の居所が固まってしまうのなら、政府軍が各地に散らばっている兵をすぐにでも鹿児島に集中すると見るのが自明の理だ。
数の上からは薩軍の方が圧倒的に不利だ。
敵は多数で鼠を囲む様に包囲した上、一気にこれを叩く気なのだろう。

「…そげんなっと」

と、そこまで話すと流石に父も言い澱んだ。
彼我の差を既に見聞きしている為、父が帰着した答えは要之助と同じだったようだ。
そうだ。そうなれば。
…これ程苦しく、口に出しにくい事は無い。
考えたくない事ばかりが頭を過ぎる。
だが、どう足掻いてもそれは最早動かす余地の無い将来の姿に思えた。



考えている。
兄達が寝ている間、米を炊ぎながら風呂を焚きながら。
ずっとひとつの事を思っている。
それが頭を霞め、次第に意志が固まってきた頃には日が傾きかかり、要之助が作っていた味噌汁の匂いに釣られて道之進も兵卒らも目を覚ましたようだった。声が聞こえる。
手伝う気なのか、ひとりがひょっこりと顔を見せた。

「こいから、いけんされもすか」
手を動かしながらそれとなく尋ねてみると、
「城下へ。今晩」
さらりと彼は言った。その答えにやはりと思う。
覚醒したら彼らはすぐにでも隊に戻ろうとするだろうとは薄々思っていた。
責任感が強いのなら尚の事。

「行かれもすか」
「まだ戦えもんど」
「…はい」
「さ、早く運びもそ。父御も兄上も腹を空かせておいやっとじゃ」

透き通る様な笑い声を彼は上げた。

選択肢は幾つか有る筈なのだが、町へ駆け付け仲間と戦う以外の事など浮かびもしないのだろう。
兵卒らは共に粗末な食事を摂った後、要之助に告げたように父と道之進にも市街に向かう事を告げた。
加えて一刻も早く駆け付けたい、余りいい予感がしないと口々に言う。

その言葉に頷いた道之進は要之助に一言「晒」とだけ言い付けると静かに立ち上がり、出立の用意に掛かろうとしたのだった。
「無理でごあんど」
ひとりが流石に止めた。

晒の上から更に新しい晒を要之助に巻かせて腹を締め付けても、力を入れた拍子に被弾箇所からじわじわと朱色が広がる。
それに晒を巻くにも人の手を借りなければならない状態では到底無理だ。
市街地までは行けるだろう。だがそこから先は。

実方に帰って来た、いや、実方に帰された時点で、道之進に残された道はひとつしか無かったのだ。
無理だ。動くことさえ辛い。多分そんな事本人が一番よく分かっている。
だが薩軍が今どのような状況なのか。泣きたくなる程よく分かっているのに、力になりたい時に郷党達を扶けられないという苦しさは。
道之進の顔が儘ならぬ無念さで苦渋に歪んだ。


「…(あたい)が行きもす」

頭に浮かんでから、いつ言おういつ言おうと思っていた言葉が、この場でするりと出た。

「何?」

一気に視線が刺さる。
それに構わず要之助は兵卒ふたりに土下座した。

「私も行きもす。連れて行ったもんせ。父上、兄さあ、お願いしもす」

そう伝える声は、少しだけ震えた。



20201107改訂再掲/080127(071227)
選択肢、別れ道。岐路に立つ



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